思いよ届け、声にのって
いつも当ブログをご覧いただき、ありがとうございます。
一応まだ一月ですので言わせていただきます。
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
さて、今年に入って新しい趣味を始めたので、今日はその話をします。
私が始めた新しい趣味、それは朗読です。
月二回教室に通っています(と言ってもまだ二回しか行っていませんが)。
なぜ急に朗読を始めたかといいますと、いくつか理由があります。
まず元々本が好きであるということ。
次に昨年の秋にNHKで放送された朗読をテーマにしたドラマにハマったこと。
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偏屈な数学者(竹野内豊)が朗読教室に通い、そこでの人との出会いや朗読を通して変わっていく姿や、教室の先生(麻生久美子)との恋模様が描かれています。
お互いに傷を負った二人が徐々に距離を縮めて行く様子が胸キュンです(笑)
ちなみに、私が通っている教室の先生も麻生久美子に負けないくらい素敵なお姉様です。
そして、最後にこれも去年、仕事で初めて子供たちに絵本の読み聞かせをしたんですが、この時人に本を読んで聞かせるおもしろさに目覚めたことがあります。
朗読とか読み聞かせって、一人で何人もの登場人物を演じ分けなきゃいけないし、地の文の読み方もただ淡々としてればいいわけでなくて、作品や場面によって読み方を変えなくちゃいけない。
私は映画が好きですが、主演・助演、演出を自分の声だけでやるような、そんな難しさや奥深さがあるように思います。
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寺山修司「恋のわらべ唄」
“好きな人を指差したら 人差し指に花が咲いた”
このフレーズが好き。
という話をある人にしたら、「人を指差すなんて、そんな失礼な人嫌い」という至極もっともな反応が帰ってきました(笑)
それに、日本語というのは読むだけでも結構難しいらしいということに気づきました。
私は普段、本は黙読してますが、何気なく読んでいた文章もいざ声に出してみると、噛むし、読み間違えるし、読み落とすしで、我ながら愕然としています(笑)
「ただ書いてある通りに読む」、それだけのことが案外難しい。
最近ではラジオドラマや落語を聴いたりして、プロの技から何事か学ぼうとしています。
夜な夜な滑舌練習をしたり、色んな本を朗読して(隣の人ごめんなさい。なるべく小さな声で読むから許してね)いますが、そうやって自分で練習したり、研究すること自体を楽しんでいるところです。
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ある一組の男女が出会い、別れるまでを問答歌で綴った作品。
短歌の間に短い散文詩が挿入されています。
劇中でその中の一つを竹野内豊と麻生久美子が朗読するシーンがありますが、見ててめっちゃドキドキしました。
いつか、私も好きな人と一緒に読めるといいな。
私は司書ですから、なるべく多くの人、特に子どもたちに本を読む楽しさを知ってもらいたいと思っています。
けれど、本の楽しさや奥深さは、口で説明してもなかなか伝わるものでもないとも思う。
だから、朗読を通じてそれを伝えられたらいいなと思います。
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だれかに会いたくて、生まれてきた。見えない言伝を手渡すために–自分の大切な人に読んであげたくなる一冊です。
本には一冊、一冊書いた人の思いがあって、読む方もそれぞれの思いを持って読んでいて。
書いた人の思いや、読んでる人の思い、それを自分の声にのせて、だれかに届けたいと思うから。
だから、朗読を続けたいと思っています。
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ドラマの主題歌。JUJUマイ・ベストスリーには入ります。
“すれ違ってもこんなに声があふれて愛してる”のフレーズを聴くと、声や言葉が人間に与えられた素晴らしい贈り物だと、改めて思います。
今日はこんなところです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
なお、だいたい月一回の更新をしている当ブログですが、最近では他にやることも増えたので、これからは本当に書きたいことがあるときだけ更新したいと思います。
ますます不定期になりますが、どうかよろしくお願いします。
来年もキープオンゴーイング!
