半平のきまぐれ日記

ADHD(注意欠陥多動障害)の会社員が本を読んで、映画を見て、あるいはその他諸々について思ったことを気まぐれに綴ります。(※本ブログはAmazonアソシエイトを利用しています。また、記事中の画像は、断りのない限りWikipediaからの引用、もしくはフリー素材を使用しています)

図書館実習記 その②―お椀を洗いましょう

いつも当ブログをご覧いただき、ありがとうございます。

先週は随分寒かったですが、皆さんはお風邪など召されてませんでしょうか?

実は私は、誕生日の後くらいから、のどの調子がよくありませんで、おかげでトローチが手放せません(>_<)

健康にはくれぐれも気をつけましょう。


さて、今日は先日書いた図書館実習記(図書館実習記 その①―あんな仕事、こんな仕事、たくさんあるけど結局どれが得意なのか?!― - 半平のきまぐれ日記)の後編を書きたいと思います。

・・・と、その前にちょっとこちらの話を聞いてください。


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[たぶん、このブログに2回目のご登場となる趙州和尚。前のご登場はこちらを参照雨ならずして花はなお落つ - 半平のきまぐれ日記]


時は中国の唐の時代、所は名僧趙州禅師のおわす禅林でございます。

ある日のこと、趙州禅師を若い雲水が訪ねて参りました。


雲水「私はいくつもの禅林で修行を積んで参りましたが、いまだに悟りを得られません。どうか、私をお導きください」

禅師「そうですか。ところで、お粥(禅林では朝食にお粥が出される決まりになっている)はもういただきましたか?」

雲水「はい、いただきました」

禅師「では、お椀を洗いなさい」


この言葉を聞いた瞬間、雲水は悟りを開きます。


この雲水の悟りが公案となるのですが、私は図書館で実習していて、この公案を思い出しました。

図書館の仕事は本を所定の場所に戻したり、リクエストのあった本を見つけてきたり、他にも色々ありますが、総じて地味で目立たない仕事が多い。

ついでに言えば、できたからと言って誉められることもない。

けれど、その地味な仕事が本当に図書館サービスを支えていることを実感しました。


そして、これは図書館の仕事に限らず、世の中のあらゆる仕事がそうであるという気がします。

華やかな仕事の裏には、日々スポットライトを浴びないところで、黙々となされる仕事と、それをする人々が必ずいます。


ここで、雲水の話に戻りますが、彼が得た悟りとは、これと似たようなものだったのではないでしょうか。

つまり、朝がくればお粥を食べ、お粥を食べればお椀を洗い、お堂を掃除し、お経を読み、座禅をする。

日々の当たり前の日常をいかに真心をこめて送るか、真心をこめて仕事をするか、それこそが修行であり、即ち悟り、心の平安への道だと。


私も、例えば実習で本を返すときは、少しでも他の職員さんや、利用者さんが次に探しやすいように置き方を工夫したりして、自分なりの真心をこめたつもりです。

もちろん、それで十分なはずもありませんが、真心をこめてやると、その仕事が紛れもなく自分の仕事であるような気がしてきて、楽しくなってくるから不思議です。


どんな仕事もだれかに求められているから仕事として成立しています。

私がこれからどんな仕事に就くにせよ、それを求めてくれる人のために真心をこめて仕事をしたいと思います。

それが結局は、自分自身の幸福にもつながるのでしょうから。


今日はこんなところです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

おばあちゃんのおにぎり

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本当に美味しい!  「おむすび」レシピ140

本当に美味しい! 「おむすび」レシピ140

[最近はおにぎりのレパートリーも随分増えたようでして。手のこんだのもいいけれど、私はシンプルなのが好きだなあ]


実は私、昨日が誕生日でした。

だからと言って、何が変わったわけでもなく、単に履歴書に書く年齢の数字が一つ大きくなっただけなんですが。

けれど、母が一応プレゼントをくれたり、周りの人がお祝いをしてくれたので、それに因んで何か書いてみようと思います。


おばあちゃんのおにぎり (くもんの児童文学)

おばあちゃんのおにぎり (くもんの児童文学)


