ただ、だれかを好きになるって、やっぱりいいと思います
いつも当ブログをご覧いただき、ありがとうございます。
最近、例の"挑戦"が一区切りついて、これからの方針も立てて、緊張の糸が切れたのか、軽く燃え尽き症候群のような感じになっている半平です。
仕事が終わって、家に帰るとため息ばかりついたり、何もやる気がせずボーっとしたり・・・
心の燃料タンクがからになってしまったような状態で、新しい目標に向かって、色々しなきゃいけないけともあるんですが、前みたいにむくむくと意欲が湧いてこないというか・・・
一方で突き動かす何かも自分の中にあるので、騙し騙し、少しずつ勉強したりしてる状態です。
さて、今日は久々に恋バナをしたいと思います。
私自身が今恋をしているというのもありますが、今TVでやっている恋愛ドラマにハマっているもので。
それに半年くらい前に見た恋愛映画の話もしたいので。
どちらも、「だれかを好きになること」の良さを思い出させてくれる、いい作品だと思っています。
ドラマの方は、中学教師の末永聖(有村架純)と10歳年下の教え子・黒岩晶(岡田健史)の恋模様を描いく「中学聖日記」。
今度の火曜に最終回のドラマのダイジェスト映像を主題歌のUru「プロローグ」にのせて。
二人の切なくて苦しい恋が、実によく歌われている名曲です。
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そして映画の方は、17歳の女子高生・橘アキラ(小松菜奈)と、そのバイト先42歳のファミレス店長(大泉洋)の恋を描いた「恋は雨上がりのように」です。
主演の小松菜奈と店長役の大泉洋が原作のイメージにピッタリ。と言うか、小松菜奈かわいい。
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この二つの作品に共通するのは"年の差恋愛"と"禁断の恋"。
特に「中学聖日記」の方は、中学教師と中三の男子生徒という、はっきり社会的禁忌を犯す恋を描くドラマだったために、放送当初はかなり批判も多かったそうです。
私がなぜ、この二つの作品に共感できるのかと言えば、私もつい最近まで、10歳は年上であろう女性に恋をしていたから、そしてそれは禁断の恋と言えなくもなかった(不倫とかじゃないですよ、念のため)からだと思います。
結局色々考えて、相手の女性に思いを告げることなく、その恋は終わりましたが。
「中学聖日記」の晶にしても、「恋は雨上がりのように」のアキラにしても、まだ若いせいもあってか、恋する相手以外(あるいは相手のことすらも)見えていません。
まさに恋の情熱に突き動かされるままに行動していて、その姿はものすごく自己中心的ですらある(一応、お互いに惹かれあって行く展開にはなりますが)。
しかし、とても一途で純粋であるとも言えます。
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一見冴えない店長がアキラに惹かれつつも、手を出さずに"大人の男"としてアキラを導いていくのがかっこいい。こういう男に私もなりたい。
もちろん、恋には情熱だけでなくて、相手を思いやる気持ちも必要なわけですが、二人の姿を見ていると、"思いやり"を言い訳に、自分に嘘をついているだけなんじゃないかと気づかされます。
例えば私にしたところで、叶わないにしても敢えて告白して、きちんと振られるという選択肢もあったわけで。
相手の立場なんかを慮って思いを胸に秘めることにしたつもりで、実は自分が傷つきたくなかっただけだったり、叶わない恋を最後までやり遂げる強さがなかっただけだったり・・・。
少なくともそういう部分はあったと思うのです。
中年男性と女子高生の恋、教師と教え子の恋、どちらも社会の何らかのモラルに触れ、世間の多くの人から非難されるでしょう。
しかし、そこを取り払って考えれば、純粋に人が人を好きになって、惹かれ合うという構図だけが残る(もっと言えば、好きになった相手がたまたま、教師であり、教え子であり、中年男性であり、女子高生なだけだったとも言える)。
そしてそれは、とてもいいものだと思うのです。
その人のことを思うだけで胸が苦しくなったり、四六時中その人のことが頭を離れなくなったり、そこまでの恋をすることは人生でそう多くないのかもしれません。
あるいは一度もせずに生涯を終える人も少なくないのかも。
けれども、思いが強いからといって結ばれるわけではないし、本当に好きな人と結ばれることは、一生に一度あるかないかの幸運なのかもしれません。
けれど、たとえ多くの恋が挫折と失敗、涙に暮れて終わるとしても、人を好きになることには意味があると思うし、恋はすべきだと、少なくとも私は思います。
今の恋も正直見込みは薄いと思っていますが、今度は言い訳せず、後悔しないようにしたいと思います。
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聖は晶を突き放したり、寄り添ったり、教師と一人の女性の立場の間で揺れ動いていて、それが幼かったり不安定な印象を与えますが、そこが人間くさくて好きだったりします。
今日はこんなところです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
田舎のおっさんの偉大な仕事
いつも当ブログをご覧いただき、ありがとうございます。
ブログ再開から三日後の更新でございます。
これからは当面、休止期間中に溜まっていた"書きたかったこと"を書いていくことになると思います。
ですので、既に公開が終わっている映画の記事なんかをかなり書くことになるとおもいますが、悪しからず(今までもそうか(笑))。
さて、今日もそんな映画の一つ、「LBJ ケネディの遺志を継いだ男」を取り上げます。
皆さんは「ジョンソン大統領」をご存知でしょうか?
