半平のきまぐれ日記

ADHD(注意欠陥多動障害)の会社員が本を読んで、映画を見て、あるいはその他諸々について思ったことを気まぐれに綴ります。(※本ブログはAmazonアソシエイトを利用しています。また、記事中の画像は、断りのない限りWikipediaからの引用、もしくはフリー素材を使用しています)

“出会い”がくれた数式(映画「奇蹟がくれた数式」)

いつも当ブログをご覧いただき、ありがとうございます。

最近は司書の資格取得が佳境に差し掛かってまして、趣味とは言え、あまり更新できずに歯がゆく思っているところです。

週1どころか、2、3週、あるいは月1くらいの更新になるかもしれませんが、一人でも読んで下さる方のいる限り、書き続けるつもりですので、どうぞよろしくお願いします。


f:id:hanpeikun:20161205000122j:plain
[シュリニヴァーサ・ラマヌジャン(1887~1920)]


さて、皆さんはラマヌジャンという数学者をご存じでしょうか?

一般的な知名度は低いかもしれませんが、人知を越えた才能で「インドの魔術師」と呼ばれた天才数学者です。

わずか32歳で夭逝しましたが、死後100年近く経った今でも、彼の遺した膨大な研究の解析に世界中の数学者が挑んでいるといいます。


そんなラマヌジャンの生涯を描いた伝記映画「奇蹟がくれた数式」が先日公開されまして、私も見てきましたので、今日はそれについて書きたいと思います。


無限の天才 新装版 ―夭逝の数学者・ラマヌジャン

無限の天才 新装版 ―夭逝の数学者・ラマヌジャン

[この映画の原作本。けど、かなりお高い。こんな時はそうだ、図書館へ行こう!]


ラマヌジャンは、当時はまだイギリスの植民地だったインドで、カースト最上層のバラモンの家に生まれました。

15歳の時にある数学の本を読んで以降、数学の魅力に取りつかれ、研究に没頭します。

大学には入りましたが、数学の研究に夢中になり過ぎたのが災いし、中退。

それでも研究を続けますが、あまりにも我流であったため、その才能はあまり認められませんでした。

直感的に数々の公式を導き出すものの、それを証明するのが、彼は苦手だったのです(と言うか、証明の必要性を理解していなかった可能性が高い)。


自分の研究成果を認めた手紙を遠くイギリスにまで送り、それが当時ケンブリッジ大学を代表する数学者であった、ハーディーの目に留まり、ケンブリッジに招聘されます。

渡英したラマヌジャンは早速ハーディーと共同研究を始めますが、特に緻密な実証を重んじるハーディーと、直感型のラマヌジャンは激しく衝突してしまい・・・というのが、この映画のあらすじです。


数学の魔術師たち (角川ソフィア文庫)

数学の魔術師たち (角川ソフィア文庫)

[私がはじめてラマヌジャンを知ったのがこの本。一応、「小学生でも読める」ように書かれてるらしいんですが、半分も理解できませんでした。で、この前読み返したら、初めて読んだ時より理解できなくなっていた。あれ?]


ラマヌジャンとハーディーは数学のスタイルだけでなく、あらゆる点が正反対でした。

ラマヌジャンが敬虔なヒンドゥー教徒なのに対し、ハーディーは独身。

ハーディーは独身だけど、ラマヌジャンはインドに妻を残してきている。

ラマヌジャンは叩き上げ、ハーディーはエリート・・・。

おまけに根は優しいんだけど、人情の機微を読むのが苦手なハーディーはラマヌジャンの孤独や苦悩が分かりません。

こんな二人がただ、数学への純粋な情熱によって結ばれて、やがてただの共同研究者を越えた友情を育んで行くのだからおもしろいものです。


結局のところ、ラマヌジャンがアイデアを出し、ハーディーがそれを証明する形で共同研究は進み、僅か数年の間で数々の偉大な業績が生み出されます。

ラマヌジャンと、ハーディーのどちらが欠けても生み出されなかったであろう業績が。

どちらも天才的な数学者ではありましたが、おそらく一人だけでは歴史に名を残すことはできなかったでしょう。


ハーディーとラマヌジャンに限らず、アインシュタインニュートンも、他にも多くの天才たちの仕事が、無数の出会いの果てになされたものなのでしょう。

どんな天才たちも決して一人で歩くことはできない。


ましてや、私のような努力してようやく凡才の人間は、なおさらそうでしょう。

だからこそ、一つ一つの出会い、たとえ祝福せざる出会いでも人生の肥やしくらいにはなるのですから、それを大切にしたいものです。


今日はこんなところです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

また、この記事をお気に召していただけましたら、シェアしていただけますと、大変光栄です。