今年、母がくれた誕生日プレゼントというのが、私の好きな歌手のさだまさしさんが書いた童話『おばあちゃんのおにぎり』。

さださんの子どもの頃の実体験をそのまま書いたという童話です。


さださんが7歳の誕生日に家に友達を呼んでパーティーを開く。

お母さんがご馳走をつくってくれて、友達がおもちゃや、絵本やレコードをプレゼントにくれる中、さださんのお祖母さんは、彼に何の変哲もない塩むすびをつくってあげます。

いつもは大好きなお祖母さんの塩むすびですが、その時ばかりはさださんは落胆して、おにぎりを食べずに遊びに行ってしまい・・・という話です。


私もさださんのように祖母がつくってくれるおにぎりが大好きでして。

具は梅干しか塩昆布、俵型で胡麻が振ってあるだけのこちらも取り立てて変わったところのないおにぎりですが、これが一等うまい。

今でも実家に帰ると、このおにぎりを食べるのを楽しみにしていて、だから、この話にも実に共感を覚えます(子どもの頃、さださんと似たようなことしたことあるし・・・)。



おむすびクリスマス さだまさし(歌詞付き)
[さだまさし×おむすび、と言えば、この曲。この曲のテーマも、「失って初めて分かる大切さ」でしょうか]



実はおむすびのプレゼントには裏話があって、当時のさださんの家は、お父さんの事業が傾いていて、家計は火の車でした。

だから、お母さんがつくったご馳走も、無理をして用意したものだっただろうし、お祖母さんもおにぎりしか、孫にあげられるものがなかった。

その辺の事情は大人になってから知りますが、『おばあちゃんのおにぎり』の最後で思い直して家に帰った少年・さだまさしは、泣きながらおばあちゃんのおにぎりを食べます。


苦しい家計の中から、それでも息子や孫のために、精一杯の心尽くしをするご両親やお祖母さんの元で育ったからこそ、ざださんは、あんなにも人の心を揺さぶる歌をつくれる人になったのかもしれません。



転宅/帰去来収録曲 # さだまさし(CD音源)
[起業→倒産を繰り返した、さださんのお父さんを唄った一曲。“人生は潮の満ち引き”のフレーズが沁みます。]



誕生日っていうと、子どもの頃は、プレゼントにおもちゃや、本を買ってもらうのが楽しみだったんですが、最近はプレゼントが欲しいなんて、思わない。

もちろん、物欲がないわけじゃありませんが、どれだけ躓こうと失敗しようと、それでも見守ってくれて、支えてくれる人のいる有り難さに気づいたから、それだけで十分なんだと思えます。


さださんがご両親やお祖母さんから、何かを受け継いだように、たぶん私も親や祖母、それだけでなくて、たくさんの私を気にかけてくれる人たちから何かを与えられて、生きている。

いや、もっと言うならば、名前も顔も知らない人々から、何かをもらって、ようやく生きている。

人間って、そんなものじゃないでしょうか。


そして、与えられるだけじゃなくて、与えることだってできる。

私はいつか死ぬ。

けれど、私がだれかに与えた何かは、私よりほんの少しだけ長生きをするかもしれない。

私のことは忘れられても構わないんだけれども、私よりほんの少しだけ長生きをする何かを、だれかに残せたらいいなと思います。

そんなことを考えた2×回目の誕生日でした。


今日はこんなところです。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

図書館実習記 その①―あんな仕事、こんな仕事、たくさんあるけど結局どれが得意なのか?!―

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ご無沙汰してます。

実は10月の後半に2週間ほど、公共図書館で実習をさせていただきました。

興味があって、就きたいと思っている仕事を体験できましたので、実に楽しく、また色々なことを学べた実習になりました(スタッフさんは、親切かつ丁寧に指導して下さいました。それも大きな理由でしょう)。


それで、今回と次回とで、実習体験記を書くことにします。

初回のテーマは、体験できた色々な図書館の仕事を、特に自分の発達障害の観点から考察して、どれが得意で、どれが不得意だったのか、その実感を書いてみたいと思います。

返本

利用者さんが読み終わった本を書架に返す作業。

まずは書架の配置を覚える必要がありますが、これは思ったより簡単でした。

あと、特に小説は作者名の五十音順に並んでいるので、これも割りとすんなりできました。

言語能力は結構高みたいなので、それが活かされた形でしょうか。

実習中、この作業がいちばん得意でした。

予約本の探索

利用者さんが予約した本を書架から見つけ出す仕事。

たくさん本が並ぶ中から、特定の本を見つけ出すのは案外難しかったです。

私の場合は、集中力はありますが、反面狭い範囲にばかり注意が向きやすいので、それが妨げになった気がします。

狭い範囲を注意深く見るのではなくて、広い範囲をざっと探した方が早く見つかりました。

「探さないくらいのつもり」で探すのが多分コツ。

ブッカーの貼り付け

図書館の本の多くはフィルムが貼ってあって、表面が保護されていますが、そのフィルムのことを「ブッカー」(たぶん「ブックカバー」の略)と呼んでいます。

そのブッカーを本に貼り付ける作業をしましたが、途中で本の向きを色々と変えたり、空間認識力や立体をイメージする力が必要でした。

私はこの力がかなり弱いので、スタッフさんに手伝っていただいて、ようやくできました(汗)