ケネディとニクソンという、なにかと話題の多い二人の大統領に挟まれて、少なくとも日本ではあまり知名度が高くないように思いますが、そのジョンソンを主人公にした伝記映画です。
題名の"LBJ"とは彼がケネディの"JFK"の向こうを張って、周囲にこう呼ばせていたことに由来します(もっとも、彼の支持者以外からは失笑を買っていたようですが)。
テキサス州の農場主の家庭に生まれる。教師や地元選出議員の秘書、テキサス州青年局長を経て、下院議員に当選。
その後、上院議員に転身。一九六〇年の予備選でケネディに敗れるも副大統領候補に指名される。
大統領としては、「貧困との戦い」を掲げ、社会保障制度の拡充などで成果を挙げた。反面、ベトナム戦争の泥沼化を止められなかった。それが原因で支持を失い、自身二期目となる六八年の大統領選に不出馬を表明し、政界を引退した。
物語はジョンソンがケネディと民主党大統領候補の指名を争った一九六〇年の予備選と、ケネディ政権下の副大統領としての日々を前半で描いたあと、ダラスでのケネディ暗殺を経て、大統領に昇格したジョンソンが公民権法案を成立させるところで終わります。
さて、このケネディとジョンソン、実に好対照な政治家でした。
片や東部上流階級の御曹司、片や南部のごく普通の中流階級の出身。
片や四〇代そこそこ、いまだに破られていない最年少大統領就任記録をつくる若き政治家、片や予備選時点で議員在任二〇年以上のベテラン政治家。
片やリベラル、片や保守。
片や洗練されたジョークで人々を笑わせ、片や下品な言い回しを連発し、人々を閉口させる。
・・・とまあ、ジョンソンは政治家でなければ、田舎のそこらへんにいそうなおじさんでした。
おまけに、副大統領として彼が担ったのは議会対策という、国民の目にも触れにくい地味な仕事。
国民の人気はケネディが独占し、メディアからは「何の権限もない」とか、「解任寸前」などと書かれ、ジョンソンはケネディへの嫉妬と劣等感を募らせます。
そんな鬱々とした日々が続くかと思われたある日、一発の銃弾がジョンソンの運命を変えます。
ケネディが暗殺され、急遽大統領に就任した彼は、動揺する閣僚たちをまとめ上げ、政治的空白を最小限にとどめると、既に審議入りしていた公民権法案を成立させるべく議会工作に乗り出します。
特に反対が予想されていた南部選出の議員たちに対して粘り強い懐柔を行い、その甲斐あって公民権法案は予想に反して圧倒的多数の賛成で成立するのでした。
法案成立時のジョンソンの感動的な演説で映画は幕を閉じますが、ジョンソン政権の功績は公民権法案だけでなく、メディケアやフードスタンプなど、現代に至るまでのアメリカの社会保障制度を整備したことにあります。
成立させた法案の数は歴代大統領の中でもトップクラスに登るなど、地味ながら実力派の大統領であると言えるでしょう。
さて、この映画のみどころは、「ジョンソンがいかにケネディの影を振り払うか」であると思います。
自らを"LBJ"と呼ばせたことに端的に表れていますが、ジョンソンはケネディにかなりの対抗意識を燃やし、同時に羨望していた。
そんなジョンソンが思いがけず、大統領に就任したとき、彼はどうしたのか。
ケネディが遺した最大の宿題の一つ、公民権法案を葬るのではなく、それを成立させた。
ジョンソンは南部出身ではありましたが、人種差別には反対しており、公民権法案にも賛成の考えでした。
だから、ケネディの代わりとしてでもなく、ケネディのやり方を真似るのでもなく、彼自身として、彼自身のやり方で法案を成立に導く。
人はだれでも自分より優れた(ように見える)を羨んだり、妬んだりすることがあると思います。
そして、闇雲にその人の真似をしたり、逆に全否定したり。
そして、そんな自分を嫌悪したり・・・。
けれども、そのいずれも必要のないことなのだと、私は思います。
もちろん、優れていると思う部分は取り入れればいい。
しかし、全てその人の真似をする必要はない。
自分なりのやり方で、自分の果たすべき責務に立ち向かう決意をしたとき、人は強くなれるのではないでしょうか。
劇中でも思いがけず、重責を担うことになったジョンソンは、苦悩します。
しかし、自分がどう転んでもケネディにはなれず、ジョンソンとして大統領の重責に立ち向かうしかないと気付いてからの彼の行動には迷いがなく、その姿は格好いい。
人はそれぞれに異なる役割と良さを持って、この世に生まれてきた、そんな気がします。
だから、「自分は自分」、それでいいんじゃないでしょうか。
