たとえ人生に何も期待しなくとも・・・
いつも当ブログをご覧いただき、ありがとうございます。
図書館への初出勤を明日に控え、少しばかり緊張している半平です。
突然ですがあなたの家が火事になり、家族やペットは全て逃げ出し、預金通帳などの財産も持ち出せたとして、あともう一つだけ何かを持って逃げられるとしたら、あなたは何を持ち出しますか?
私の場合、それは一冊の本です。
今日はその本の話をしましょう。
「あなたはなぜ生きるか?」
このシンプルな問いに答えられる人は果たして何人いるでしょうか?
このブログでは何度か似たようなテーマを取り上げていますが、それでも真正面から問われるときっとたじろいでしまうでしょう。
この問いを考える時、私は今日取り上げる本を思い出します。
それは精神科医のヴィクトール・フランクルが書いた『夜と霧』という本です。
ユダヤ系オーストリア人である彼は、第二次世界大戦中ナチス・ドイツの手によって強制収容所に入れられました。
そして、ともに収容された両親と妻を失っています。
その収容所での体験を綴った手記が『夜と霧』です。
この手記で貫かれているテーマ。
それは「いかなる時にも人生には生きる意味がある」ということです。
そしてその意味は、だれかから与えられるものでも、あらかじめ用意されているものでもなく、自分で見つけ、つくりださなければならないということです。
さらに言うならば、人は常に生きる意味を問われている。
フランクルは語ります。
収容所では生きる意味を見失った者から死んでいったと。
強制労働の合間に見た夕焼け、収容者仲間と本や音楽の話をすること、それら一つひとつが生きる意味になりました。
ある収容者は生きて子どもと再会することを、別の収容者は自分の研究テーマについての本を書くことを生きる意味にします。
フランクル自身も、生死も定かでない妻を心の中で思い、彼女への愛を感じることを生きる支えにします。
ヴィクトール・フランクル(1905〜1997)
被治療者が自らの「生きる意味」を探し出すのを援助することで治癒を目指す「ロゴセラピー」の考案者。収容所に入れられた時点でその理論は完成しており、収容体験がその正しさを裏付けることになった。
極限状況を経験しながらも終生、快活でユーモアに富み、多くの人に慕われたという。生還後に再婚。学会なとで何度か来日もしている。
代表作は『夜と霧』の他に『それでも人生にイエスと言う』、『意味への意志』など。
私がこの本に出会った時、私は前職で毎日のように失敗をし、そのせいで職場で孤立し、仕事に行くのが心底苦痛だった時期でした。
どれだけ努力しても報われない日々に何の意味も感じていませんでした。
この本を通勤電車の中で読みまして、涙をこらえたのを覚えています。
こらえきれずに涙ぐんだんですけど(笑)
たとえ私が人生に何も期待しなくなったとしても、人生は私に期待している。
そう思えただけで、不思議と元気と勇気が湧いてきました。
今私がここにいるのは、この本のおかげかもしれません。
私のように向き不向きの激しい人間は、向いていない仕事に就くべきではない。
図書館の仕事はたぶん向いているので、今までよりはるかに活き活きと働けるでしょう。
何よりやっていて楽しいですし。
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けれど、そんな仕事であっても悩むこともあるし、失敗することもきっとある。
けれど今回は、それを乗り越えることを楽しめる気がします。
ここで冒頭の問いに戻りますが、私の生きる意味は、愛することに見出したい。
仕事や人や自分をどんな時も愛すること。欠点や嫌いな点も含めて愛すること。
たとえ報われなかったとしても愛し、愛したことを後悔しないこと。
そして「まだまだこの世にいたいなあ」と思いながら最期の時を迎えたいものです。
今日はこんなところです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。