業務用でなくても同じようなフィルムがネットで買えるので、後日一人でやってみましたが、案の定、ぐちゃぐちゃになりました・・・練習が必要ですね。


デビカ 図書館ブックフィルム A4ロール 040560

デビカ 図書館ブックフィルム A4ロール 040560

[あなたもできるブッカー貼り。本を守ってくれるだけでなく、すべすべして思わず頬擦りしたくなる手触りになります]

カウンター業務

利用者さんにもっとも目に入りやすい図書館の顔!

カウンターで貸出と返却の仕事をさせていただきました(まさか立たせてもらえるとは思ってなかった)。

この仕事、端末の操作をしながら、利用者さんの様子を伺い、他にも色々気にしたりと、いわゆる「マルチタスク」です。

私は障害特性上、同時に複数のことをするのがとても苦手なので、この仕事が実習でいちばん難しかったです。

ここで具体的に説明するのはちょっと難しいんですが、まあ何かしら忘れてました(スタッフさんが横についていて下さったので、問題はなかったですけど)。


他にも色々やりましたけど、主だったのはこれくらいで。

実習をして改めて感じるのは、得意なことと、苦手なことが鮮明に分かれていること。

一つのことに集中する仕事は得意です。

私には発達障害の他にも軽度の脳性麻痺もあって、手先の器用さを要することもあまり上手くありません。

今回の実習でも、そんな作業はありましたが、それは持ち前の集中力で意外と何とかなりました。


反面、同時にいくつものことに気を配らなねばならない仕事は、事前の予想通りやっぱり苦手でした。

かと言って、カウンターに立てない図書館員と言うのはさすがにお話にならないでしょう。

と言うか、図書館で働くのなら、やっぱりカウンターには立ちたい。

ですから、それを踏まえてマルチタスクをできるようにするための訓練を、事業所の担当職員さんと計画中です。


その辺りの成果も、いずれ書ければと思います。

今日はこんなところです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

味なことを言うCM

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最近、朝夕が急に涼しくなってきましたね。

季節の変わり目、皆さんもお身体にお気をつけくださいませ。



[JT CM] 日本のひととき 和歌篇 【公式】


さて、私はTVのCMを見るのが結構好きでして、特に味なセリフやフレーズが出てくるCMをみると、「おっ」と思います。

最近もそんなCMを見かけましたので、今日はちょっとその話をしようと思います(まずは上にあるそんなCMの動画をご覧ください)。


「会えない時間は、会っている時間より人を想っていました」

これって、恋そのものだと思いませんか?

だれかに恋をしていると、会っている時よりも、会えない時の方がその人のことを強く想っていると言うか。

逆に言えば、目の前にいないのにその人のことを強く想っている自分がいて、それで恋をしている自分に気づくと言うか。

とにかく、そんな恋心を絶妙に表現している気がします。


私は1度だけ、眠れなくほど人を好きになったことがあります。

あれほど強く人を好きになったことは、それ以前になくて、そして今のところ、それ以後もありません。

1度振られても諦めきれずに、随分悩んだりして、それも今となってはいい思い出ですが(笑)


このCMを見て、何やらその人のことを思い出しました。

何しろ、その人に恋をしている時は、このCMさながらに、会えない時にこそ、強く想っていましたから(笑)

今となってはもう会うこともないんですが、元気で、そして幸せでいてくれるといいな、なんてふと思ったりします。


さて、私はあと何度、「会えない時に人を想う」んでしょうか。

それは神のみぞ知ることですが、そんな風に想える人がいること自体が一つの幸福なのだと思います。



3篇 JT CM 日本のひととき 「茶道」「和食」「折り鶴」
[このシリーズのCMに出演しているのが、ニュージーランド出身のモデル、リヴ・オドリスコールさん。
ため息の出るような美人です。癒されます]


今日はこんなところです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

また、この記事をお気に召していただけましたら、シェアしていただけますと幸いです。

あなたは、何と出会いますか?

