民主主義はじめて物語
今、アメリカでは大統領予備選の真っ最中です。
ドナルド・トランプ氏のような候補者が相当数の支持を集めているのを見ると、民主主義というものについて色々と考えさせられます。
(ドナルド・トランプ 1946~)
さて、民主主義の源流の一つが古代ギリシャの都市国家・アテネにあることは、多くの人々が認めるところでしょう。
今日はそんなアテネの民主政について書かれた本を紹介します。
- 作者: 橋場弦
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2016/01/09
- メディア: 文庫
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一般にアテネ民主政と言えば、前5世紀のペロポネソス戦争の敗北を境に衆愚政に堕して行ったという見方が強いですが、著者はこの見解に異を唱えます。
確かに、衆愚政と呼ばれても仕方のない面もあった。
しかし、アテネ人は自分たちの民主政の改良を続け、ペロポネソス戦争によって覇権国の地位を失ってからこそ、その制度的洗練度は増した―これが本書で示されている見解です。
私はギリシャ史は詳しくないんですが、むしろ、だからこそ、こういった未知の見解を読むのは非常に楽しく、この本も一気に読んでしまいました。
(最盛期のアテネを率いた政治家・ペリクレス。ペロポネソス戦争中に疫病で没した。 前495~429)
著者は「参加と責任」こそ、アテネ民主政の基本理念であったと説明します。
アテネ市民(純血のアテネ人男性に限られていた)であればだれもが政治に参加することが求められ、同時にその責任も負いました。
それは現代で言うところの参政権に留まりませんでした。
アテネでは末端の行政官でさえ、市民の中から抽選で選ばれました。
彼らは当然ながら素人でしたが、不正はもちろん、行政官としての責任を果たしていないと見なされると重罰に処せられることもありました。
(デロス同盟の勢力範囲。加盟国から納められる「同盟貢租」はアテネの覇権を支えた。 赤がアテネ領。黄色は加盟国)
まさかアテネの制度を現代の日本にそのまま導入するわけにもいきませんが、参加と責任というのは、いつの時代にも共通する民主主義の基本理念であると思います。
そして、現代の日本でその理念が実現されているとは、どうも言い難い(苦笑)。
最終的にアテネは、北方の大国マケドニアの属国になります。
一応、民主政は温存されますが、事実上独立国家としての主権を失います。
そして、そこからアテネ民主政の崩壊が始まります。
(ギリシャの諸都市を征服したマケドニア王・フィリッポス2世。アレクサンダー大王の父にあたる。 前382~336)
それが具体的にどのような様相を示すのかは本書を読んでいただくとして、思うに国家にせよ、あるいは個人にせよ、自分で自分のことを決められなくなった時、あるいはその意志を放棄した時、真の意味での堕落が始まるのかもしれません。
逆に言えば、自分で考えた末のことなら、過ちや悲劇であったしても、堕落ではない。
真に恐れ、忌むべきなのは、過ちを犯すことではなく、自ら考えることを捨て去ることであると思います。
たとえ結果的に間違いであったとしても、国の行く末から自身の身の振り方まで自分の頭で考えたい。
そんなことを考えさせられた、アテネ民主政の歴史でした。
今日はこんなところです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。