不器用に咲く君の花がいい
いつも当ブログをご覧いただき、ありがとうございます。
「半平のきまぐれ日記」史上初(たぶん。何か前にもやった気がしてきた(笑))一日ニ回更新でございます。
明日が初出勤で気持ちが昂ぶっているのと、図書館で働き出したら、しばらくブログを書く余裕がなくなる予感がするので今書きます。
テーマですが、私の就職に伴い、今までお世話になった就労移行支援事業所は退所しましたが、その修了式での私のスピーチで言ったことを書きたいと思います。
修了式では職員さんと利用者が一人ひとり私にお祝いのコメントを言ってくれますが、その中でいくつか聞かれたのが「初めの頃は静かで近寄り難かった」ということ。
今は全然違いますが。
おそらく、何度も挫折を繰り返すうちに、知らず知らずのうちに鎧を着ていたのかもしれません。
けれど、鎧を着たままでは動きにくいし、しんどいし、事業所に通ったり、色んな経験を繰り返す中で段々鎧を着るのがバカらしくなってきました。
今では褌一丁で、逆に着物くらい着ないと風邪をひくかもしれません。
何にせよ、今の自分の方が好きですからいいんですが。
私をこんな風に変えてくれた全てのものに感謝します。
さて、今日のタイトルは私の好きなさだまさしさんの「不器用な花」という歌の一節から取りました。
一生懸命がんばってるんだけど、なかなか芽が出ない。
それでも不器用に咲こうとする人たちを応援する、そんな歌です。
うん、めっちゃ自分のこと重ねてますね(笑)
私も色々不器用な人間ですから「不器用に咲く君の花がいい」なんて言われたら泣きそうになります(笑)
私は人間とは「考える花」であり、「動く花」だと思っています。
人はみんな、それぞれに花の種を持っている。
人はそれを咲かせないといけない。
自然界の花と同じように、一見すると綺麗でない花もあるかもしれない。
けれど、そんな花は凄い力を秘めているのかもしれない。
何よりも、そこに咲いているからには何か理由があるはずだし、力の限り咲く花はただそれだけで美しい。
仏教ではこの世界、あるいはそこに生きる全てのものをひっくるめて「三千大世界」と呼び、自他の境界を無くして、自分を三千大世界と一体化させることを目指します。
私はそれを人の幸福を願い、喜び、人の不幸を悲しむことだと思っています。
そして、一生懸命に生きる互いを労わりあうことだと。
効率的で生産的なものだけを良しとし、そうでないものを切り捨てる。
そんな考え方を極端に推し進めていけば、(相対的な非効率が絶対に無くならない以上)後に残るのはただ不毛な世界だけでしょう。
そんな世界では結局、だれも幸せになれない。
相模原の障害者殺傷事件の犯人は、この種の考え方の持ち主なんだろうと思います。
そうではなくて、だれもが尊重される世界の方が、よほど豊かで幸せになりやすい。
どうせ暮らすならそんな社会の方がいい。
私の力は所詮微々たるものかもしれない。
しかし、自らが発達障害を持ち、社会の情報拠点である図書館で働く以上、そんな社会の実現に少しでも貢献したいと思っています。
まずは私が通っていた事業所の所長さんを、いつか図書館のイベントで講師に呼びたいと密かに思っています。
今日はこんなところです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
明日から仕事がんばります。