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[渋沢栄一(1840~1931)

現在の埼玉県深谷市に裕福な農民の子として生まれる。第一国立銀行(現・みずほ銀行)、王子製紙(現・王子製紙日本製紙)、帝国ホテル、東京証券取引所など、生涯に500を越える企業の創設に携わり、「日本資本主義の父」とも呼ばれる。
ちなみに余談だか、筆者の大学時代の卒論にはこの人の息子が出てきた。そういうこともあって、親近感を抱く人物]


いつも当ブログをご覧いただき、ありがとうございます。

実は最近、自治体の司書採用試験を立て続けに控えていたり、司書講座の定期試験があったりして、ブログをゆっくり書く時間が取れないのが悩みの種でございます。

それでもマイペースに更新を続けていきたいと思いますので、どうかよろしくお願いします。


さて、生きていれば人やら出来事やら、色々なものに出会いますよね。

素敵な異性と知り合う、気の合う友達と出会う、犬の糞を踏む、宝くじに当選するetc.

喜ばしい出会いもあれば、そうでない出会いもある。

今日は人生における「出会い」というものについて、少し考えてみたいと思います。

少しだけ、無理をして生きる (新潮文庫)

少しだけ、無理をして生きる (新潮文庫)


このブログでも何度もお出ましいただいている城山三郎さんのエッセイに「人は、その性格にあった事件にしか出会わない」という一編があります。

内容は読んで字の如しなんですが、よく「不幸な出来事にばかり遭遇したから、暗い性格になった」とか、逆に「幸運にばかり恵まれたから、明るい性格になった」式の論法を見かけることがあります。

けれど、これは果たして本当でしょうか?

城山さんは出会いが性格をつくるのではなくて、性格が出会いをつくるのだと言います。


例えば明治の大実業家の渋沢栄一

この人は、若き日に討幕運動に失敗して、京都の一橋家に逃げ込みます。

そこで持ち前の好奇心と学習欲で、色々なことを吸収して、そして意見を言う。

それが当主の一橋(徳川)慶喜の目に留まって、彼の弟に随行して、パリに派遣されて、そこでも色々と吸収する。

その知識を見込まれて明治政府に取り立てられたり、明治政府での経験が渋沢を実業家に転身させるきっかけになったりしたわけです。


あるいは、渋沢の従兄弟の喜作という人。

この人は、一橋家に逃げ込むところまでは、渋沢と行動をともにしますが、彼は一橋屋敷で剣術に打ち込む。

腕を見込まれて、幕府陸軍に入り、戊辰戦争を戦い抜きます。


渋沢と喜作の対照的な人生は、まさに「性格が出会いをつくる」の好例と言えるでしょう。


このエッセイを初めて読んだとき、正直私は意味がよくわかりませんでした。

けれど、最近になって段々わかってきた気がします。

自分で言うのも何ですが、大学を出てからの2、3年は、その10倍の時間を生きた気になるような、激動の人生だったと思います(今もその最中にいますが)。


明日も見えない日々で辛いことの方が多い日々でした。

でも、この時間があったからこそ、尊敬すべき人とたくさん出会えたし、自分の人格も前よりましになったし、何よりも自分が本当にやりたいことを見つけることができたのでしょう。

それというのも、良くも悪くも一本気で諦めの悪い性格故だったと、今では思います(笑)


自らの人生を切り開こうとする限り、天は人を、必要な出来事に出会わせ、必要な人に引き合わせてくれるのだと、なぜか今ではそう思えます。


今日はこんなところです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

また、冒頭でも申し上げましたように、近々自治体の司書採用試験を立て続けに控えておりますので、次にいつ更新できるかわかりません。

今日は息抜きの更新でした(笑)

読者の皆様におかれましては、気長にお待ちいただければ幸いです。

人が人であるために

いつも当ブログをご覧いただき、まことににありがとうございます。

お久しぶりです。

お元気でしたでしょうか?