いつも当ブログをご覧いただき、ありがとうございます。
今年も残すところあと四日。
今日が今年最後の更新になります。
それでというわけでもありませんが、今年の振り返りと来年の抱負らしきものをちょっと書きたいと思います。
振り返ってみると、今年は夢中で走り続けていたような気がします。
ちょうど、去年の初めから就労移行支援事業所に通いだして、それから間も無くして司書になるための勉強を始めて。
初めは事業所の所長さんに勧められて、「就職先候補の一つ」くらいに考えていたのが、いつの間にか本気になって。
何度か図書館で実習させてもらったりもして、図書館の仕事が本当に好きになりました。
今年の夏から図書館に就職してもそれは変わりません。
もちろん、図書館には色々な仕事がありますから、中には苦手なこともあります。
と言うより、苦手な仕事の方が実は多いのかもしれません。
レファレンスや読み聞かせをしたりもしますが、自分の未熟さを痛感する方が多い。
それでもなお、この仕事が好きだと思います。
その理由は自分でもよく分かりません。
人を好きになる時もその理由はよく分からなかったりして。
あるいは、欠点も色々あるけど、なぜかその人が特別で。
その様なものかもしれません。
私がなぜ働くのか、その理由はいつも自問していますが、二通りの答えがあると思います。
まあ、たいていの人は大前提として生計のために働いている。
働くことは、言ってしまえば自分の時間を切り売りしてお金に変えることでもあります。
私もそれは否定しませんし、私自身も現にそうしている。
けれど、自分の時間、つまりは自分の命そのものを単に切り売りしているだけと割り切ってしまうのは、あまりに虚しいし、第一楽しくない。
だから私は、たとえ偽善と言われようと、強がりと言われようと、お金や生活以外の働く意味を見出したい。
それは第一に、まず仕事それ自身のため。
別にだれかに感謝されたいわけでも、賞賛されたいわけでもなく、ただこの仕事がしたいから、だから働く。
もちろん、感謝や賞賛を欲する気持ちもありますが、それだけを求めるのも、やっぱり虚しい。
それに他者の賞賛のために働くということは、つまり他者への依存に他ならないと思うのです。
だから、自分がそれをしたいがために働くのです。
第二に、自分とだれかの幸せのために働く。
私は自分の人生をだれよりも幸せなものにしたいと思っています。
しかしそれは、自分の幸せを追い求めるだけでもできないとも思います。
もっと言えば、だれかを幸せにすることを通してでしか、自分の幸せも実現されないのだと思っています。
良くも悪くも人は人の間でしか生きられないもの。
であるならば、自分以外の全員が不幸で自分だけが幸せな世界はあり得ない。
だれかを幸せにすること、だれかを生かすことが、結局は自分を幸せにし、自分を生かすのだと思っています。
もちろん、その手段は仕事だけとは限りませんが、仕事は重大な一つではあるでしょう。
このような考え方を仏教では「共生(ともいき)」と呼ぶそうです。
自分の幸せや利益だけを追求するのは、餓鬼や修羅の道であり、そこに安らぎはないのでしょう。
さて、詳しくはまだお話できませんが、来年は一つ挑戦をしようと思っています。
それはたぶん困難な挑戦で、どうなるか分かりません。
けれど、それがより良い仕事、ひいては自分自身の幸せにつながると思っています。
だから最善を尽くし、挑戦するだけです。
来年もキープオンゴーイング(前に進み続けよう)!
今日はこんなところです。
今年も当ブログをお読みいただき、ありがとうございました。
来年もよろしくお願いします。
それでは、良いお年を!
