縁あれば殺し、縁なくば殺さない
いつも当ブログをご覧いただき、ありがとうございます。
クリスマス・イヴもクリスマスも仕事の半平でございます。
明日はたぶん、子供たち相手に絵本の読み聞かせをしているでしょう。
さて、のっけから物々しいタイトルですみません。
これは浄土真宗の開祖・親鸞が弟子の唯円に語ったとされる言葉ですが、後で出てきますので少々お待ちを。
最近は映画の話をよくしている気がしますが、今日も映画の話です。
今日取り上げるのは、「最低。」。
AV女優の紗倉まなさんの同名小説が原作で、今年の東京国際映画祭で上映されたことでも話題になりました。
ギクシャクした家族から逃げるように上京し、AV女優として多忙な日々を送る彩乃、平凡な日常に耐えきれずにAV出演を決意する主婦・美穂、元AV女優の奔放な母親に振り回される女子高生・あやこ。
唯一“AV”という共通点のある三人の女性たちの人生の交錯を描く群像劇です。
私も男ですから、毎晩のようにAV女優の皆さんのお世話になるわけで、彼女たちの人生や、AVの舞台裏にも前々から興味がありました。
それを現役のAV女優が小説にし、しかもそれが映画になると来れば見に行かない分けには行かないわけで。
そして、その期待は裏切られませんでした。
ただ単に、AVの舞台裏を知るというだけでなく、人間や人生についても考えさせられる、なかなかいい映画でした。
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AV、あるいはそれに限らず、性産業に従事する女性には色々と背景なり事情があるでしょう。
止むに止まれず、それを選んだ人ももちろんいるでしょう。
何より私自身、そんな女性たちのお世話になっている以上、それを批判したり、軽蔑する資格などないし、その気も毛頭ありません。
それでも、少なくともこの映画の三人に限って言えば、ある種の“幼さ”明らかな思考の偏り、選択の愚かさがあるように、正直思いました。
映画を見ている人は、登場人物や状況を俯瞰した視点から見ている分けで、それだけにそういった点が余計にはっきりと見えるようで、見ていてちょっとした苛立ちすら覚えました。
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その苛立ちを感じた時、思い出したのが今日のタイトルになっている言葉。
親鸞は語ります。
「私は人を殺したことはないが、それは私が善人だからではなく、それをする縁がなかっただけである。縁さえあれば百人でも千人でも殺していただろう」と。
親鸞に言わせれば、この世に絶対的な善人などおらず、条件さえあればだれもが悪をなし得る。
それを自分だけは例外である、あるいは自分が悪をしないのは自分が善人だからだ、などと考えるのは、思い上がりなのだと言います。
そして、その上で悪をなし得る全ての生きとし生けるものこそ、救われるべき存在なのだと説きます。
親鸞(1173〜1263)
この映画に即して言えば、例えばもし私が女性で、彼女たちと同じ立場に立たされた時、同じ選択をしないという保障はないのです。
そのことに気づいた時、私は自分の思い上がりにも気づかされた気分でした。
この世に男のいる限り、性産業はなくならないでしょう。
しかし、一方で性産業はやはり“日陰”の存在であり続けるかもしれない。
そこで働く女性たちは、特別な存在などではなく、我々と同じようにただ自分の人生を必死に生きている。
この世に必要な仕事をしているのだから、もっと社会で受け入れられて欲しいとも思います。
安易な同情や、増してや憐れみなど、人に対する侮辱でしょう。
それに彼女たちを“消費”している私が、こんなことを言えた義理ではないかもしれませんが、それでも彼女たちには幸せになって欲しいと、思わずにはいられないのです。
今日はこんなところです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。