祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり
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「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を現す」というのは、おそらくたいていの方がご存知でしょう、平家物語の冒頭の一節です。
平家の栄華と没落、そして滅亡を描いた文学の導入としてはこれ以上ないと思えるほどの名文句ですが、歴史上衰亡と無縁であった国家や民族というものは存在しません。
あたかも人が老いや死から逃れられないように、国家も必ず衰退し、いつかは滅ぶ。
それ故、衰亡論には人を惹きつける魔力のようなものがある気がします。
さて、今日取り上げるのは高坂正堯『文明が衰亡するとき』です。
- 作者: 高坂正堯
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今は亡き国際政治学の泰斗がローマ、ヴェネツィア、アメリカという三つの国を題材に衰亡論について語った本書は、お堅い学術書というのではなく、筆者自身も述べているように「歴史散歩」と言った方がしっくりくる。
例えて言うならば、大講義の授業を聞いているのではなくて、先生の研究室でお茶でもよばれながら先生の気楽で知的なお喋りの聞き役になっているような感じです。
学生時代、私も講義を聴くよりそんな時間の方が好きでしたが。
ローマ人の物語 (1) ― ローマは一日にして成らず(上) (新潮文庫)
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さて、本書における筆者の主張を端的に述べるならば「大国はその巨大さと成功故に衰亡する」ということになると思います。
ローマ帝国は巨大化した帝国の維持と防衛のためにより複雑な官僚機構と巨大な軍隊を必要としました。
さらに民衆の支持を得るためのよく言えば福祉政策、悪く言えばバラマキ政策を行わねばならなかった。
さしもの巨大な帝国もその負担に耐えきれず、財政に破綻をきたした。
近年の研究ではローマ帝国の衰亡はもっと複雑な問題であったと言われていますが(そもそも何をもってローマ帝国の滅亡と言うのかすら明確でない)、こうしたことも衰退の一因には違いなかった。
海の都の物語〈1〉―ヴェネツィア共和国の一千年 (新潮文庫)
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海洋都市国家であったヴェネツィアは東地中海の貿易を独占し、その富を背景に中世ヨーロッパ最強の海軍を持つことで人口十数万(最盛期)の小国でありながら、ヨーロッパの大国と互角に渡り合いました。
しかし、オスマン帝国に貿易拠点を奪われたこと、貿易の中心が大西洋に移ったこと、船舶の技術革新などの要因で没落。
18世紀の終わりに呆気なく滅亡します。
ヴェネツィアにしても例えば大西洋貿易に参入するチャンスもあったのにそれまでの成功体験に縛られたがために、結局海洋国家として生きることを断念せざるを得なくなったと、筆者は言います。
そして、海洋国家でなくなったヴェネツィアはもはや一小国に過ぎないのでした。
これって、日本の身にもつまされる話だと思います。
福祉関係予算の肥大化は頭痛の種で、大鉈を振るわなければ持続は危ういと思うんですが、国民の手前、遅々として進んでいません。
他にも正社員中心の雇用体系なんかは非正規労働者が全体の四割にもなった今、現実に即していないと思うんですが、こちらも高度成長期の成功体験もあってか、なかなか転換が進まない。
しかしながら、ただ変えてしまえばいいというわけでもない。
福祉政策は意地悪く見ればたしかにバラマキでもありますが、社会の安定のためにも必要ではある。
簡単に切るわけにもいかない。
雇用体系にしても単に正社員の首を切りやすくしたり、給与水準を下げてしまうだけでは社会全体の所得水準が下がるだけでしょう。
かと言って、給与を上げるだけでは雇用される人の数が減るかもしれない。
まことに頭の痛い問題です。
人が老いや死から逃れられないように、国家も結局のところ、衰退する運命にあるのでしょう。
しかし、どうせ死ぬのだからと自堕落に生きる人が明らかに健全でないように、衰退に任せるのも賢明な選択ではあり得ない。
それに国家は人間とは違い、改革という名の「若返り」ができる。
ならば若返りを繰り返して、何百年と健康に生き続けることだって可能だと思うのです。
そして、今の日本は民主主義国家。
国家を生かすも殺すも我々国民次第だと思うのです。
今日はこんなところです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
あなたに恥ずかしくないように