縁あれば殺し、縁なくば殺さない
いつも当ブログをご覧いただき、ありがとうございます。
クリスマス・イヴもクリスマスも仕事の半平でございます。
明日はたぶん、子供たち相手に絵本の読み聞かせをしているでしょう。
さて、のっけから物々しいタイトルですみません。
これは浄土真宗の開祖・親鸞が弟子の唯円に語ったとされる言葉ですが、後で出てきますので少々お待ちを。
最近は映画の話をよくしている気がしますが、今日も映画の話です。
今日取り上げるのは、「最低。」。
AV女優の紗倉まなさんの同名小説が原作で、今年の東京国際映画祭で上映されたことでも話題になりました。
ギクシャクした家族から逃げるように上京し、AV女優として多忙な日々を送る彩乃、平凡な日常に耐えきれずにAV出演を決意する主婦・美穂、元AV女優の奔放な母親に振り回される女子高生・あやこ。
唯一“AV”という共通点のある三人の女性たちの人生の交錯を描く群像劇です。
私も男ですから、毎晩のようにAV女優の皆さんのお世話になるわけで、彼女たちの人生や、AVの舞台裏にも前々から興味がありました。
それを現役のAV女優が小説にし、しかもそれが映画になると来れば見に行かない分けには行かないわけで。
そして、その期待は裏切られませんでした。
ただ単に、AVの舞台裏を知るというだけでなく、人間や人生についても考えさせられる、なかなかいい映画でした。
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AV、あるいはそれに限らず、性産業に従事する女性には色々と背景なり事情があるでしょう。
止むに止まれず、それを選んだ人ももちろんいるでしょう。
何より私自身、そんな女性たちのお世話になっている以上、それを批判したり、軽蔑する資格などないし、その気も毛頭ありません。
それでも、少なくともこの映画の三人に限って言えば、ある種の“幼さ”明らかな思考の偏り、選択の愚かさがあるように、正直思いました。
映画を見ている人は、登場人物や状況を俯瞰した視点から見ている分けで、それだけにそういった点が余計にはっきりと見えるようで、見ていてちょっとした苛立ちすら覚えました。
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その苛立ちを感じた時、思い出したのが今日のタイトルになっている言葉。
親鸞は語ります。
「私は人を殺したことはないが、それは私が善人だからではなく、それをする縁がなかっただけである。縁さえあれば百人でも千人でも殺していただろう」と。
親鸞に言わせれば、この世に絶対的な善人などおらず、条件さえあればだれもが悪をなし得る。
それを自分だけは例外である、あるいは自分が悪をしないのは自分が善人だからだ、などと考えるのは、思い上がりなのだと言います。
そして、その上で悪をなし得る全ての生きとし生けるものこそ、救われるべき存在なのだと説きます。
親鸞(1173〜1263)
この映画に即して言えば、例えばもし私が女性で、彼女たちと同じ立場に立たされた時、同じ選択をしないという保障はないのです。
そのことに気づいた時、私は自分の思い上がりにも気づかされた気分でした。
この世に男のいる限り、性産業はなくならないでしょう。
しかし、一方で性産業はやはり“日陰”の存在であり続けるかもしれない。
そこで働く女性たちは、特別な存在などではなく、我々と同じようにただ自分の人生を必死に生きている。
この世に必要な仕事をしているのだから、もっと社会で受け入れられて欲しいとも思います。
安易な同情や、増してや憐れみなど、人に対する侮辱でしょう。
それに彼女たちを“消費”している私が、こんなことを言えた義理ではないかもしれませんが、それでも彼女たちには幸せになって欲しいと、思わずにはいられないのです。
今日はこんなところです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
幸か不幸か、ロダンの気持ちが俺には分かる(気がする)
いつも当ブログをご覧いただき、ありがとうございます。
私ごとですが、先日27歳になりました。
27歳と言えば、私の敬愛する一休さんが悟りを開いたと言われる歳でもあります。
一休さんは悟りを開いた後も煩悩とともに生きた人ですが、私もそれを見習って仕事も遊びも、そして恋も大いにやって行こうと思っております(つまり、今までと変わんないってことですね、うん)。
さて、今日は先日見てきました映画の話をしたいと思います。
「近代彫刻の父」とも称される19世紀フランスの彫刻家、オーギュスト・ロダンの伝記映画です。
オーギュスト・ロダン(1840〜1917)
独学で彫刻を学び、職人として働きながら創作と勉強を続けた。世に出たのは40歳近くなってから。
日本の白樺派の作家たちとも文通を行なったり、日本の美術館にも多数の作品が収蔵されていたりと、何かと日本に縁のある人
映画はロダンのライフワークにして未完の大作「地獄の門」の製作と、彼の弟子にして24歳年下の愛人、カミーユ・クローデルとの不義の恋を二本柱にして進行します。
劇中、カミーユに独白する形でロダンの心中が何度も語られますが、その表現は難解です。
また、背景や状況を説明する演出があまりないので、一度見ただけでは理解するのは難しい映画だと感じました。
カミーユ・クローデル(1864〜1943)
19歳でロダンと出会い、その弟子となった。師匠とちがい、若くしてその才能を評価された。ただ、ロダンとの別れの後、自ら作品の多くを破壊した。
憂いを帯びた、少し儚げな美人さんですね、うん
では、なぜそんな映画の感想を書く気になったのか?
