半平流! シンプルで分かりやすい三国志講座(前編)
先日、三国志の記事(北方三国志を語ろう!―曹操に恋した瞬間 - 半平のきまぐれ日記)をアップしたところ、読者の方から「そもそも三国志がどんな話かよく分からない」というお声をいただきました。
そこでまことに僭越ながら、私が理解している限りで、なるべく分かりやすく三国志を解説をさせていただきたいと思います。
今回はその前半戦ということで、三国志前半のクライマックス・赤壁の戦いまでの話をいたします。
(三国の勢力図)
【第1講 そもそも“三国志”ってなに?】
古代中国の後漢時代(25~220)の末期、王朝は衰え、群雄割拠の時代が訪れました。
それらの群雄たちは淘汰されて行き、やがて魏、呉、蜀(蜀漢)という三つの国が成立します。
この三国が並立した時代と、その前の群雄割拠の時代が「三国時代」と呼ばれています。
『三国志』は西晋(※1 註釈は記事の最後にまとめてあります)の官吏であった陳寿が編纂した歴史書のことです。
三国の興亡史がそれぞれ、『魏志』、『呉志』、『蜀志』としてまとめられており、それらを総称して『三国志』(以下、“正史”)と言っています。
時代は進んで明の時代(1368~1644)、羅貫中が正史と三国志に関する民間伝承などを元にして、小説『三国志演義』(以下、“演義”)を書きました。
この正史と演義を中心とした三国志の物語が後世様々な作品を生み出すことになります。
(三国志前半の主な群雄たち)
【第2講 フローチャート風三国志―黄巾の乱から赤壁の戦いまで】
ここからは一般的に三国時代の始まりとされる黄巾の乱(※2)から、三国志前半のターニングポイント・赤壁の戦いまでを、ざっくりとフローチャート風にご説明します。
①後漢で政治の腐敗が進み、民衆が悪政に苦しむ。
↓
②民衆の不満が高まり、宗教にすがりだす。
↓
③黄巾の乱が起こる(184年)。
↓
④反乱の鎮圧に曹操、劉備ら後に群雄となる面々が参加。
↓
⑤黄巾の乱鎮圧。しかし、依然として全国で起こる反乱。それらの鎮圧のために有力な武将たちが派遣される。
↓
⑥武将たちが派遣先の地方を統治し、抗争を起こし出す(群雄割拠の始まり)。
↓
⑦何やかんや(※3)で華北地域(長江より北の地域)では、曹操と袁紹の二人が生き残る。
↓
⑧曹操と袁紹が激突!曹操が勝利する(200年、官渡の戦い)。
↓
天下を統一すべく、曹操軍が南下。孫権・劉備連合軍と戦う(208年、赤壁の戦い)。
赤壁の戦いでは孫権・劉備連合軍が勝利し、曹操の天下統一を阻止します。
この戦いを機に時代は三国並立に動き出しますが、その話は次回の記事で。
今日はこんなところです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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【註釈】
(※1)この国が三国を最終的に統一します。でも、三国のいずれでもありませんね。この辺の事情は最終講で。
(※2)道教系の教団「太平道」を中心とした民衆反乱。多くの民衆が参加し、古代中国最大の民衆反乱とも言われる。
(※3)都で董卓という武将が実権を握ったり、その董卓が暗殺されたり、劉備が各地を放浪したり、孫一族が呉の礎を築いたり、色々ありました。