半平のきまぐれ日記

ADHD(注意欠陥多動障害)の会社員が本を読んで、映画を見て、あるいはその他諸々について思ったことを気まぐれに綴ります。(※本ブログはAmazonアソシエイトを利用しています。また、記事中の画像は、断りのない限りWikipediaからの引用、もしくはフリー素材を使用しています)

後ろ向き名言3選

いつも当ブログをご覧いただき、ありがとうございます。


めちゃくちゃお久しぶりの半平でございます。

皆様、お元気でしたでしょうか。

ご無沙汰している間に私の身辺は様変わりしました。

まず、今年の1月に3年半お世話になりました図書館を退職し、2月からとある民間企業で事務系の仕事をしています。

そして、入社5カ月目にあたる先月からメンタルの不調で休職しています。

まさか入社5カ月で休職するとは思いませんでした。


慣れない仕事で苦労して、ストレスがたまっている自覚はありましたが、ある朝突然会社の最寄り駅のプラットホームから1歩も足が動かなくなりました。

「今日は仕事に行けない」と悟ってそのまま反対側の列車に乗り込み、かかりつけの精神科を受診し、今に至ります。


幸い会社はゆっくり治すように言ってくれましたので(感謝!)、今月下旬まで1カ月休職させてもらっています。

ブログを休んでいる間に書きたいこともだいぶできましたし、自己治療も兼ねてゆっくりブログも再開していこうと思っていますので、お付き合いいただけましたら嬉しく思います。

さて今日は私のお気に入りの本『後ろ向き名言100選』から特に好きな言葉を3つ紹介したいと思います。


たとえですね、明日死ぬとしても、やり直しちゃいけないって、誰が決めたんですか?誰が決めたんですか?古畑任三郎

私も好きなドラマ「古畑任三郎」第3シーズン第5話「再会」の中で主人公の刑事・古畑任三郎(田村正和)のセリフです。

この話で古畑は旧友で作家の安齋(津川雅彦)の別荘に招かれます。

しかしそれは、担当編集者と不倫した年若い妻に対する復讐のためでした。

安齋は妻による他殺に見せかけて自殺し、古畑に妻を逮捕させようとしていたのでした。

しかし、古畑によって計画は見抜かれ、自殺を思いとどまらせるべく、古畑は安齋を説得します。

スキャンダルにまみれ、地位も名誉も全て失い、死ぬより辛い日々が待ち受けていたとしても生きるべきだと強く言った後、古畑は上記の言葉をかけるのでした。

私は辛いことがあった時や挫折をした時に、この言葉をよく思い出します。

「明日死ぬ」としてもやり直せる、のならば何度でも一からやり直せばいい、という勇気と力を得るのです。



本文中で言及したシーン。必死に説得しようとする古畑の少し上ずった声や、生きることを決意して精気を取り戻す安齋の目、といった本当に細かいところを名優二人が演じています。二人ともすでに故人なのが感慨深い

愛が信じられないなら、愛なしで生きてごらん。世の中が信じられないなら、世の中を信じないで生きてごらん。人間が信じられないなら、人間を信じないで生きてごらん。生きるということは恐らく、そうしたこととは別ですよ井上靖『城塞』より

60年以上前に毎日新聞で連載された、井上靖『城塞』に出てくる科白です。

主人公の江上透子は長崎の原爆で被爆し、その身の上故に思いを寄せてくれる男性・高津の気持ちを喜びながらも受け容れられずにいました。

題名の「城塞」はそんな彼女の頑な心を比喩した言葉でもあります。

心を閉ざす透子に相談役の桂正伸が語りかけたのが上記の言葉です。

今の世の中例えば、SNSを見れば、TL上に他人の充実した生活や、幸福な一コマがこれでもかと並び、書店やネットには自己啓発や世俗的な成功の方法を説いた本や記事で溢れかえっています。

まるで人々を「成功」に駆り立て、人生に「意味」や「価値」がなければならないと言わんばかりに。

それが間違っているとは言いませんが、さりとて追い立てられるのはしんどいもの。

そもそも「望まれて」生まれた人はいても、自ら「望んで」この世に生れて来た人はいません。

人生など無意味で無価値で当たり前だと思うのです(だからこそ人は、意味を求めてしまい、だからこそ、しんどくて切ないのかもしれませんが)。

愛がなくてもいい、何かを信じられなくてもいい、意味も価値も見つけられなくてもいい、それでも生きていていいのだと、桂の言葉は優しく背中を押してくれるように、私には聞こえます。

井上靖『城塞』はとっくに絶版になっていますので、お読みになりたい方は古本を探すか、『井上靖小説全集』23巻(新潮社)を図書館で借りるか、電子書籍をご利用ください。私も読みます。

胃に差し込むような痛みがありますので、どうか辞めさせてください二宮尊徳(金冶郎)

最後は、江戸時代に農民の家に生まれ、経世家として農村の復興事業などに活躍した二宮尊徳の言葉です。

幕府から下野国(現・栃木県)のある農村の復興事業を命じられた尊徳。

精力的に事業に取り組みますが、現地の農民からの協力は得られず、むしろ反発されてしまいます。

6年間事業は遅々として進まず、ある日尊徳は上の言葉を置き手紙に書いて失踪してしまいます。

3カ月後尊徳が村に戻ると不思議と農民たちは協力的になり、事業は見事完成を見たのでした。

勤勉克苦の代名詞のような二宮尊徳でさえ、仕事を投げ出したことがある。

ましてや我々のような凡人が仕事に行けなくなることがあっても無理ないんじゃないでしょうか。


いかがでしたか?
皆さんの心に響く言葉はありましたでしょうか?

今回紹介した言葉がだれかの目にとまって、その人の生きづらさを少しでも救うのなら、そんなに嬉しいことはありません。

今日はこんなところです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。