それはロダンに少なからず共感するものがあったから。
「地獄の門」は新設される国立美術館に飾るためにフランス政府がロダンに依頼した作品でした。
ロダンにとっては初めて政府から受けた依頼でしたが、それだけに横槍も多い。
自身の芸術家としての表現もなかなか理解されません。
さらに構想もまとまらず、苦悩します。
そこには表現に対して、あるいは自らの仕事に対して真摯な芸術家の横顔があります。
「地獄の門」
劇中では語られていませんが、国立美術館の計画は後に白紙になり、この作品の注文もキャンセルされます。
ロダンはこの作品を買い取り、生涯にわたって製作を続けました。
モチーフはダンテの『神曲』地獄編に出てくる「地獄の門」
一方で、ロダンは一個人としてはかなり問題のある人間でした。
内縁の妻ローズがいながら、弟子と不倫し、挙句に妻からカミーユと別れるように迫られて、彼女を捨てます。
ロダンに別れを告げられたカミーユは精神を病み、78歳で死去するまで精神病院に入院することになります。
「青銅時代」
ロダンの出世作。あまりの出来栄えに「生きた人間から型を取った」と疑われた。ロダンは実物大の人間より巨大な作品をつくることで疑惑を晴らすと同時に、その名を世に知らしめた
しかも、そんなことがあったにも関わらず、相変わらず弟子やモデルと関係を持つ。
男である私から見ても、「いい加減にしろ!」と怒りたくなりますが、一方で幸か不幸かロダンの気持ちも少なからず分かる気がします
おそらくロダンもそうだったと思いますが、私も女性というものが好きで仕方ない(笑)
それに、何だかんだ言って仕事には一生懸命なところも私と似ていると感じます。
だから、映画の中のロダンに反発を覚えつつ、共感するという何とも複雑な心境でした(笑)
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言わずと知れたロダンの代表作。おそらく世界でもっとも有名な彫刻の一つ。もともとは「地獄の門」の一部で、地獄の門を覗くダンテを表しているとも、ロダン自身を表しているとも言われる
そもそも、ロダンに限らず芸術家や科学者、あるいは何か他のことでも歴史に名を残すほどの功績を残した人は、異性関係も派手な人が多いような気がします。
それは、強い精神的エネルギーが恋愛にも向けられるからだと、私は見ています。
とすると、ロダンの女性関係も芸術家としての側面の影のようなものかもしれません。
それに趣味であれ、仕事であれ、何かに打ち込む人は、性別問わず魅力的に映るものでもありますし。
ちなみに私は以前、ある女性から「将来浮気しそう」などと言われたことがあります。
そもそも浮気できるほどもてない気がしますが、かなり飽き性なところがあるし、大事な問題ほど優柔不断になるところがあるので、あまり認めたくないですが、結構的を得た指摘かもしれません。
どうでしょう?