今日はこんなところです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
明日のために、今日耐えろ
いつも当ブログをご覧いただき、ありがとうございます。
お久しぶりです。
実に半年ぶりの更新です。
お休みしている間も色々と書きたいことはあって、前々から言っていた"挑戦"が一段落しましたので、久しぶりに書いてみることにしました。
これを機にブログを再開したいとおもいます。
さて、例の"挑戦"ですが、まだ結果は出ていませんが、不本意な形に終わる公算が高くなりました(詳細はまだ明かせませんが)。
今までの人生で最上クラスに入れ込んで、努力をしたつもりなので、残念でなりません。
致し方ないとは分かっていても、悔しさのあまり夜も眠れずにいます。
しかし、悔しがってばかりいても始まらないので、今次の手を考えているところです。
さて、今回のタイトルはアニメの「宇宙戦艦ヤマト」に出てくる沖田艦長のセリフを元にしました。
圧倒的なガミラス艦隊に対して、沖田率いる地球艦隊は冥王星域で最終決戦を挑みますが、敗北します。
沖田は再起を期すべく撤退を命じますが、その命令を拒否するミサイル艦ゆきかぜ艦長・古代守に対して言ったのがこのセリフ、
明日のために今日の屈辱に耐えるんだ、それが男だ
今時のアニメではお目にかかれないような男くさいセリフですが、私はこの言葉が好きで、大きな失敗をしたときに思い出すようにしています。
アニメ「宇宙戦艦ヤマト」(オリジナル版)第1話前半。件のセリフは9:25あたり。
余談ですが、私が「ヤマト」でいちばん好きな登場人物は沖田艦長です。
そう言えば、リンカーンも大統領になるまでに八回選挙に落ち、二回破産したといいます。
さらに恋人にも死なれ、子どもたちにも次々に先立たれ、遂には今で言うところのうつ病になります。
しかし、リンカーンは諦めなかった。
自身の理念を分かってくれない有権者に対して以上に、それを理解させられない自分に対して憤り、悔しさをバネに遂に大統領になったのでした。
リンカーンは、例えば子ども向けの伝記で描かれているような、人種平等主義者でも博愛主義者でも人道主義者でもありませんでしたが、少なくともこの不屈の闘志だけは尊敬に値すると思うのです。
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奴隷解放を実現するために議員を買収する"ブラックなリンカーン"が描かれるのが見どころ。
それに倣って、そこに希望と可能性が僅かでもある限り、そこに賭けてみるべきなのかもしれません。
たとえ他人には愚かに見えたとしても。
幸か不幸か、私の挑戦には地球人類や国家の命運はかかっていません。
かかっているのはせいぜい、一人の無名の男の人生と幸福、それに夢と理想に過ぎません。
しかし、私にとってはかけがえのないそれらのために、私はまだ戦うつもりでいるのです。
今日はこんなところです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
嬉しい出来事、そして、ひとまずのさよなら
いつも当ブログをお読みいただき、ありがとうございます。
めっちゃお久しぶりです。
もう最後に更新したのがいつなのかもよく覚えてませんが、最近はブログ以外にやることができたので、ずっと休んでました。
けれど、どうしても書きたい、嬉しい出来事があったので、今日は久しぶりに筆を執ります。
私の書いた記事が初めて見知らぬ人のブログに取り上げられました。
仕事を辞めようと思っていたが、思いとどまろうとしている・・・ - 四十路だけど ばかやろう
私の記事がo8gさんの心にどんな風に響いたのかは分かりません。
けれど、元々「だれか一人でも読んでくれた人が少しでも元気になってくれる」ことを目指して書いているブログですから、私の言葉がo8gさんの心に少しでも何かを残したのならこんなに嬉しいことはありません。
さて、長いことブログを休んでいるのは決して語りたい言葉がなくなったからではありません。
相変わらず本を読んで、映画を見て、恋をして、人生や仕事や愛について考えています。
読書量に関してはむしろ増えていますし、答えのない問いについて、自分自身と対話している。
そこで出てきた言葉をだれかに伝えたいと思うことも多々あります。
しかしながら、ブログで不特定多数の人に発信する以上、考えを整理して、言葉を慎重に選んで、読者の皆さんに伝えられるようにしなければなりません。
