カネ、セックス、スキャンダル、そして“栄光”
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[ビル・クリントン(1946~)
記事の中にもあるように、客観的に見れば幸福とは言い難い子ども時代を過ごしましたが、子どもの頃からそれを感じさせないような明るく、人当たりのよい性格であったといいます。
下院議員選と知事選に1回ずつ落選するなど、何度か大きな挫折も味わいますが、その度に素早く立ち直るのは、天性の資質と幼少期の経験のなせる技でしょうか]
アメリカ大統領選挙でドナルド・トランプ氏が“予想外”の勝利を納め、世間を驚かせたのはまだ記憶に新しいところです。
予想外とは言われましたが、、正直なところ私は50:50でトランプの勝利があり得ると考えていて、むしろ世間の驚きぶりの方が不思議なくらいでした(今更言っても詮ないことですが)。
“専門家”やマスコミが軒並みヒラリー勝利を予想したのも、トランプ支持を口にできなかった有権者が多くいたのと同じように、トランプ勝利を言いづらい雰囲気でも言論界にあったのかと、割りと本気で思っています。
それはさておき、今日は選挙に敗れたヒラリー氏の夫、ビル・クリントン氏の話をしましょう。
西川賢『ビル・クリントン』
ビル・クリントン - 停滞するアメリカをいかに建て直したか (中公新書)
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いきなり個人的な話で恐縮ですが、93年から01年にかけてアメリカを率いたクリントン大統領は、私にとっては記憶に残る最初のアメリカの大統領だったりします(ちなみに、日本の首相では小渕さんあたりから記憶にあるかな)。
ビル・クリントンは、1946年にアメリカの中でも比較的貧しい、南部アーカンソー州の田舎町に生まれました。
出生の直前に実父が事故死し、母親の再婚相手に暴力を振るわれるなど(ちなみに、“クリントン”はその継父の姓)、お世辞にも恵まれているとは言い難い少年時代を過ごしました。
[アーカンソー州の位置]
しかし、その環境からイェール大学に進学し、同大ロースクール助教授、アーカンソー州司法長官を経て、アーカンソー州知事に就任します。
そして、アーカンソー州知事在任中に92年の大統領選挙に民主党から出馬。
見事当選を果たし、カーター政権以来、12年ぶりの共和党からの政権奪還を果たします。
在任中は、北アイルランド、パレスチナ、旧ユーゴスラビアなどの国際紛争の調停に積極的に乗り出し、ソ連崩壊後のロシアの民主化・自由経済化を支援するなど、ポスト冷戦の国際秩序建設に奮闘しました。
また、内政面ではlT産業を起爆剤とするアメリカの戦後最長の好景気を実現し、一時的にせよ財政の黒字化を実現するなど、業績は枚挙に暇がありません。
ブッシュ政権以来、迷走気味のアメリカで年々評価が高まってきているというのも頷けます。
一方で、クリントンには別の一面がありました。
それは、スキャンダルにまみれた政治家であるということ。
アーカンソー州知事時代のものも含めて、代表的なものだけを挙げても、不動産投資に関わる不正疑惑、クラブ歌手との不倫疑惑、徴兵忌避疑惑、そして、モニカ・ルインスキーとの“不適切な関係”・・・。
特に不動産投資疑惑に関しては、側近が不審死を遂げ(後に自殺と認定)、妻のヒラリー共々特別検察官の捜査を受け、これが元でクリントンは議会による弾劾を受けています(ニクソン以来、史上3人目)。
“偉大な業績”と“卑小なスキャンダル”。
往々にして政治家とは、叩けば埃も出て、ある種の二面性を持っているものですが、クリントンほどそれが極端で、陰影がはっきりしている政治家も珍しい気がします。
ビルとは1歳違いの47年生まれ。ビルとは違い、ごく普通の中流家庭で生まれ育ちました。高校時代に共和党から民主党支持へと転向。高校の卒業式で来賓としてきた議員のスピーチに反論するなど、若い頃から気は強かったんでしょうか。
別にこの人のこと好きじゃありませんが、2度も有力視されながら大統領の座を逃したのは、気の毒に思わなくもない。年齢的に次のチャンスはないだろうし・・・]
筆者の西川氏がクリントンの最大の功績としているのが、リベラル一辺倒でも保守一辺倒でもない「中道政治」を打ち立てたということ。
それは、民主党と共和党の政策の「つまみ食い」で、多分にご都合主義的ではありますが、左右に両極化し、危機を迎えつつある現代アメリカの(あるいはアメリカだけでなく、日本も含む多くの先進国の)民主政治においては、顧みられるべき手法ではないかとしています(ただ、一方で筆者も言う通り、クリントンが政治の倫理や道徳を貶めた責任の一端が間違いなくあるわけで、そこがこの政治家の評価を難しくしているわけですが)。
私も概ねこの考え方に賛成です。
なんと言うか、クリントンのやり方を見ていると、55年体制時代の自民党を思い出します。
自民党も“保守政党”を名乗りながらも、福祉や環境などの分野でライバルの社会党の政策を無節操に取り入れることで、政権の延命を図った。
けれど、結果的には問題も色々あったけれども、“大過ない”政治を実現した側面はあると思います。
こう言う、いい意味での“いい加減さ”や“無節操さ”が現代の政治、そして社会から失われて行っているような気がしてなりません。
“白か黒か”、“正しいか間違っているか”、“敵か味方か”で別れる社会は、一見正しくて、分かりやすいようでいて、実は物凄く不寛容で柔軟性を欠いていて、つまりは脆弱で危険であるのではないでしょうか。
これが私の杞憂であるといいんですが。
いずれにせよ、このテーマについては自分なりにまだまだ考えて、もっと勉強したいところです。
考えがある程度まとまれば、またここでも書きたいと思いますが、今日はこの辺で。
今日はこんなところです。
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