奥さんや彼女ができたとして、だれか別の異性を好きになったり、思いを寄せられたりしたら・・・
うーん、心は動くかもしれないけど、やっぱりそれで自分の大事な人が傷つくことを想像するとそれが歯止めになるかな。
いずれにせよ、「ロダンのふりみて我がふり直せ」。
やっぱり決まった相手がいるのなら、その人を一途に思い続けようと、決意を新たにするのでした。
今日はこんなところです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
「コラテラル・ダメージ」は許容されるか?
いつも当ブログをご覧いただき、ありがとうございます。
早いものでもう11月。
今年もあとわずかでございます。
ブログの更新はゆっくりになって、更新頻度も月一くらいになるかもですが、読書や映画鑑賞は相変わらず続けていて、書きたいことが溜まってきています。
今年も最後まで「書きたいことを、書きたいように書く」ポリシーを守りつつやって行きたいと思いますので、一つよろしくお願いします。
さて、今日は先月見た映画の話をしようと思います。
「ハイドリヒを撃て! ナチの野獣暗殺作戦」
「ハイドリヒ」とは、第二次大戦中のナチス秘密警察の事実上のトップであり、連合国から「金髪の野獣」と呼ばれたラインハルト・ハイドリヒのことです。
ハイドリヒはチェコ副総督に在任中の1942年、イギリスとチェコ・スロヴァキア亡命政府によって送り込まれた刺客によって暗殺されますが、その暗殺計画=エンスポライド(類人猿)作戦の顛末を描いた映画です。
チェコ占領政策の事実上の最高責任者であったハイドリヒは、現地の労働者に対しては福祉政策の充実などを通して懐柔する一方、抵抗運動の主たる担い手であったインテリ層に対しては仮借のない弾圧を加え、抵抗運動を壊滅させました。
当時チェコはヨーロッパ有数の工業地帯であり、その統治が順調に行くことはドイツがその工業力を手にすることを意味しました。
ハイドリヒ暗殺の背景にはそれを恐れたイギリス政府の意思がありました。
さて、ハイドリヒ暗殺のために送り込まれた亡命チェコ人の若者たちは、現地の抵抗組織の協力を得て、ハイドリヒの暗殺に成功します。
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しかし、その代償はあまりに大きなものでした。
自身の側近を殺されたことに激怒したヒトラーは、容赦ない報復に出ます。
無関係のチェコの市民たちが数多く処刑、あるいは投獄されたり、拷問によって殺されました。
あやふやな密告によって村民が皆殺しにされた村もあります。
張り巡らされた捜査網をかい潜り、絶望的な逃亡生活を続けながら、暗殺を実行した若者たちは自問します。
自分たちのしたことは正しかったのか?、と。
確かに、ハイドリヒは同胞を殺戮した憎むべき敵ではある。
しかし、それを倒すために大勢の罪のない人々を犠牲にすることは許されるのか?、と。
「やむを得ざる犠牲」を意味する「コラテラル・ダメージ」という言葉がありますが、この映画を見て、この言葉を思い出しました。
ハイドリヒはだれかによって殺されるべきだったかもしれないし、ナチスもだれかが倒さねばならなかったとは思います。
しかし、そのために無数の人命を犠牲にすることは正当化されるのでしょうか?
少なくとも、それを正当化する考えは危険だと、私は思います。
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では、どうするべきだったのか?
