半平のきまぐれ日記

ADHD(注意欠陥多動障害)の会社員が本を読んで、映画を見て、あるいはその他諸々について思ったことを気まぐれに綴ります。(※本ブログはAmazonアソシエイトを利用しています。また、記事中の画像は、断りのない限りWikipediaからの引用、もしくはフリー素材を使用しています)

【人生の10冊】それでも「現実」と戦い続けるということ

いつも当ブログをご覧いただき、ありがとうございます。

 

 

もうすっかり夏の陽気で、季節は突然変わるということを実感させられますが、皆様はいかがお過ごしでしょうか。

 

私は今の会社に入って1か月が過ぎ、馴染んできたように思います。

 

通勤経路にある商店街においしい和菓子屋さんがあり、顔を覚えられるほどに通っていますが、そこが最近売り出した「コーヒー大福」というのが絶品で最近は毎日のように仕事帰りに買っています。

 

 

さて、おいしい和菓子の話はこのくらいにして今日も張り切っていきましょう。

 

今日紹介するのは「人生の10冊」の4冊目にして初の漫画、坂口尚『石の花』です。

 

 

 

 

 

 

 

坂口尚は1970年代から90年代に活躍した漫画家で、手塚治虫の創設した「虫プロダクション」に勤務するアニメーターでもありました。

 

漫画家としては哲学的で詩的な作風が特徴で手塚の後継者と目する向きもありましたが、96年に49歳の若さで急逝しました。

 

 

今日紹介する『石の花』はこれまでに5回版を変えて出版された坂口の代表作で、第2次世界大戦下、枢軸国軍の侵攻と占領を受けたユーゴスラビアを舞台にした長編漫画ですが、本題に入る前にユーゴスラビアという国について簡単に説明したいと思います。

 

ユーゴスラビアは1918年から2003年までヨーロッパのバルカン半島に存在した多民族国家でした。

 

有名な「7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字、1つの国」という言葉がユーゴという国の持つ多様性を象徴しています。

 

 

ユーゴスラビアバルカン半島にあったセルビア王国を中心に周囲の諸民族(「南スラブ人」と総称されます)が合同する形で建国され、国号も「ユーゴスラビア王国」で旧セルビア王家を推戴する立憲君主国でした。

 

政治・軍事・経済上の実権は事実上セルビア人が独占したため、他の民族からの不満が高まりましたが、とりわけ国内でセルビア人に次ぐ多数派であったクロアチア人との対立は、その後のユーゴの歴史に重大な影響を及ぼしました。

 

 

第2次世界大戦勃発後の1941年、クーデターによりユーゴに親英・反枢軸政権が成立すると独伊軍を中心とした枢軸国軍が侵攻し、その占領下に置かれます。

 

占領下のユーゴでは、枢軸国側についたクロアチア系のファシスト政党であるウスタシャと、セルビア系抵抗組織であるチェトニクの抗争(互いの民族への虐殺をふくむ)を軸に解放戦争が展開されましたが、最終的に民族を超える支持を集めることに成功した、社会主義を掲げるチトー率いるパルチザンがほぼ独力でユーゴ解放に成功します。

 

戦後に王制は廃止され、チトーを首班とする社会主義連邦共和国となりますが、社会主義国でありながらソ連と対立。

 

「チトー主義」と呼ばれる独自のイデオロギーを掲げて独自外交を展開し、国際社会で存在感を発揮します。

 

国内的にもチトーの指導力により比較的安定を保ちますが、80年のチトーの死や冷戦終結、経済格差の拡大などにより民族対立が高まり、92年に内戦が勃発。

 

歴史上稀に見る凄惨な内戦の末にユーゴは7つの国に分裂し今に至ります。

 

 

 


www.youtube.com

ユーゴスラビアの歴史については昨年死去した柴宣弘氏の著書がよくまとまっているのと、下のYouTubeの解説動画がわかりやすいと思われます。

 

 