その作業にはどうしても一定の時間と労力が必要なのです。
ところがいま私は、ある挑戦をしていて、ブログのための時間と労力さえ、その挑戦に投入したい。
一冊の本がだれかの人生を変えることがあるなら、一人の司書や一つの図書館が世界を変えることだってできる–それが私の夢ですが、この挑戦はその夢につながる一歩だと思っています。
皆さんに伝えたい言葉は依然として尽きませんが、人生にはその時々で優先順位があると思っています。
だから、その挑戦が一段落して、自分の中で区切りがつくまでブログは休止します。
いつかまた、言葉を伝える日が来るでしょう。
その日まで、ひとまず、さようなら。
今日はこんなところです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
思いよ届け、声にのって
いつも当ブログをご覧いただき、ありがとうございます。
一応まだ一月ですので言わせていただきます。
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
さて、今年に入って新しい趣味を始めたので、今日はその話をします。
私が始めた新しい趣味、それは朗読です。
月二回教室に通っています(と言ってもまだ二回しか行っていませんが)。
なぜ急に朗読を始めたかといいますと、いくつか理由があります。
まず元々本が好きであるということ。
次に昨年の秋にNHKで放送された朗読をテーマにしたドラマにハマったこと。
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偏屈な数学者(竹野内豊)が朗読教室に通い、そこでの人との出会いや朗読を通して変わっていく姿や、教室の先生(麻生久美子)との恋模様が描かれています。
お互いに傷を負った二人が徐々に距離を縮めて行く様子が胸キュンです(笑)
ちなみに、私が通っている教室の先生も麻生久美子に負けないくらい素敵なお姉様です。
そして、最後にこれも去年、仕事で初めて子供たちに絵本の読み聞かせをしたんですが、この時人に本を読んで聞かせるおもしろさに目覚めたことがあります。
朗読とか読み聞かせって、一人で何人もの登場人物を演じ分けなきゃいけないし、地の文の読み方もただ淡々としてればいいわけでなくて、作品や場面によって読み方を変えなくちゃいけない。
私は映画が好きですが、主演・助演、演出を自分の声だけでやるような、そんな難しさや奥深さがあるように思います。
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寺山修司「恋のわらべ唄」
“好きな人を指差したら 人差し指に花が咲いた”
このフレーズが好き。
という話をある人にしたら、「人を指差すなんて、そんな失礼な人嫌い」という至極もっともな反応が帰ってきました(笑)
それに、日本語というのは読むだけでも結構難しいらしいということに気づきました。
私は普段、本は黙読してますが、何気なく読んでいた文章もいざ声に出してみると、噛むし、読み間違えるし、読み落とすしで、我ながら愕然としています(笑)
「ただ書いてある通りに読む」、それだけのことが案外難しい。
最近ではラジオドラマや落語を聴いたりして、プロの技から何事か学ぼうとしています。
夜な夜な滑舌練習をしたり、色んな本を朗読して(隣の人ごめんなさい。なるべく小さな声で読むから許してね)いますが、そうやって自分で練習したり、研究すること自体を楽しんでいるところです。
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ある一組の男女が出会い、別れるまでを問答歌で綴った作品。
短歌の間に短い散文詩が挿入されています。
劇中でその中の一つを竹野内豊と麻生久美子が朗読するシーンがありますが、見ててめっちゃドキドキしました。
いつか、私も好きな人と一緒に読めるといいな。
私は司書ですから、なるべく多くの人、特に子どもたちに本を読む楽しさを知ってもらいたいと思っています。
けれど、本の楽しさや奥深さは、口で説明してもなかなか伝わるものでもないとも思う。
だから、朗読を通じてそれを伝えられたらいいなと思います。
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だれかに会いたくて、生まれてきた。見えない言伝を手渡すために–自分の大切な人に読んであげたくなる一冊です。