それこそ歴史の後知恵に過ぎませんが、ナチスは一介の小政党に過ぎない段階で、芽を摘まれるべきでした。
過ぎた歴史のことはもうどうしようもないけれど、今後ナチスのような危険な集団が歴史の表舞台に立たない保障はない。
だからこそ、それらが手がつけられなくなるほど巨大化する前にその芽を摘む。
そのために必要なのは、そんなに特別なことではないと思います。
耳障りのよい言葉、非の打ち所のない正論、そういったものには眉に唾つけて疑ってかかる。
わずかでも違和感を感じたら立ち止まってよく考える。
みんなが賛同しても自分が納得できなければ賛同しない。
そして、時には自分自身さえ疑ってみる。
そんな姿勢ではないでしょうか。
今日はこんなところです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
※この映画はかなり重い話ですし、ショッキングなシーンもありますので、鑑賞の際はご注意ください。
自分の周りから、ちょっとずつ世界を変える
いつも当ブログをご覧いただき、ありがとうございます。
前回からちょうど1ヶ月ぶりの更新になります。
この間、職場でちょっとしたプロジェクトに関わったりして、仕事に夢中になってました。
私の特性として、一つのことに没頭すると他のことを忘れてしまうところがあるので、ブログもお留守になっていたんですが、先日職場の人に勧められて見に行った映画があるので今日はその話をしようと思います。
「ドリーム」
アメリカの初期の宇宙開発に携わった実在の三人の黒人女性を描いた映画です。
1960年代初頭、NASAに計算係として勤務するキャサリン、ドロシー、メアリーの黒人女性三人組。
彼女たちの他にもNASAにはたくさんの黒人女性たちが勤務をしていましたが、そこには露骨な差別が存在しました。
白人の女性と同じ仕事をしても給与は低く、管理職にはなれず、黒人の女性は敷地内の外れにある部屋に集めて勤務させられる・・・果てはトイレやコーヒーポットに至るまでそこかしこに差別が存在します。
今から考えると信じられないような、はっきり言って「幼稚な」差別ですが、それを周りの白人の職員がだれ一人おかしいと思わないこと、そしてそんな時代に、私は言いようのない怒りを感じました。
やがてキャサリンは有人宇宙飛行プロジェクトの検算係に抜擢、キャサリンは技術者を目指し、ドロシーはコンピュータのスペシャリストへとそれぞれの道を歩み始めますが、そこでもやはり人種の壁に直面します。
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たとえばキャサリンは近くに「黒人用」の女性トイレがないために、用を足すためだけに八〇〇メートル先のトイレへの往復を強いられます(このトイレが劇中では人種差別の象徴として描かれていて、中盤でキャサリンの上司が「白人用」のトイレであることを示す看板を叩き壊すシーンは痛快ですらあります)。
大小様々な理不尽に逢いながらもしかし、彼女たちは挫けません。
腐ることなく、また諦めることなく、自分の力を活かして、自分の為すべき仕事をしていきます。
そのことが、やがて周りの人々を、職場を、そして世の中を静かに変えていきます。
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キャサリンたちは何も最初から世の中を変えたかったわけじゃない。
ただ肌の色ではなく、能力や人格で自らを評価して欲しいという、人間としてあまりに当然な権利のために戦った。
しかし、そのことが結果的に世の中を変えていった。
その事実に私はささやかな勇気をもらいました。
私自身、発達障害+脳性麻痺というハンディキャップがあります。
私はそれでもの凄く差別された覚えはないけれども、周りの人が簡単にできることが、私にはできないことも多かった。
これでも結構負けん気が強いので、内心悔しい思いをすることも多々ありました。
でも、だからこそ、自分にできることを探してきたつもりですし、これからもそうするつもりです。
キャサリンたちが、自分の能力を活かして人生を切り拓いたように。
実は私には夢があります。
それは例えば障害者が、「障害者」としてではなく、一人の人間として受け容れられる社会をつくることです。
それは大きすぎる夢かもしれません。
けど、私の仕事が大河の一滴になることを信じて、明日からも仕事をしようと思います。
今日はこんなところです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり
