絶望と希望は案外仲良し(かも?) その② カフカ編ー頭木弘樹(編訳)『希望名人ゲーテと絶望名人カフカの対話』
(フランツ・カフカ 1883~1924)
どうも、ご無沙汰してます。
最後の締めの文でなかなか納得のできるものが書けずに遅くなりまして、どうも、すみませんでした。
さて、『希望名人ゲーテと絶望名人カフカの対話』よりゲーテとカフカの名言をお送りする2回シリーズ。
今日はカフカ編です。
それでは早速行ってみましょう!
- 作者: フランツ・カフカ,ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ,頭木弘樹
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朝の希望は、午後には埋葬されている
希望なんてものは、たいてい儚いのかもしれません。
けれど、たった半日の命であるとしても、次の朝には新しい希望が生まれてるわけで。
ぼくがどの方向に向きを変えても、真っ黒な波が打ち寄せてくる。
どんな方向からも波が打ち寄せてくる。だとしたら、逆らうか、波に乗るか、自分で波を起こして打ち消すか・・・いずれにせよ手がないわけじゃない。
- 作者: フランツ・カフカ,Franz Kafka,高橋義孝
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(言わずと知れたカフカの代表作。どちらかと言えば暗い話として知られていると思いますが、カフカ当人はこの作品を朗読する時、笑いを堪えきれなかったんだとか)
ぼくは自分の状態に、果てしなく絶望している権利がある
何も言うまい。
落ち込んでもいいし、泣いてもいいんだよ。
もっと大きなことで自分を試そうとすべきだ、と君は言う
たしかに、そうかもしれない
だが、大小で決まることでもないだろう
ぼくは、ぼくのねずみの穴の中でも自分を試せるはずだ
ゾウにはゾウの、ネズミにはネズミの、それぞれに見合った住処というものがあります。
別にどちらが偉いというわけじゃない。
ぼくの中に可能性があるのだ。
ぼくのまだ知らない可能性が。
そこへの道を見つけ出せたらいいのだが!
突き進んで行けたらいいのだが!
私の今の心境です。
もしぼくが赤の他人で、ぼくと、ぼくのこれまでの人生を観察したなら、次のように言わざるをえないだろう
すべては無駄に終わるしかなく、迷い続けている間に使い果たされ、創造的なのはただ自分を悩ませることにおいてのみだと
しかし、当事者であるぼくは、希望を持っている
そう!
どんな境遇だろうと、他人がどう見ようと、自分は自分に希望を抱いている。
これが大事なんだと思います。
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(『審判』、『失踪者』と並ぶカフカの長編ですが、いずれも未完です。『城』は、ある古城に呼ばれた測量士がどうしても城に辿り着けない話)
ここでフランツ・カフカという人について少し。
カフカは1883年、当時オーストリア・ハンガリー帝国領であったプラハで生まれました。
彼の残した日記や手紙にはネガティブな言葉が数多く綴られています。
それだけ見ると、かなり悲惨な人生の持ち主だったのかと思いきや、必ずしもそうとは言えません。
「労働者災害保険協会」の職員として、人並みに出世し、結婚はしませんでしたが、生涯に3人の恋人を持ちました。
40歳で早世したことを除けば、まず平穏な人生だったと言えるでしょう。
カフカの言葉は、一見ネガティブなようでいて、よく読むとポジティブなものが多い。
それはゲーテが希望の光を強調しながら、絶望の影に目を向けていたのと好対称をなしているように思えます。
そして、二人とも何だかんだで自分の人生を肯定する言葉を残しているところは驚くほど似ている。
たくさん泣いて、たくさん悩んで苦しんで、一方でたくさん笑って楽しんで、そして愛して。
その果てに自分の人生に心からイエスと言う。
おそらく二人がそうしたように、私の人生もそのようにしたいと思います。
それでは、最後に私が好きなカフカの言葉を一つ。
救いがもたらされることは決してないとしても、ぼくはしかし、いつでも救いに値する人間でありたい
今日はこんなところです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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