本には一冊、一冊書いた人の思いがあって、読む方もそれぞれの思いを持って読んでいて。
書いた人の思いや、読んでる人の思い、それを自分の声にのせて、だれかに届けたいと思うから。
だから、朗読を続けたいと思っています。
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ドラマの主題歌。JUJUマイ・ベストスリーには入ります。
“すれ違ってもこんなに声があふれて愛してる”のフレーズを聴くと、声や言葉が人間に与えられた素晴らしい贈り物だと、改めて思います。
今日はこんなところです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
なお、だいたい月一回の更新をしている当ブログですが、最近では他にやることも増えたので、これからは本当に書きたいことがあるときだけ更新したいと思います。
ますます不定期になりますが、どうかよろしくお願いします。
来年もキープオンゴーイング!
いつも当ブログをご覧いただき、ありがとうございます。
今年も残すところあと四日。
今日が今年最後の更新になります。
それでというわけでもありませんが、今年の振り返りと来年の抱負らしきものをちょっと書きたいと思います。
振り返ってみると、今年は夢中で走り続けていたような気がします。
ちょうど、去年の初めから就労移行支援事業所に通いだして、それから間も無くして司書になるための勉強を始めて。
初めは事業所の所長さんに勧められて、「就職先候補の一つ」くらいに考えていたのが、いつの間にか本気になって。
何度か図書館で実習させてもらったりもして、図書館の仕事が本当に好きになりました。
今年の夏から図書館に就職してもそれは変わりません。
もちろん、図書館には色々な仕事がありますから、中には苦手なこともあります。
と言うより、苦手な仕事の方が実は多いのかもしれません。
レファレンスや読み聞かせをしたりもしますが、自分の未熟さを痛感する方が多い。
それでもなお、この仕事が好きだと思います。
その理由は自分でもよく分かりません。
人を好きになる時もその理由はよく分からなかったりして。
あるいは、欠点も色々あるけど、なぜかその人が特別で。
その様なものかもしれません。
私がなぜ働くのか、その理由はいつも自問していますが、二通りの答えがあると思います。
まあ、たいていの人は大前提として生計のために働いている。
働くことは、言ってしまえば自分の時間を切り売りしてお金に変えることでもあります。
私もそれは否定しませんし、私自身も現にそうしている。
けれど、自分の時間、つまりは自分の命そのものを単に切り売りしているだけと割り切ってしまうのは、あまりに虚しいし、第一楽しくない。
だから私は、たとえ偽善と言われようと、強がりと言われようと、お金や生活以外の働く意味を見出したい。
それは第一に、まず仕事それ自身のため。
別にだれかに感謝されたいわけでも、賞賛されたいわけでもなく、ただこの仕事がしたいから、だから働く。
もちろん、感謝や賞賛を欲する気持ちもありますが、それだけを求めるのも、やっぱり虚しい。
それに他者の賞賛のために働くということは、つまり他者への依存に他ならないと思うのです。
だから、自分がそれをしたいがために働くのです。
第二に、自分とだれかの幸せのために働く。
私は自分の人生をだれよりも幸せなものにしたいと思っています。
しかしそれは、自分の幸せを追い求めるだけでもできないとも思います。
もっと言えば、だれかを幸せにすることを通してでしか、自分の幸せも実現されないのだと思っています。
良くも悪くも人は人の間でしか生きられないもの。
であるならば、自分以外の全員が不幸で自分だけが幸せな世界はあり得ない。
だれかを幸せにすること、だれかを生かすことが、結局は自分を幸せにし、自分を生かすのだと思っています。
もちろん、その手段は仕事だけとは限りませんが、仕事は重大な一つではあるでしょう。
このような考え方を仏教では「共生(ともいき)」と呼ぶそうです。
自分の幸せや利益だけを追求するのは、餓鬼や修羅の道であり、そこに安らぎはないのでしょう。
さて、詳しくはまだお話できませんが、来年は一つ挑戦をしようと思っています。
それはたぶん困難な挑戦で、どうなるか分かりません。
けれど、それがより良い仕事、ひいては自分自身の幸せにつながると思っています。
だから最善を尽くし、挑戦するだけです。
来年もキープオンゴーイング(前に進み続けよう)!
