公平な不平等
いつも当ブログをご覧いただき、ありがとうございます。
自粛下のおり、いかがお過ごしでしょうか?
先日、多くの府県で緊急事態宣言が解除されましたが、私の住む県はいまだに宣言下にあります。
しかしながら、今の第一波(国立感染症研究所によれば今流行しているのは欧州由来の"第二波"。武漢由来の"第一波"は封じ込めに成功していたようです)は何とか収束しそうな状況です。
一気に元の生活には戻れませんが、とりあえず一息つける情勢なのかなと思っています。
さて、世間では映画館も軒並み休館、新作映画も公開されないとあっては、ブログのネタもあまりありません(笑)
ただ、ステイホームのお供に思考実験の本を買っていましたので、その中からおもしろそうな問題を考えてみるシリーズを始めたいと思います。
- 作者:ジュリアン バジーニ
- 発売日: 2012/03/01
- メディア: 単行本
記念すべき第一回目は「公平な不平等」という問題を取り上げます。(※以下の問題文はブログ筆者による要約であり、文中に登場する単位等、わかりやすくするために改めています)
あるところに三人の小学生の息子を持つ父親と母親がいました。
二人は常に子どもたちを平等に扱うように心がけていました。
今日はクリスマスプレゼントに息子たちが欲しがっていた携帯ゲーム機を買いにおもちゃ売り場に来ています。
ゲーム機は一台一万円、何の問題もなくそれを三台買って帰ろうとしたら、父親の目に貼り紙が飛び込んできました。
「今最新型携帯ゲーム機(一万五千円)を二台買えば、旧型携帯ゲーム機(買う予定のもの)を一台プレゼント!」
父親は言います、「同じ値段で最新型のゲーム機が二台買えるじゃないか!」
母親は反論します、「でもそれじゃあ、三人のうち一人は古いゲームが当たってしまうのよ。そんな不平等なことできないわ」
さらに父親が言います、「でも、初めの予定より悪いものはだれも貰わないんだぜ?」(『100の思考実験』38〜39ページより)
さて、皆さんは父親と母親、どちらの言い分に賛同しますか?
あるいはどちらにも賛同しませんか?
父親の言うとおり、確かに最初の予定より劣ったものを貰う息子はいないわけで、その意味では少なくとも不公正ではないように思えます。
また、限られた予算でより良いものが手に入るのであれば、合理的であるとも思えます。
一方で母親の言い分にも理はあります。
三人ともに最新型のゲーム機が行き渡るのは数的に無理ですし、それは確かに不平等であるように思えます。
それにそんなことをすれば、兄弟喧嘩の元になるでしょうし、旧型のゲームを貰った一人は、兄弟や両親を恨むかもしれません。
さりとて、三台とも旧型を買うのは何だか損した気分です。
ここで少し、アプローチを変えてみましょう。
仮に最新型を二台買うとして、ゲーム機の分配法を工夫してみては?
例えば、ジャンケンで決めるとか。
両親が一方的に決めるよりはいい方法に思えますが、やはり問題はあります。
負けた一人が納得しなかった場合、やはり兄弟と両親を恨むかもしれません。
真に公正かつ平等な競争を経て、貧富の差が生まれたとしても、それを不満に思う人は絶対にいるでしょう。
「兄弟」という極めて小さなコミュニティであれば、尚更それが強くなる可能性もあります。(さらに厄介なことに現実世界では、真に公正かつ平等な競争はおそらく実現しません。出自や環境など、本人には帰責できない要素を排除することが困難ですし、それが決定的な不利になることもある)
私がこの親であればどうしたでしょうか?
教育的効果を狙って、敢えて最新型のゲーム機を二台買って、息子達と一緒に、みんなで仲良く最新型のゲーム機で遊べるようにする方法を考えると思います。
現実世界における、富の再分配のような。
皆さんのご意見はいかがですか?
よろしければコメント欄にお書きください。
今日はこんなところです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。