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さて、図書館に就職してちょうど一ヶ月が経ちました。
体力的にも結構キツイですし、まだまだ分からないことだらけなんですが、好きな仕事を一生懸命やっています。
仕事中にもおもしろそうな本を見つけて、読みたい本が益々増えています。
仕事でから帰ると毎日クタクタですが、ブログのネタも尽きそうになく、少々困っているところです(笑)
さて私、また失恋しそうな予感です。
とある女性を好きになって、勇気を出して食事に誘ったんですが、断られちゃいました。
しかも、その理由というのが単に都合が合わないとかいうのではなくて、ちょっと厄介なのです(相手に恋人がいるとかいうのじゃないですよ。好きな人は知らないけど・・・)。
最近のお気に入り その①
「本当は見た目以上打たれ強い僕がいる」のところが胸に沁みます
振られたわけではないんですが、実質的にそれに近いような。
かなり惚れ込んでいただけに、結構ダメージを食らいました(笑)
諦めて次に行くのが賢明とも思うんですが、やっぱりあの人のことがまだ好きで。
諦めるか、まだがんばるか、自分でも決めかねています。
あの人の前にいると素直でいられる気もするんですが、緊張してうまく話せないこともあって。
もっとあの人の話に耳を傾けたいんですけど、つい話しすぎて後で後悔したりして。
シャイで表面的にはあんまり自分に自信がないようにも見えるけど、実は芯が強くて。
私がうっかりドジをしても、クスッと笑ってくれるあの人がやっぱり好きで、あの人を支えたい。
最近のお気に入り その②
「終わりにした方がいいって頭で分かっても心が言うことをきかなくて」がまさに私の心境です(笑)
私の好きなあの人も木村多江みたいにかわいくて優しそうです
だから諦めて次に行った方がいいと思っているんですけど、やっぱり諦めたくない。
迷惑で単なる自己満足かもしれないけど、いつかこの思いを伝えたいと、少なくとも今の自分は思っています。
さて、けれども今すぐにどうこうなるというわけではないので、当面は現状維持ということになるでしょう。
いつかチャンスが来るのを待つとしても、それまでどう過ごすか、それが問題です。
最近のお気に入り その③
初恋の相手に声もかけられなかった男が、昔を思い出して相手の幸せを願う歌ですが、他人事とは思えない(笑)
私は好きな仕事に打ち込みたい。
仕事だけでなくて、毎日一生懸命に生きたいと思います。
「自分磨き」というのではなくて、いつかあの人が振り向いてくれた時に、いや、たとえ振り向いてくれなくても恥ずかしくない自分でいたい。
終わったことにいつまでもウジウジしてる自分より、格好悪くて颯爽としてなくても、自分のすべきことを一生懸命してる自分を見てもらいたい。
だから明日からもドジで間抜けでも一生懸命生きていきます。
今日はこんなところです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
不器用に咲く君の花がいい
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「半平のきまぐれ日記」史上初(たぶん。何か前にもやった気がしてきた(笑))一日ニ回更新でございます。
明日が初出勤で気持ちが昂ぶっているのと、図書館で働き出したら、しばらくブログを書く余裕がなくなる予感がするので今書きます。
テーマですが、私の就職に伴い、今までお世話になった就労移行支援事業所は退所しましたが、その修了式での私のスピーチで言ったことを書きたいと思います。
修了式では職員さんと利用者が一人ひとり私にお祝いのコメントを言ってくれますが、その中でいくつか聞かれたのが「初めの頃は静かで近寄り難かった」ということ。
今は全然違いますが。
おそらく、何度も挫折を繰り返すうちに、知らず知らずのうちに鎧を着ていたのかもしれません。
けれど、鎧を着たままでは動きにくいし、しんどいし、事業所に通ったり、色んな経験を繰り返す中で段々鎧を着るのがバカらしくなってきました。
今では褌一丁で、逆に着物くらい着ないと風邪をひくかもしれません。
何にせよ、今の自分の方が好きですからいいんですが。
私をこんな風に変えてくれた全てのものに感謝します。
さて、今日のタイトルは私の好きなさだまさしさんの「不器用な花」という歌の一節から取りました。
一生懸命がんばってるんだけど、なかなか芽が出ない。
それでも不器用に咲こうとする人たちを応援する、そんな歌です。
うん、めっちゃ自分のこと重ねてますね(笑)
私も色々不器用な人間ですから「不器用に咲く君の花がいい」なんて言われたら泣きそうになります(笑)
私は人間とは「考える花」であり、「動く花」だと思っています。
人はみんな、それぞれに花の種を持っている。
人はそれを咲かせないといけない。
自然界の花と同じように、一見すると綺麗でない花もあるかもしれない。
けれど、そんな花は凄い力を秘めているのかもしれない。