さて、ダッダッダッダッダ、ダッダッダッダッダ、のメロディーと言えば、映画の「ターミネーター」です。

人類に反乱を起こした人工知能(AI)・スカイネットと、人類の時空を越えた死闘を描いたこの映画は、まさにSF映画の金字塔と呼ぶに相応しいでしょう。

かく言う私もこの映画のファンでして、子どもの頃からビデオやDVDを、それこそセリフを暗記するぐらい繰り返し見てました。


スカイネットは自我と高い知能を持ち、人類を滅亡寸前に追い詰めますが、スカイネットのように人類を越えるAIが今世紀中に誕生する可能性が、一部の知識人やメディアなどの間で、まことしやかにささやかれています。

いわゆる「シンギュラリティ(技術的特異点)仮説」と呼ばれる考え方ですが、それによると、2045年頃にはAIが人類の知性を追い越してしまうといいます。

AIが人類を追い越さないまでもあと10年、20年くらいで人間の仕事のかなりの部分がAIで代替されるという話もあって、就職活動中の身としては、結構気になる話だったりします(笑)


そこでAI関係の本や記事をよく読んだりしているんですが、その中でいちばんおもしろかったのが、今日ご紹介する1冊です。



著者は日立のコンピュータ・エンジニアから、情報学の研究者に転身し、歴史小説なども執筆し、文系・理系の枠に囚われない学際的な研究を展開する異色の研究者です(西垣通 - Wikipedia)。

本書もその例にもれず、単にAIの話だけでなくて、読み終わった後に、「人間とは何か?」、「意識とは何か?」というテーマについて、深く考えさせられました。。


著者はAIが人間のような知性や感性を持つことはあり得ず、人間の仕事を奪うこともないと断言します。

その理由は生物とAIが全く違う存在だから。

そして、生物とAIの違いは大きく二つある。


まず、人間を含む生物の意識が、全くの閉鎖系であるのに対し、AIはそれを覗き見ることができます。

例えば人間の場合、「彼が何故それをしたのか」ということは、推測することはできても、心を覗き見ることができない以上、それを知ることはできないわけです。

犬や猫、魚であってもこれは同じです。

しかし、AIの場合、あくまで機械ですから、結局はエンジニアが書いたプログラムに沿って行動しているに過ぎない。

一見不可解な動きをしたとしても、プログラムを分析すれば、その理由が分かるというわけです。


次にAIは、過去の膨大なデータを学習することができますが、逆に言うならばその枠を出ることができません。

対して人間は過去の経験に学びつつも、それを越えた飛躍や閃きというものをなし得る。

こうした未知の状況に対処する能力は生物の生存にとって、必須でしょう。

それをもたらす柔軟性で言えば、人間は群を抜いている。


[ウィル・スミス主演。汎用人型ロボットが普及した近未来の世界で、その開発者であるロボット学者が何物かに殺害される。
それをロボットによる犯行と睨んだロボット嫌いの刑事は一人捜査を開始するが、事件の裏には超高性能人工知能が人類に対して起こそうとしている反乱があった・・・
主人公の刑事がロボットと和解するラストシーンが好き]


それがいかに人間のように見えたとしても、AIもあくまで機械であり、コンピュータに過ぎないでしょう。

別に恐れたり、忌避したり、過度にありがたがることもない。

であるならば、人間とAIの付き合い方も見えてくるのではないでしょうか。


AIの利点とは、人間が逆立ちしても勝てっこない処理能力にある。

人間が処理し得ないような膨大なデータを解析し、そこから傾向や特徴を探り出したす。

人間が見落としてしまうような。

つまり、AIは人間の判断を助けるための有用な道具であるわけです。


ここで忘れてはならないのは、AIはあくまで判断を「助ける」存在であって、判断を「下す」存在ではないということ。

道具を使うのが人間であって、道具に使われてしまってはそれは人間であることを放棄したに等しい。


AIが音楽に感動して、自分も人を感動させる音楽を作ろうと思うことはあり得ない。

病気に苦しむ人に涙して、新しい薬を開発したいと思うこともないでしょう。

それはあくまで人間の仕事です。

ただ、その遠くて困難な道行きの足元を照らしてくれる、松明や懐中電灯にはなってくれるのではないでしょうか。


今日はこんなところです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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革命に賭けた男たち―『物語 フランス革命』

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[今日の主人公の一人、マクシミリアン・ロベスピエール(1758~1794)
本文中でも書いたように恐怖政治を推進しましたが、議員時代には死刑廃止を提案したこともあります。
「徳なき恐怖は忌まわしく、恐怖なき徳は無力である」という言葉は有名]


いつも当ブログをご覧いただき、ありがとうございます。

9月に入りましたが、まだまだ暑いですね。

そんな厳しい残暑には、暑い、もとい熱い男たちの物語はいかがでしょう。


安達正勝『物語フランス革命』。



近代民主政治の端緒となったフランス革命はおそらく知らぬ人はいないくらい有名な革命でしょう。

そのフランス革命が1789年のバスティーユ襲撃で始まり、1799年のナポレオン・ボナパルトの戴冠で終焉を迎えるまでの軌跡が、コンパクトに分かりやすく綴られています。



