半平のきまぐれ日記

ADHD(注意欠陥多動障害)の会社員が本を読んで、映画を見て、あるいはその他諸々について思ったことを気まぐれに綴ります。(※本ブログはAmazonアソシエイトを利用しています。また、記事中の画像は、断りのない限りWikipediaからの引用、もしくはフリー素材を使用しています)

何もないことの幸せ

メリークリスマス!

いつも当ブログをご覧いただき、ありがとうございます。

今日はクリスマスですね(クリスマスは本来24日夜から25日夕方にかけてのこと。昔のヨーロッパでは、日没を一日の始まりとしていたので、24日の夜はクリスマスの夜=クリスマス・イブニング=クリスマス・イブなのです。この前NHKの「チコちゃんに叱られる」でやってました)。

昨日仕事でクリスマス絵本の読み聞かせをしたのですが、そのとき読んだ絵本がとてもよかったので、今日はその話をしたいと思います。


皆さんは「きよしこの夜」という賛美歌をご存知のことと思います。



歌唱・玉置浩二


オリジナル・ドイツ語

ちなみに絵本の最後に「きよしこの夜」を歌うところがあって、子どもたちと一緒に歌おうと思いましたが、子どもたちはだれも知らず・・・
一緒に読み聞かせをしていた同僚たちと、お母さんたちが歌ってくれました。ありがとうございます!


この曲は今からちょうど200年前の1818年、オーストリアの小さな村の神父ヨゼフ・モーデルが作詞し、その友人のフランツ・グルーバーによって作曲されたものと言われています。

その誕生までの逸話をもとに描かれたのが、今日紹介する絵本『クリスマスのうたものがたり』です。


クリスマスのうたものがたり

クリスマスのうたものがたり

絵本ではオルガンの故障を受けて神父が作詞したことになっていますが、詩自体はオルガンが故障する数年前にできていたという説もあります。


1818年のクリスマス直前、ヨゼフ神父の教会ではパイプオルガンが故障してしまいました。

オルガンがなくてはミサで合唱する賛美歌が演奏できず、神父は困り果てます。

そこに村の少年がやってきて、彼の家に弟が生まれたのでぜひ祝福して欲しいと頼みます。


貧しい少年の家では、赤ん坊がただ質素なベッドに寝かされているだけでしたが、赤ん坊の周りには家族の笑顔がありました。

その光景を見た神父は気づきます。

イエス・キリストは粗末な馬小屋で生まれたが、こんな風な温かな笑顔に迎えられたに違いない、と。

何もないが愛と喜びがある、それがいかに素晴らしいかと。


教会に帰った神父は、イエスの誕生の情景を元に詩を書き上げ、友人のグルーバーにオルガンではなく、ギターで演奏できるような曲をつけるように依頼します。

これが「きよしこの夜」でした。


この絵本を読んだとき、ハッとすると同時に、何とも言えず、胸が温かくなりました。

人はつい、生きているとあれこれ求めてしまうもの。

そして、それが得られないと失望したり、自棄を起こしたり、はたまた怒り出したり・・・。


けれど、ただ生きてあること、愛されていること、これがどんなに素晴らしいことか。

あなたや私がこの世に生まれて、今日まで生きたきたこと、それ自体がだれかに愛されている証なのだと思います。


私は愚かな人間ですから、ついつい欲をかいてしまいます。

それは仕方ないのかもしれません。

だからせめて、たまには何もないことの幸せを思い出すことにしましょう。


今日はこんなところです。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

それでは皆さん、よいクリスマスを!

おくりものはナンニモナイ

おくりものはナンニモナイ

クリスマスの絵本で好きなのがこれ。これも何もないことの幸せが描かれています。
絵柄もかわいくて、胸キュン必至なので、大切な人と読んでみてください。