半平のきまぐれ日記

ADHD(注意欠陥多動障害)の会社員が本を読んで、映画を見て、あるいはその他諸々について思ったことを気まぐれに綴ります。(※本ブログはAmazonアソシエイトを利用しています。また、記事中の画像は、断りのない限りWikipediaからの引用、もしくはフリー素材を使用しています)

俺はこの男が好きなんだ!

いつも当ブログをご覧いただき、ありがとうございます。

 

新型コロナウイルスの第7波の流行や猛暑が凄まじいですが、皆様お元気でしょうか?

 

私も接触通知アプリのCOCOAから初めて接触通知が来たり、職場の上司が濃厚接触者になったりしています。

 

今のところは私は無事ですが、今回ばかりは逃げきれないような気がして1週間分の食料を備蓄しました。

 

今回逃げ切ったとしても、いずれは感染するでしょうしね。

 

さて今日は、今まで何度も挫折しながら、ついに先日読み終えた小説の話をします。

今回ご紹介するのはこちら、山本周五郎『樅ノ木は残った』。

 

 

 

江戸時代の仙台伊達家で起きた御家騒動伊達騒動」に材を採った歴史小説で、大河ドラマになったのをはじめ、これまでに何度も映像化されてきた、山本周五郎の代表作の1つです。

伊達騒動は歌舞伎や講談の題材にもなってきましたが、巷間では御家乗っ取りを企む伊達一門の重臣・伊達兵部宗勝の下で暗躍したとされる家老・原田甲斐宗輔を、その評価を逆転させて実は伊達兵部の陰謀を阻止すべく尽力した忠臣だった、としていることにその最大の特徴があります。

 

例によってストーリー紹介から。

江戸時代初期、4代将軍・家綱の時代、外様の名門・仙台伊達藩では若き3代目藩主・綱宗が放蕩を咎められ、幕府より隠居を命じられました。

しかしそれは、綱宗の叔父にあたる伊達兵部と幕府老中・酒井雅楽頭忠清が結託した陰謀でした。

雅楽頭は伊達家にあえて内紛の種をまくことで取り潰しの口実とすることを狙っており、兵部は伊達本家が取り潰された後に、その60万石の領地の少なくとも半分を手中に収めることを企んでいました。

これを察知した伊達家重臣原田甲斐は、内部から陰謀を阻止すべくあえて兵部に取り入ります。

これは圧倒的な幕府権力を相手に孤独に戦った原田甲斐と、権力の暗闘に翻弄される人々の群像を描いた物語です。

 


www.youtube.com

1970年のNHK大河ドラマになったときのテーマ曲です。歴代の大河のテーマ曲の中でも出色だと思いますが、重厚でなんとなくおどろおどろしさを感じさせるメロディーは、権力に渦巻く人間の欲望や愛憎、そこで孤独な闘いを強いられる甲斐の厳しい生き様を象徴しているようです。

 

さて、先にも述べたように私はこの小説を3、4回くらい途中で投げ出しました。

その主な理由は、原田甲斐を好きになり過ぎたことでした。

甲斐が周囲を欺いて兵部に接近したことで、長年の友人も含め彼の元からは多くの人が去っていきます。

 

また、家士たちに心ならずも危険な任務を与えなければなりませんでした。

圧倒的な幕府権力を相手にして戦い、徐々に追い詰められ、孤立していく甲斐を見るに忍びなく、途中で読むことができなくなりました。

まあ、山本周五郎の小説は登場人物にこれでもかとばかりに艱難辛苦が降り注ぐものが多いんですが、甲斐の場合はその先に悲惨な末路が待ち受けていることが分かっているので、なおのこと辛い。

 

山本周五郎の作品には「人はいかに困難な場合であっても生きるべき」という哲学が流れていて、『樅の木は残った』では甲斐がそれを体現する役目を負っています。

主君のためにあえて死地に向かおうとする若い家臣に生きるように諭したり、モノローグで何度も「人は生きるべき」と語っている。

 

その甲斐があえて主家のために命をかけようとするところに矛盾があり、その矛盾こそが原田甲斐という人物の魅力であり、この物語の主題であると思うのです。

甲斐は本来、自邸で朝食会を開いて様々な人々と気さくに語らうのが好きで、権力を求めて政争に身を投じるより、野山を歩き回って狩猟をするのを愛する人物です。

そんな彼が友人たちに去られ、あえて陰謀の渦中に身を投じるのはさぞ辛かったであろうと思います。

現に劇中の甲斐は内心で何度も弱音を吐いています。

 

甲斐は歴史に名を残すべき人ではなく、伊達家の家臣として平穏に一生を終えるべき人であったと思います。

そういう人間が歴史に名を残すような立場になったことは、やはり悲劇であったと思うのです。

 

しかし、甲斐はそういう運命を従容として受け容れました。

私は命より尊いものがある、という価値観には安易に同意したくはありません。

甲斐もそうであったように人は最後まで生きることを希求すべきであると思う。

一方で命を賭けて伊達家家臣としての責務を果たそうとした甲斐の決断を間違っているとも思えません。

 

甲斐は最終的にその命と後世への汚名とを引き換えに、伊達家を守りました。

甲斐に共感しながらどうにかこうにか『樅の木は残った』を読み終えた私としては、彼が死の間際に主家が守られたことに満足し、微笑んで死んでいったことをせめてもの慰めとして、その生き様を受け止めることしかできません。

 

我ながら少々感情移入し過ぎてしまいましたが(笑)、それぐらい『樅の木は残った』には心を揺さぶられました(元々歴史上の人物とか、創作の登場人物に感情移入しやすいところはありますが(笑))。

結局のところ甲斐が史実で言われるような悪人だったのか、それとも忠臣だったのか、分からないのでしょうが、私はどちらでも構わないと思っています。

少なくとも私の中の原田甲斐は、伊達家家臣としての責務を果たして、満足して死んで行った。

私にはそれで十分です。

 

今日はこんなところです。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。