鈴木宏子「薔薇は美しく散る」
[フランス革命と言えば、ベルサイユの薔薇ベルサイユの薔薇と言えば、この歌。今日の本を読んでいる間、私の頭の中にもこの歌がずっと流れてました(笑)]


この本の特徴として挙げられるのが革命を、それに関わった人物を切り口に叙述していることでしょう。

ルイ16世や名だたる革命家たちの行動や思想、果てはパーソナリティが活き活きと語られていて、著者の思い入れが透けて見えます。


その中でも私がもっとも惹かれたのが、ジャコバン派の2大指導者、マクシミリアン・ロベスピエールと、ジョルジュ・ダントンです。


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[ジョルジュ・ダントン(1759~1794)
堂々たる体躯と、雷鳴のような声の持ち主で、彼の演説を聴いて奮い立たない人はいなかったとも言われます。危機的な戦況の中で、ダントンの演説は兵と民衆を大いに励ましました。]


ジャコバン派と言えば、フランス革命の代名詞のような党派で、国内で反乱が続出し、革命の波及を恐れた外国との戦争では劣勢に追い込まれる中、反対する人々を次々に処刑し、恐怖政治を施いたことで知られています。

ロベスピエールは恐怖政治を推進したまさに張本人で、対するダントンはそれよりは穏健な一派を率いていました(「寛容派」とも呼ばれています)。


ロベスピエールは、なかなかの美男子、女性にも結構もてたらしいですが、生涯独身、一説には女性との関係自体を持たなかったとも言われています。

そして、最高権力者になった後も小さな下宿に住み続けるなど、要は超ストイックな人でした。


片やダントンは、醜男、妻のことは情熱的に愛していましたが(自身が出張中に急死した妻の遺骸を掘り返し、それを元に胸像を作らせた!)、何度か浮気もしていたそうです。

おまけに対立する党派から賄賂を受け取っていたという説もあり、美食を好むなど、かなり享楽的な人物でした。


まさに正反対の二人ですが、この二人が革命家として両方人気があるのだから、おもしろい。


私は良くも悪くも人間臭いダントンに惹かれますが、ロベスピエールも結構好きだったりします。

ダントンは友達になりたいですが、ロベスピエールは尊敬はしても、あんまり友達になりたくないです(笑)。


さて、恐怖政治を行ったことで評価の分かれるロベスピエールですが、冷静に考えると同情の余地が結構あると思います。

国内は反対派の反乱で内戦状態。

そんな状態で四方八方から押し寄せる外国軍。

しかも、敵が装備も充実し、百戦錬磨なのに対し、フランス軍は装備も有り合わせ、兵士も指揮官もにわか仕立て。

勝っているのはやる気だけ、というような状態でした。

まさに内憂外患のお手本のような有り様で、そんな時に国を率いる身となってしまっては、ロベスピエールならずとも、ギロチン台に訴えても独裁政治をするしかないじゃないか、と思うかもしれません(それでも恐怖政治を肯定する気にはなれませんが)。


ロベスピエールは元々は正義感溢れる弁護士でした。

合法性を何より重んじる彼が恐怖政治を選択したのは、苦渋の決断だったのかもしれません。

せっかく芽生えた民主政治の芽を守るための。


恐怖政治に待っているのは、一つの陰惨な結末でしょう。

恐怖で人を押さえ込めば恨みを買い、恨みを押さえるために、さらなる恐怖が必要になる。

この悲惨な循環はいつか破綻する。


ダントンを処刑したロベスピエールですが、彼も遂に反対派のクーデターに遭い、失脚し、ギロチン台に立つことになります。

ロベスピエール亡き後、有力な指導者を欠いた革命政府は迷走。

やがてナポレオンの独裁に帰着します。

国王を殺した革命が皇帝を生んだのは、一つの皮肉ですが、ナポレオン帝政の下、民主政治の理念が制度的に確立して行くのでした。


フランス革命は、多くの犠牲を必要としました。

それ自体は実に痛ましい。

が、良し悪は別として、現代の民主主義はその犠牲の上にあるのもまた事実でしょう。

ならばせめて、民主主義によって与えられている自分の権利、義務、責任を大切にしたいものです。


今日はこんなところです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

また、この記事をお気に召していただけましたら、シェアしていただけますと、大変嬉しく思います。