半平のきまぐれ日記

ADHD(注意欠陥多動障害)の会社員が本を読んで、映画を見て、あるいはその他諸々について思ったことを気まぐれに綴ります。(※本ブログはAmazonアソシエイトを利用しています。また、記事中の画像は、断りのない限りWikipediaからの引用、もしくはフリー素材を使用しています)

暑さと寒さから逃れる方法

いつも当ブログをご覧いただき、ありがとうございます。

最近は挨拶代わりに言ってますが、いやー、暑いですね(笑)

暑さが人一倍嫌いな私は、夏が来る度にシベリアに行きたいと思ってます。

共感して下さる方も多いかと存じますが(え?いないって)、今日はそんな皆さんにぴったりの話をしようと思います。


禅の公案(昔の高僧の逸話や言葉の意味を考える禅宗の修行の一つ)に「洞山無寒暑」という話があるんですが、それはこんな話です。

中国は唐の時代の高僧、洞山和尚のところにある日弟子がやって来て言いました。



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[洞山(807~869)

曹洞宗の開祖として著名。「曹洞宗」の名も洞山禅師の名と、その高弟である曹山禅師の名から取られたという説もあります]


「和尚様、私は暑さ寒さが大の苦手です。何とか逃れる術はありませんか?」

何やら修行僧として適性を疑いたくなりますが、彼とはよい友達になれそうです。


洞山和尚、そんな弟子に呆れもせずに答えます。

「なぜ、暑さ寒さのないところに行かないのだね?」


「そんな場所があるのですか?!」と思わず身を乗り出す弟子に、洞山和尚は涼しい顔でさらに一言。


「暑さに徹しきれば暑さを忘れ、寒さに徹しきれば寒さを忘れる」


洞山和尚が暑さ寒さに弱かったかどうかは知りませんが、この問答は夏と冬の快適な過ごし方を話しているのではありません。

ここで言う暑さ寒さは、人生の暑さと寒さ、つまり失敗や挫折、悩みや苦しみ、悲しみを暗喩している(ちなみに、弟子の名誉のために言っておくと、彼もこのことは承知していて、その上で師僧に問答をしかけています。たぶん)。


公案夜話(こうあんやわ)―日々にいかす禅の智慧

公案夜話(こうあんやわ)―日々にいかす禅の智慧

(今日紹介した公案は、この本で詳しく解説されています。他にもおもしろい公案がたくさん載っていますので、ぜひご一読を)


ちなみに、私は最近(また)就職試験に失敗し(この試験かについては過去記事ちゃんと負けて、前に進め - 半平のきまぐれ日記参照)、(また)失恋しました(この恋については過去記事恋わずらいにつける薬―今野敏『隠蔽捜査3 疑心』 - 半平のきまぐれ日記参照)。

まさに人生の暑さと寒さが同時に押し寄せてきた気分です。

どちらの経験も過去に何度もしてきたし、覚悟もしてたはずなのに、それでもやっぱり傷つく。


けれど、傷心を抱えながらも立ち直るまでの時間は確実に短くなってきているし、その経験を建設的な方向に活かそうとする意欲も強くなっている。

これはたぶん、進歩でしょう。


リアルな暑さ寒さはエアコンで何とかなる。

人生の暑さ寒さにも一時的な退避が必要な時もあるでしょう。

ちょうど風邪で寝込んでいる人には運動で体を鍛えるよりも、暖かいベッドでの静養が必要なように。


けれど、結局は逃れ得ないのが人生の暑さ寒さなのでしょう。

必ずどこかで向き合わなきゃいけなくなる。

挫折や失敗、悩みや苦しみに出くわすその度に、のたうち回り、泣き叫びながらでも自分の答えを探すことをすればいいんだと思います。

そうやって必死に答えを探すうちに、暑さも寒さもどっかにいってしまうんじゃないでしょうか。


災難に逢う時節は災難に逢うがよく候。死ぬる時節は死ぬるがよく候。これ災難を逃るる妙法にて候
―江戸時代の禅僧、良寛和尚が地震で被災した知人に宛てた見舞状の一節―


今日はこんなところです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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