何よりも、そこに咲いているからには何か理由があるはずだし、力の限り咲く花はただそれだけで美しい。
仏教ではこの世界、あるいはそこに生きる全てのものをひっくるめて「三千大世界」と呼び、自他の境界を無くして、自分を三千大世界と一体化させることを目指します。
私はそれを人の幸福を願い、喜び、人の不幸を悲しむことだと思っています。
そして、一生懸命に生きる互いを労わりあうことだと。
効率的で生産的なものだけを良しとし、そうでないものを切り捨てる。
そんな考え方を極端に推し進めていけば、(相対的な非効率が絶対に無くならない以上)後に残るのはただ不毛な世界だけでしょう。
そんな世界では結局、だれも幸せになれない。
相模原の障害者殺傷事件の犯人は、この種の考え方の持ち主なんだろうと思います。
そうではなくて、だれもが尊重される世界の方が、よほど豊かで幸せになりやすい。
どうせ暮らすならそんな社会の方がいい。
私の力は所詮微々たるものかもしれない。
しかし、自らが発達障害を持ち、社会の情報拠点である図書館で働く以上、そんな社会の実現に少しでも貢献したいと思っています。
まずは私が通っていた事業所の所長さんを、いつか図書館のイベントで講師に呼びたいと密かに思っています。
今日はこんなところです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
明日から仕事がんばります。
たとえ人生に何も期待しなくとも・・・
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図書館への初出勤を明日に控え、少しばかり緊張している半平です。
突然ですがあなたの家が火事になり、家族やペットは全て逃げ出し、預金通帳などの財産も持ち出せたとして、あともう一つだけ何かを持って逃げられるとしたら、あなたは何を持ち出しますか?
私の場合、それは一冊の本です。
今日はその本の話をしましょう。
「あなたはなぜ生きるか?」
このシンプルな問いに答えられる人は果たして何人いるでしょうか?
このブログでは何度か似たようなテーマを取り上げていますが、それでも真正面から問われるときっとたじろいでしまうでしょう。
この問いを考える時、私は今日取り上げる本を思い出します。
それは精神科医のヴィクトール・フランクルが書いた『夜と霧』という本です。
ユダヤ系オーストリア人である彼は、第二次世界大戦中ナチス・ドイツの手によって強制収容所に入れられました。
そして、ともに収容された両親と妻を失っています。
その収容所での体験を綴った手記が『夜と霧』です。
この手記で貫かれているテーマ。
それは「いかなる時にも人生には生きる意味がある」ということです。
そしてその意味は、だれかから与えられるものでも、あらかじめ用意されているものでもなく、自分で見つけ、つくりださなければならないということです。
さらに言うならば、人は常に生きる意味を問われている。
フランクルは語ります。
収容所では生きる意味を見失った者から死んでいったと。
強制労働の合間に見た夕焼け、収容者仲間と本や音楽の話をすること、それら一つひとつが生きる意味になりました。
ある収容者は生きて子どもと再会することを、別の収容者は自分の研究テーマについての本を書くことを生きる意味にします。
フランクル自身も、生死も定かでない妻を心の中で思い、彼女への愛を感じることを生きる支えにします。
ヴィクトール・フランクル(1905〜1997)
被治療者が自らの「生きる意味」を探し出すのを援助することで治癒を目指す「ロゴセラピー」の考案者。収容所に入れられた時点でその理論は完成しており、収容体験がその正しさを裏付けることになった。
極限状況を経験しながらも終生、快活でユーモアに富み、多くの人に慕われたという。生還後に再婚。学会なとで何度か来日もしている。
代表作は『夜と霧』の他に『それでも人生にイエスと言う』、『意味への意志』など。
私がこの本に出会った時、私は前職で毎日のように失敗をし、そのせいで職場で孤立し、仕事に行くのが心底苦痛だった時期でした。
どれだけ努力しても報われない日々に何の意味も感じていませんでした。
この本を通勤電車の中で読みまして、涙をこらえたのを覚えています。
こらえきれずに涙ぐんだんですけど(笑)
たとえ私が人生に何も期待しなくなったとしても、人生は私に期待している。
そう思えただけで、不思議と元気と勇気が湧いてきました。
今私がここにいるのは、この本のおかげかもしれません。
私のように向き不向きの激しい人間は、向いていない仕事に就くべきではない。
図書館の仕事はたぶん向いているので、今までよりはるかに活き活きと働けるでしょう。
何よりやっていて楽しいですし。
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けれど、そんな仕事であっても悩むこともあるし、失敗することもきっとある。
けれど今回は、それを乗り越えることを楽しめる気がします。
