「コラテラル・ダメージ」は許容されるか?
いつも当ブログをご覧いただき、ありがとうございます。
早いものでもう11月。
今年もあとわずかでございます。
ブログの更新はゆっくりになって、更新頻度も月一くらいになるかもですが、読書や映画鑑賞は相変わらず続けていて、書きたいことが溜まってきています。
今年も最後まで「書きたいことを、書きたいように書く」ポリシーを守りつつやって行きたいと思いますので、一つよろしくお願いします。
さて、今日は先月見た映画の話をしようと思います。
「ハイドリヒを撃て! ナチの野獣暗殺作戦」
「ハイドリヒ」とは、第二次大戦中のナチス秘密警察の事実上のトップであり、連合国から「金髪の野獣」と呼ばれたラインハルト・ハイドリヒのことです。
ハイドリヒはチェコ副総督に在任中の1942年、イギリスとチェコ・スロヴァキア亡命政府によって送り込まれた刺客によって暗殺されますが、その暗殺計画=エンスポライド(類人猿)作戦の顛末を描いた映画です。
チェコ占領政策の事実上の最高責任者であったハイドリヒは、現地の労働者に対しては福祉政策の充実などを通して懐柔する一方、抵抗運動の主たる担い手であったインテリ層に対しては仮借のない弾圧を加え、抵抗運動を壊滅させました。
当時チェコはヨーロッパ有数の工業地帯であり、その統治が順調に行くことはドイツがその工業力を手にすることを意味しました。
ハイドリヒ暗殺の背景にはそれを恐れたイギリス政府の意思がありました。
さて、ハイドリヒ暗殺のために送り込まれた亡命チェコ人の若者たちは、現地の抵抗組織の協力を得て、ハイドリヒの暗殺に成功します。
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しかし、その代償はあまりに大きなものでした。
自身の側近を殺されたことに激怒したヒトラーは、容赦ない報復に出ます。
無関係のチェコの市民たちが数多く処刑、あるいは投獄されたり、拷問によって殺されました。
あやふやな密告によって村民が皆殺しにされた村もあります。
張り巡らされた捜査網をかい潜り、絶望的な逃亡生活を続けながら、暗殺を実行した若者たちは自問します。
自分たちのしたことは正しかったのか?、と。
確かに、ハイドリヒは同胞を殺戮した憎むべき敵ではある。
しかし、それを倒すために大勢の罪のない人々を犠牲にすることは許されるのか?、と。
「やむを得ざる犠牲」を意味する「コラテラル・ダメージ」という言葉がありますが、この映画を見て、この言葉を思い出しました。
ハイドリヒはだれかによって殺されるべきだったかもしれないし、ナチスもだれかが倒さねばならなかったとは思います。
しかし、そのために無数の人命を犠牲にすることは正当化されるのでしょうか?
少なくとも、それを正当化する考えは危険だと、私は思います。
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では、どうするべきだったのか?
それこそ歴史の後知恵に過ぎませんが、ナチスは一介の小政党に過ぎない段階で、芽を摘まれるべきでした。
過ぎた歴史のことはもうどうしようもないけれど、今後ナチスのような危険な集団が歴史の表舞台に立たない保障はない。
だからこそ、それらが手がつけられなくなるほど巨大化する前にその芽を摘む。
そのために必要なのは、そんなに特別なことではないと思います。
耳障りのよい言葉、非の打ち所のない正論、そういったものには眉に唾つけて疑ってかかる。
わずかでも違和感を感じたら立ち止まってよく考える。
みんなが賛同しても自分が納得できなければ賛同しない。
そして、時には自分自身さえ疑ってみる。
そんな姿勢ではないでしょうか。
今日はこんなところです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
※この映画はかなり重い話ですし、ショッキングなシーンもありますので、鑑賞の際はご注意ください。