さて、そんなユーゴを舞台に物語が展開される『石の花』ですが、端的にいうと「暗い」、そして「重い」(笑)。

 

なにしろ開始早々に枢軸軍の侵攻があり、主人公の少年クリロはクラスメイトを全員殺され、故郷の村を焼かれます。

 

家族とも離れ離れになり、山中でさまよっているところを反枢軸のゲリラに助けられ、否応なしに解放戦争に身を投じていくことになります。

 

物語はクリロとドイツ軍の収容所に入れられた幼馴染の少女フィー、そしてクリロの兄でパルチザンとドイツ軍の二重スパイとなったイヴァンの3人を軸に展開されますが、三者三様それぞれに戦争の陰惨さと人間の醜悪さをこれでもかと見せつけられ、葛藤することになります。

 

善人だろうが悪人だろうが次々人が死んでいって、読むほどに眉間にしわが寄り顔がくもっていくんですが、それでもページをめくらずにはいられないだけの力がこの作品にはあると思います。

 

 

クリロ、フィー、イヴァンのそれぞれの物語についてひとつひとつ語ると長くなりすぎるので詳しくは本編を読んでいただくことにして、ここではクリロの物語について話したいと思います。

 

パルチザンに加わったクリロは最初、故郷を焼き払い、友人たちを殺した枢軸軍への復讐に燃えますが、戦いの過程で敵の兵士たちにも自分たちと同じように家族がいることを知り、イデオロギーや民族のちがいで同じユーゴ人同士で相争う様を見るなどの経験をして、次第に戦うことへの疑問を感じていくことになります。

 

もちろん枢軸軍への憎しみはあるし、故郷を取り戻すには戦うしかないことも頭では理解している。

 

しかし、敵とはいえ自分たちと同じ人間である兵士たちに銃を向けることへの割り切れなさも感じていて、そこでクリロは迷い、葛藤することになります。

 

そして物語のラスト、戦争が終わり解放されたユーゴで、勲章が授与されることになったクリロが上官に語った下のセリフが、この戦争でクリロが見て、聞いて、考えたことを凝縮しているといっていい(この引用部分を読んで、少しでも心がざわついた人はぜひこの漫画を読んでみてください)。

 

 

 

坂口尚『石の花』(潮出版社)、第6巻、電子書籍版、239~244頁

 

この上官が言う、「多少の矛盾があろうと現在の平和を築き保つ」という視点も大事ではあると思います。

 

現実を無視した理想が時に大きな悲劇を生んだ例も歴史上いくつもある(例えば現実を無視して暴力でそれを変えようとした人々が50年ほど前にもいて、先日その一人が釈放されましたが)。

 

しかし、だからといって「現実」を際限なく受け入れていいということにもならないと思うのです。

 

 

人間には所詮完全な平和も、矛盾もなくすべての人が幸せな社会も実現不可能なのかもしれません。

 

しかし、だからこそ少なくとも現実を少しでも「マシ」にしていく努力をするべきなのだと思う。

 

それは負けそうになっている将棋を少しでも勝ちに近づけるために指し続けるような、現実との果てない戦いであるのでしょう。

 

あきらめるのでも怒って盤をひっくり返すのでもなく。

 

理想というのはその時にひとつの道しるべにするような、道具というか手段として必要になるのだと思うのです。

 

 

かく言う私もとある企業で日々の仕事をつつがなくこなすことに汲々としている、しがないサラリーマンに過ぎません。

 

でも自分なりに現実と戦って、現実を少しでもマシにするためにささやかでも自分なりにできることはやり続けたい(このブログもその一つであるつもりですが)。

 

みんながそうすれば、それでみんなが幸せな世界がくる―世の中そんなに単純ではないけれど、それでも悩み続け、歩み続ける強さが人間のもっとも善い部分の一つだと思うから、そうし続けようと思うのです。

 

 

今日はこんなところです。

最後までお読みいただきありがとうございました。