ここで冒頭の問いに戻りますが、私の生きる意味は、愛することに見出したい。
仕事や人や自分をどんな時も愛すること。欠点や嫌いな点も含めて愛すること。
たとえ報われなかったとしても愛し、愛したことを後悔しないこと。
そして「まだまだこの世にいたいなあ」と思いながら最期の時を迎えたいものです。
今日はこんなところです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
たとえ、世界が狂気に満ちていても
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少し前の話になりますが、先日「ハクソーリッジ」という映画を見に行きましたので、今日はその話をしようと思います。
第二次世界大戦末期の沖縄戦でアメリカ軍の衛生兵として従軍した実在の人物、デズモンド・ドスを描いた映画です。
この人物が歴史に名を残したのは、衛生兵とはいえ、一切武器を持たずに戦場に立ち、70人を超える兵士の命を救ったからでした。
母に暴力を振るう父を殺しかけて以来、「決して人を傷つけず、殺さない」と誓ったデズモンド。
戦争が始まっても徴兵を忌避していましたが、周りの若者が次々と戦地に行くのを見て、衛生兵としての従軍を決意します。
訓練が始まっても決して銃を手に取ろうとしないデズモンドは、仲間たちから疎まれ、軍法会議にかけられます。
しかし、家族や恋人の尽力で遂に特例で武器を持たぬ衛生兵としての従軍を許可されます。
彼が配属されたのは、沖縄戦線。
デズモンドの部隊の前に立ち塞がったのは、「ハクソーリッジ」と呼ばれる切り立った断崖と、そこで待ち構える日本軍でした。
映画でデズモンドを演じたアンドリュー・ガーフィールド
とにかくこの映画、戦場の描写が実に生々しい。
凄惨と言ってもいい。
少なくともこの映画を見て、軍隊に入りたいと思う人は、あまりいないでしょう。
ホラー映画など足元にも及ばない。
生きている人間こそが、もっとも恐ろしいと思い知らされるでしょう。
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さて、この映画を見るたいていの人は思うのではないでしょうか。
「そんなに人を殺したくないなら、戦争など行かなければいいのに」と。
実際にデズモンドも劇中で何度となくその様に言われますし、私もそう思いました。
「絶対に傷つけず、絶対に殺さない」という彼の信条は、戦時下では異端でしかない。
軍隊ではまさに狂人扱いです。
デズモンドはただ、人間として当然の倫理を実践しているだけなのに、です。
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そのことに気づいた時、私ははっとしました。
戦時下における倫理の逆転にです。
人を殺すという最悪の行為が、相手が敵国の人間であるという、それだけの理由で許されてしまう、その不条理さに観客はいつか気づく。
狂っているのはデズモンドではなく、彼を狂っているように見なす時代であり、社会なのだと。
それこそがこの映画の肝だと思います。
それに気づいた時、デズモンドの行動の意味が分かる。
殺したくないけれど、自分だけ安全地帯にいることを、彼は自分に許さなかった。
だからこそ、衛生兵として従軍しようとした。
周りが、あるいは時代がどうあれ、自分の信じる倫理を実践しようとした。
部隊からはぐれて取り残されたデズモンドが、たった一人で負傷兵の救護にあたるシーンがこの映画のクライマックスです。
人が当たり前のように死に、だれもそれを疑問に思わない中で、「あと一人」と神に祈りながら敵味方問わず負傷兵を助けようとするデズモンドの姿は、何か人間が決して失ってはならないものを象徴している気がします。
戦争に至るまでの過程は必ずしも善悪で割り切れるものではありません。
しかし、戦争それ自体は絶対悪であると、私は思う。
この映画が描いているのは、(たとえ人は殺していなくとも)デズモンドのような人さえ、戦場に立たせてしまう戦争の理不尽さ。
そして、どんなに世界が狂気に満ちていたとしても、自分なりの良心に従って生きることが人間の強さであると思うのです。
今日はこんなところです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
後輩に贈った詩集
いつも当ブログをご覧いただき、ありがとうございます。
七月も中盤に入りまして益々暑さが厳しくなってますね。
私は暑さが大の苦手ですから、もう一歩たりとも外に出たくないという心境です(笑)
さて先日(と言っても数ヶ月前の話ですが)、近々結婚する大学時代の後輩に一冊の詩集を贈りました。
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それは詩人の吉野弘さんの詩集なんですが、私はそこに収められていた「祝婚歌」という詩がとても好きで、結婚する彼女にぜひ読んで欲しいと思いました。