今日はこんなところです。
今年も当ブログをお読みいただき、ありがとうございました。
来年もよろしくお願いします。
それでは、良いお年を!
縁あれば殺し、縁なくば殺さない
いつも当ブログをご覧いただき、ありがとうございます。
クリスマス・イヴもクリスマスも仕事の半平でございます。
明日はたぶん、子供たち相手に絵本の読み聞かせをしているでしょう。
さて、のっけから物々しいタイトルですみません。
これは浄土真宗の開祖・親鸞が弟子の唯円に語ったとされる言葉ですが、後で出てきますので少々お待ちを。
最近は映画の話をよくしている気がしますが、今日も映画の話です。
今日取り上げるのは、「最低。」。
AV女優の紗倉まなさんの同名小説が原作で、今年の東京国際映画祭で上映されたことでも話題になりました。
ギクシャクした家族から逃げるように上京し、AV女優として多忙な日々を送る彩乃、平凡な日常に耐えきれずにAV出演を決意する主婦・美穂、元AV女優の奔放な母親に振り回される女子高生・あやこ。
唯一“AV”という共通点のある三人の女性たちの人生の交錯を描く群像劇です。
私も男ですから、毎晩のようにAV女優の皆さんのお世話になるわけで、彼女たちの人生や、AVの舞台裏にも前々から興味がありました。
それを現役のAV女優が小説にし、しかもそれが映画になると来れば見に行かない分けには行かないわけで。
そして、その期待は裏切られませんでした。
ただ単に、AVの舞台裏を知るというだけでなく、人間や人生についても考えさせられる、なかなかいい映画でした。
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AV、あるいはそれに限らず、性産業に従事する女性には色々と背景なり事情があるでしょう。
止むに止まれず、それを選んだ人ももちろんいるでしょう。
何より私自身、そんな女性たちのお世話になっている以上、それを批判したり、軽蔑する資格などないし、その気も毛頭ありません。
それでも、少なくともこの映画の三人に限って言えば、ある種の“幼さ”明らかな思考の偏り、選択の愚かさがあるように、正直思いました。
映画を見ている人は、登場人物や状況を俯瞰した視点から見ている分けで、それだけにそういった点が余計にはっきりと見えるようで、見ていてちょっとした苛立ちすら覚えました。
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その苛立ちを感じた時、思い出したのが今日のタイトルになっている言葉。
親鸞は語ります。
「私は人を殺したことはないが、それは私が善人だからではなく、それをする縁がなかっただけである。縁さえあれば百人でも千人でも殺していただろう」と。
親鸞に言わせれば、この世に絶対的な善人などおらず、条件さえあればだれもが悪をなし得る。
それを自分だけは例外である、あるいは自分が悪をしないのは自分が善人だからだ、などと考えるのは、思い上がりなのだと言います。
そして、その上で悪をなし得る全ての生きとし生けるものこそ、救われるべき存在なのだと説きます。
親鸞(1173〜1263)
この映画に即して言えば、例えばもし私が女性で、彼女たちと同じ立場に立たされた時、同じ選択をしないという保障はないのです。
そのことに気づいた時、私は自分の思い上がりにも気づかされた気分でした。
この世に男のいる限り、性産業はなくならないでしょう。
しかし、一方で性産業はやはり“日陰”の存在であり続けるかもしれない。
そこで働く女性たちは、特別な存在などではなく、我々と同じようにただ自分の人生を必死に生きている。
この世に必要な仕事をしているのだから、もっと社会で受け入れられて欲しいとも思います。
安易な同情や、増してや憐れみなど、人に対する侮辱でしょう。
それに彼女たちを“消費”している私が、こんなことを言えた義理ではないかもしれませんが、それでも彼女たちには幸せになって欲しいと、思わずにはいられないのです。
今日はこんなところです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。