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「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を現す」というのは、おそらくたいていの方がご存知でしょう、平家物語の冒頭の一節です。
平家の栄華と没落、そして滅亡を描いた文学の導入としてはこれ以上ないと思えるほどの名文句ですが、歴史上衰亡と無縁であった国家や民族というものは存在しません。
あたかも人が老いや死から逃れられないように、国家も必ず衰退し、いつかは滅ぶ。
それ故、衰亡論には人を惹きつける魔力のようなものがある気がします。
さて、今日取り上げるのは高坂正堯『文明が衰亡するとき』です。
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今は亡き国際政治学の泰斗がローマ、ヴェネツィア、アメリカという三つの国を題材に衰亡論について語った本書は、お堅い学術書というのではなく、筆者自身も述べているように「歴史散歩」と言った方がしっくりくる。
例えて言うならば、大講義の授業を聞いているのではなくて、先生の研究室でお茶でもよばれながら先生の気楽で知的なお喋りの聞き役になっているような感じです。
学生時代、私も講義を聴くよりそんな時間の方が好きでしたが。
ローマ人の物語 (1) ― ローマは一日にして成らず(上) (新潮文庫)
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さて、本書における筆者の主張を端的に述べるならば「大国はその巨大さと成功故に衰亡する」ということになると思います。
ローマ帝国は巨大化した帝国の維持と防衛のためにより複雑な官僚機構と巨大な軍隊を必要としました。
さらに民衆の支持を得るためのよく言えば福祉政策、悪く言えばバラマキ政策を行わねばならなかった。
さしもの巨大な帝国もその負担に耐えきれず、財政に破綻をきたした。
近年の研究ではローマ帝国の衰亡はもっと複雑な問題であったと言われていますが(そもそも何をもってローマ帝国の滅亡と言うのかすら明確でない)、こうしたことも衰退の一因には違いなかった。
海の都の物語〈1〉―ヴェネツィア共和国の一千年 (新潮文庫)
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海洋都市国家であったヴェネツィアは東地中海の貿易を独占し、その富を背景に中世ヨーロッパ最強の海軍を持つことで人口十数万(最盛期)の小国でありながら、ヨーロッパの大国と互角に渡り合いました。
しかし、オスマン帝国に貿易拠点を奪われたこと、貿易の中心が大西洋に移ったこと、船舶の技術革新などの要因で没落。
18世紀の終わりに呆気なく滅亡します。
ヴェネツィアにしても例えば大西洋貿易に参入するチャンスもあったのにそれまでの成功体験に縛られたがために、結局海洋国家として生きることを断念せざるを得なくなったと、筆者は言います。
そして、海洋国家でなくなったヴェネツィアはもはや一小国に過ぎないのでした。
これって、日本の身にもつまされる話だと思います。
福祉関係予算の肥大化は頭痛の種で、大鉈を振るわなければ持続は危ういと思うんですが、国民の手前、遅々として進んでいません。
他にも正社員中心の雇用体系なんかは非正規労働者が全体の四割にもなった今、現実に即していないと思うんですが、こちらも高度成長期の成功体験もあってか、なかなか転換が進まない。
しかしながら、ただ変えてしまえばいいというわけでもない。
福祉政策は意地悪く見ればたしかにバラマキでもありますが、社会の安定のためにも必要ではある。
簡単に切るわけにもいかない。
雇用体系にしても単に正社員の首を切りやすくしたり、給与水準を下げてしまうだけでは社会全体の所得水準が下がるだけでしょう。
かと言って、給与を上げるだけでは雇用される人の数が減るかもしれない。
まことに頭の痛い問題です。
人が老いや死から逃れられないように、国家も結局のところ、衰退する運命にあるのでしょう。
しかし、どうせ死ぬのだからと自堕落に生きる人が明らかに健全でないように、衰退に任せるのも賢明な選択ではあり得ない。
それに国家は人間とは違い、改革という名の「若返り」ができる。
ならば若返りを繰り返して、何百年と健康に生き続けることだって可能だと思うのです。
そして、今の日本は民主主義国家。
国家を生かすも殺すも我々国民次第だと思うのです。
今日はこんなところです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。