確か去年くらいにNHKの番組で紹介されましたし、結婚式のスピーチでよく引用されるそうなので、ご存知の方も多いかもしれません。
「立派すぎない方がいい」、「完璧をめざさない方がいい」、「どちらかがずっこけている方がいい」・・・・・
この詩を読んでいると私の両親を思い出します。
当人たちには言えませんが、私は結婚するならうちの両親のような夫婦になりたいと密かに思っています(ただ、うちの親の場合、どちらがずっこけているのか、よく分からないことが多いんですが・・・まあいいか)。
私はずっこけていることにかけては自信があるので、優しくてしっかり者の大好きなあの人が、お嫁さんになってくれたらいいなあと思っています(照)
ところで、同じ詩集に載っている「I was born」という詩も私は好きです。
文法上の発見を無邪気に父に報告する子。
そんな息子に父は蜻蛉の話をする。
確かに、人に限らず全ての生き物は「生まれさせられた」、産み落とされた。
そこに生まれる側の意思はないのかもしれません。
けれど、産む側からしてみればそれは命がけのこと。
命を賭けてまで、私をこの世に産み落としたいと思ってくれた人がいた。
だから、私はこの世にいる。
少なくともそのことを忘れないようにしよう。
今日はこんなところです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
仕事と伴侶、この二つを好きになれたら人生は幸福だという
いつも当ブログをご覧いただき、ありがとうございます。
大変お久しぶりです。
実に1ヶ月以上更新の間が空いてしまいました。
皆さんに忘れらていないか、少し(かなり?)心配です(笑)
実は先月末からとある公共図書館へ実習に行っていました。
そして、約1ヶ月の実習の結果、そこで契約社員として雇っていただけることになりました。
ずっと就きたいと思っていた仕事に就けて、今でも信じられない思いです。
それもこれも、就職に向けてサポートしてくださった就労移行支援事業所の職員の皆様、経済的・精神的にバックアップしてくれた家族、励まして気にかけてくれたその他のたくさんの方々のおかげです。
この場を借りて、御礼申し上げます。
さて、そこで今回の記事では図書館を目指した理由や、やりたいことを書きたいと思います。
・・・とは言いながら、なぜ図書館で働きたいと思ったのか、自分でもよくわかりません(笑)
今通っている事業所に入ってから間もなくして、所長さんに司書の資格を取るのを勧められて、「本好きだから合ってるかも」くらいの気持ちで勉強を始めて、気がつけば「絶対に司書になって図書館で働くんだ!」と思ってました。
実習に行っても確かにしんどいし、苦手なこともたくさんありましたが、それを克服するのも励みになったりしてました。
何より、働くことを心から楽しいと思えたのは初めての経験でした。
これって何だか恋に似ている気がします。
だれかを好きになるのには理由がない。
そして、時に欠点さえも好きになるし、障害があるとファイトが湧く。
そんな話を以前親にしたら「仕事と恋は違う」と言われましたが、根本的な部分は同じか、少なくともよく似ているとやっぱり思います。
まあ、賃金が発生する、しないの違いは確かにありますけど(笑)
そう言えば、イエール大学の行った調査でこんなのがあります。
軍の士官学校の学生に軍人を志望した理由を訊いて、具体的な目標や理念を答えたグループと、漠然とした理由や、ただ軍隊やそれにまつわるものが好きだからという理由を答えたグループに分けて、長期の追跡調査をしました。
すると、後者のグループの人々の方が、前者のグループの人々より軍隊に残り、かつ高い地位にいる確率が15%高かったんだそうです。
明確な動機が思いの強さを示すわけでは必ずしもない。そして「好き」に勝る強さはないということでしょうか?
今日の表題に引用したのは、私の好きな城山三郎さんの『小説日本銀行』に出てくるセリフです。
だれかを愛することが、「その人に自分のでき得る限りのことをすること」なら、仕事を愛することは「その仕事で自分のでき得る限りのことをする」ことだと、私は思います。
それが全てではないにせよ、少なくとも重大な一部分ではあると思う。
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だから、一生懸命だれかを好きになったり、愛したりするように、一生懸命仕事をしよう。
それを通じてだれかを少しでも幸せにしよう。
そして、自分も幸せになろうと、私は思います。
「愛する仕事」はどうやら見つかったらしい。後は「愛する伴侶」だけだ(笑)
これからは仕事の話も、書ける範囲でこのブログでして行きたいと思いますのでお楽しみに。
今日はこんなところです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。