ありもしない縄に縛られる
いつも当ブログをご覧いただき、ありがとうございます。
春は出会いと別れの季節と申しますが、私の通っている就労移行支援事業所でも就職をして退所する人がいたり、反対に新しく入ってきた利用者がいたりして、雰囲気がここ1ヶ月くらいで大分変わりました。
退所した人の中には私と特に仲のよかった人もいて、若干寂しい気持ちもありますが、諸行無常、がんばっていきましょう。
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さて、私は最近Eテレで毎週火曜日の夜に放送されている「オトナの一休さん」というミニアニメにはまっています。
タイトルの如く、主人公は私の敬愛する一休さん。
子ども向けアニメの可愛いトンチ小僧ではなく、史実に即した破戒僧・一休の姿を描いています。
昨年シーズン1が放送されて、今月からシーズン2が放送中です。
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まあ、リアル一休さんの話なので、初っ端からお経にう◯こする話が出てきたり、寺に女性を連れ込んでコトに及ぶ話が出てきたりと、とても子どもに見せられる話じゃないんですが、一休さんの破天荒ぶりに毎回爆笑させてもらっています(ちなみに全て史実に基づいた話だそうです(笑))。
今日はその中から第1則「クソとお経」に出てきた「無縄自縛」の話をしようと思います。
これは元々臨済宗の開祖・臨済禅師の言葉なんだそうですが、読んで字の如く、ありもしない縄に縛られるということ。
臨済禅師は弟子たちの前でお経で自分の尻を拭いて見せた。
[臨済禅師胸像]
当然、「なんて罰当たりな」と弟子は驚きますが、禅師に言わせると「お経=ありがたい」なんて図式は単なる思い込みに過ぎなくて、そんなものに囚われるなと言いたいわけなんですね。
お経に限らず、世の中はこの手の思い込みに溢れているような気がしませんか?
「結婚できなきゃ幸せになれない」とか、「いい大学を出て給料のいい仕事に就くべきだ」とか、他にも色々あるような気がします。
思うに、この無縄自縛の恐ろしいところは縛られていることに気づけないところじゃないでしょうか?
他人に強制されれば反発も湧くでしょうが、自分で自分を縛っている、しかも心や考え方を縛っているだけに縛られていることに気づけない。
それで自分の可能性を狭めて、自分を苦しめ不幸にする。
なかなかに恐ろしいことのような気がします。
私自身を翻って見るに、今やりたい仕事があって、熱烈に好きな人がいて。
そこには情熱とある種の思い込みがあるわけですが、これだって立派な「縄」だと思うのです。
一方で恋をするとか、夢を追うというのは、情熱や思い込みがなければできないという一面もあるわけで。
このバランスを取るのが実に難しい。
じゃあどうすればいいのか?
明確な答えがあるわけでもありませんが、一つは「何かを唯一絶対の答えと思わない」ことが大切なんだと思います。
「自分にはこの人だけだ」、「自分にはこの仕事しかない」、そう思い込むのは自分で自分を苦しめることになりかねないと思うのです。
もちろん、仕事や人を愛するのは大いに結構なことです。
しかし、「それを失えば自分は不幸になる」とまで思い込むのはやめた方がいいと思うのです。
悲しきか、人生における幸せとはある日突然去りゆくことも多いような気がします。
けれど私たちのドアの前には何人もの幸せが立っていて、一人が去っても別の一人がすぐにドアを叩く。
だから嘆くことはないのです。
結婚すること、お金持ちになること、子どもに恵まれること、出世すること、それらは全て幸せの一つの形(あるいは手段の一つ)に過ぎないのです。
いや、「幸せ」というものさえ、縄なのかもしれません。
ありもしない縄に縛られぬよう。
自戒を込めて。
今日はこんなところです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。