半平のきまぐれ日記

ADHD(注意欠陥多動障害)の会社員が本を読んで、映画を見て、あるいはその他諸々について思ったことを気まぐれに綴ります。(※本ブログはAmazonアソシエイトを利用しています。また、記事中の画像は、断りのない限りWikipediaからの引用、もしくはフリー素材を使用しています)

田舎のおっさんの偉大な仕事

いつも当ブログをご覧いただき、ありがとうございます。

ブログ再開から三日後の更新でございます。

これからは当面、休止期間中に溜まっていた"書きたかったこと"を書いていくことになると思います。

ですので、既に公開が終わっている映画の記事なんかをかなり書くことになるとおもいますが、悪しからず(今までもそうか(笑))。


さて、今日もそんな映画の一つ、「LBJ ケネディの遺志を継いだ男」を取り上げます。

皆さんは「ジョンソン大統領」をご存知でしょうか?

ケネディニクソンという、なにかと話題の多い二人の大統領に挟まれて、少なくとも日本ではあまり知名度が高くないように思いますが、そのジョンソンを主人公にした伝記映画です。

題名の"LBJ"とは彼がケネディの"JFK"の向こうを張って、周囲にこう呼ばせていたことに由来します(もっとも、彼の支持者以外からは失笑を買っていたようですが)。



リンドン・ベインズ・ジョンソン(1908〜1973)

テキサス州の農場主の家庭に生まれる。教師や地元選出議員の秘書、テキサス州青年局長を経て、下院議員に当選。
その後、上院議員に転身。一九六〇年の予備選でケネディに敗れるも副大統領候補に指名される。
大統領としては、「貧困との戦い」を掲げ、社会保障制度の拡充などで成果を挙げた。反面、ベトナム戦争の泥沼化を止められなかった。それが原因で支持を失い、自身二期目となる六八年の大統領選に不出馬を表明し、政界を引退した。



物語はジョンソンがケネディ民主党大統領候補の指名を争った一九六〇年の予備選と、ケネディ政権下の副大統領としての日々を前半で描いたあと、ダラスでのケネディ暗殺を経て、大統領に昇格したジョンソンが公民権法案を成立させるところで終わります。


さて、このケネディとジョンソン、実に好対照な政治家でした。

片や東部上流階級の御曹司、片や南部のごく普通の中流階級の出身。

片や四〇代そこそこ、いまだに破られていない最年少大統領就任記録をつくる若き政治家、片や予備選時点で議員在任二〇年以上のベテラン政治家。

片やリベラル、片や保守。

片や洗練されたジョークで人々を笑わせ、片や下品な言い回しを連発し、人々を閉口させる。

・・・とまあ、ジョンソンは政治家でなければ、田舎のそこらへんにいそうなおじさんでした。



ジョン・F・ケネディ



おまけに、副大統領として彼が担ったのは議会対策という、国民の目にも触れにくい地味な仕事。

国民の人気はケネディが独占し、メディアからは「何の権限もない」とか、「解任寸前」などと書かれ、ジョンソンはケネディへの嫉妬と劣等感を募らせます。


そんな鬱々とした日々が続くかと思われたある日、一発の銃弾がジョンソンの運命を変えます。

ケネディが暗殺され、急遽大統領に就任した彼は、動揺する閣僚たちをまとめ上げ、政治的空白を最小限にとどめると、既に審議入りしていた公民権法案を成立させるべく議会工作に乗り出します。

特に反対が予想されていた南部選出の議員たちに対して粘り強い懐柔を行い、その甲斐あって公民権法案は予想に反して圧倒的多数の賛成で成立するのでした。


法案成立時のジョンソンの感動的な演説で映画は幕を閉じますが、ジョンソン政権の功績は公民権法案だけでなく、メディケアやフードスタンプなど、現代に至るまでのアメリカの社会保障制度を整備したことにあります。

成立させた法案の数は歴代大統領の中でもトップクラスに登るなど、地味ながら実力派の大統領であると言えるでしょう。



さて、この映画のみどころは、「ジョンソンがいかにケネディの影を振り払うか」であると思います。

自らを"LBJ"と呼ばせたことに端的に表れていますが、ジョンソンはケネディにかなりの対抗意識を燃やし、同時に羨望していた。

そんなジョンソンが思いがけず、大統領に就任したとき、彼はどうしたのか。

ケネディが遺した最大の宿題の一つ、公民権法案を葬るのではなく、それを成立させた。


ジョンソンは南部出身ではありましたが、人種差別には反対しており、公民権法案にも賛成の考えでした。

だから、ケネディの代わりとしてでもなく、ケネディのやり方を真似るのでもなく、彼自身として、彼自身のやり方で法案を成立に導く。


人はだれでも自分より優れた(ように見える)を羨んだり、妬んだりすることがあると思います。

そして、闇雲にその人の真似をしたり、逆に全否定したり。

そして、そんな自分を嫌悪したり・・・。


けれども、そのいずれも必要のないことなのだと、私は思います。

もちろん、優れていると思う部分は取り入れればいい。

しかし、全てその人の真似をする必要はない。

自分なりのやり方で、自分の果たすべき責務に立ち向かう決意をしたとき、人は強くなれるのではないでしょうか。


劇中でも思いがけず、重責を担うことになったジョンソンは、苦悩します。

しかし、自分がどう転んでもケネディにはなれず、ジョンソンとして大統領の重責に立ち向かうしかないと気付いてからの彼の行動には迷いがなく、その姿は格好いい。


人はそれぞれに異なる役割と良さを持って、この世に生まれてきた、そんな気がします。

だから、「自分は自分」、それでいいんじゃないでしょうか。


今日はこんなところです。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。