【人生の10冊】打たれ強く生きたい
いつも当ブログをご覧いただき、ありがとうございます。
今年は久しぶりに緊急事態宣言も蔓延防止重点措置も出されていない中でのGWとなりましたが、いかがお過ごしでしょうか。
海外に出国する人も多いようですが、私は自分の住む街から1歩も出ない予定です(笑)
このブログもGWだから多く更新するということもさらさらなく(むしろ1本でも更新したことがすごい)、平常運転でやってまいりたいと思います。
さて今日は「人生の10冊」の2冊目。
城山三郎『打たれ強く生きる』。
城山三郎といえば経済小説、企業小説の先駆的作家の1人で、後年には歴史小説を多く手がけました。
若い頃に戦争末期の海軍に志願して入隊し、特攻部隊として訓練を受けているうちに終戦を迎えたという経歴を持つだけに「組織(国家)と個人との関係はどうあるべきか」という問題意識が根本にあるような作品が多いように思います。
また、逆境に立ち向かっていく人間や、組織によって理不尽な目に遭わされても挫けない人間を描かせたらこの人の右に出る者はいないと、個人的には思っています。
そういう小説ももちろんいいんですが、それに勝るとも劣らずこの人の書くエッセイが私は好きです。
城山三郎の小説でいちばん好きなのがこれ。昭和初期に金解禁に果敢に挑んだ首相・濱口雄幸と蔵相・井上準之助の半生を描く。長い左遷生活に耐える濱口の姿が胸に沁みる。
なんならこのブログをやっているのも「城山三郎のエッセイのような文章を書いて人に読んでもらいたい」という思いが、多少なりともあると思います。
多くの企業家や歴史上の人物たちを小説に描くことを通じて培われた人物観察もおもしろいんですが、根本的にこの人が人間の強さや賢明さ、善性といったものを信じていることが行間からにじみ出るようで、(前回紹介した山本周五郎とは別の意味で)読んだ後に元気をもらえます。
巷に溢れる自己啓発本やビジネス書を10冊読むより、城山三郎のエッセイ集を1冊読む方がためになるんじゃないかと、私は思います(笑)
今回紹介する『打たれ強く生きる』を最初に読んだのはたぶん学生時代か、社会人になりたての頃、あるいは就職浪人をしてる頃だったかもしれません。
もう何年も開いてなくて、今回の記事を書くにあたり久しぶりに読んでみたんですが、驚きました。
「ボクシングでチャンピオンになるのはだれよりも打たれ強いボクサー」とか、「毛利元就が相手の好みに合わせて、酒を出したり饅頭を出したりしていた話」とか、私が心がけていることや気をつけていること多くが、この本に書いてありました。
もうどこで知ったのかも忘れていましたが、最初に読んだのはこの本だったと思いだしました。
それについて書いていってもいいのですが、せっかくなので10年近く社会人をやって、三十路になった私が読んで、改めて印象に残ったエッセイについて、いくつか書いていこうと思います。
まずは「初心安心」、「左遷のなかから」、「配転ははじまり」。いずれも自分の意にそまぬ場所に置かれたとき、左遷されたときにどうするかとい話。
特にサラリーマンをしていると望むような仕事ができる方がむしろ稀で、必ずしも希望に適わない部署に配属されることもあるし、左遷されることもある。
例えば後に日本化薬の社長になった原安三郎は、学卒で入社して炊事係に配属されました。
原はそこで腐らずに「どこの米がうまいか」、「米の味や価格の差はなぜ出るのか」といったことを追究していった。
そうやって自分なりにその部署でやるべきことを見出していけば、どんな仕事をしていても得るものは必ずある―私も人事職ということで今の会社に入社しましたが、いざ蓋を開けてみると仕事の半分以上は社内の古い書類の電子化。
けれど、スキャンニングひとつ取ってみても、原稿に応じた最適な設定や手際のよい取り方など、なかなかに奥が深い。
今は「社内でいちばんスキャニングが上手い男」になるのが密かな野望です(笑)
それに空いた時間を使って、会社の製品について図書館で借りた入門書から読んで勉強するのも知らない事実、意外な事実を知れておもしろいものです。
まあ、今の時代は必ずしも一つの会社で働き続けるわけではないし、私自身3回転職した経験からすると、自分の中に「どうしても」という理由があれば転職したりするのもありだとは思います。
私の判断基準は「そこでがんばることで自分や周りが将来的に幸せになる可能性があるか」ということと、「忍耐のための忍耐」になっていないかということ、この2つの基準をクリアしなければ、職場自体を変える。
ただ、どこに行こうと思い通りにならないことは必ずある。
その「思い通りにならなさ」から自分がどれだけ前向きな意味を見つけられるかが大事だと思うのです。
城山作品では『男子の本懐』と並んで好きなのがこの小説。史上唯一、民間から国鉄総裁となった石田礼助の生涯を描いた痛快作。自らの信念を貫き、だれに対しても同じ態度で接する石田の姿が格好いい。
「十年で勝負」と「自分だけの時計」はいい意味でマイペースであることの大切さの話。
「自分だけの時計」はすでにこのブログで紹介しましたので(人生の時計 - 半平のきまぐれ日記)そちらに譲りますが、「十年で勝負」もなかなかおもしろい。
蛇の目ミシンの経営再建を託された嶋田卓弥社長、就任会見で居並ぶ記者たちに「10年かけて再建する」と言い放つ。
その真意は早いばかりが能ではない、会社という、人が集まった組織には時間をじっくりかけて取り組んだ方がいい部分もある。
何やら常に急かされているような気がする今の世の中ですが、そうした時代だからこそ「いい意味でのマイペースさ」が必要な気がします。
ちなみに実際は、嶋田社長は4年で再建の目途をつけ、「社長と帽子は軽い方がいい」という名言を残してさっさと社長を退任しました。
長く居過ぎてむしろ弊害の方が大きくなる「創業社長」や「中興社長」も少なくない中、鮮やかと言うしかない身の処し方です。
ちなみに嶋田社長は2時間半の長距離通勤をしていたそうで、私も2時間かけて通勤しているので親近感が湧きます(笑)
どんな人にも丁寧に接することが大切と説くのが「味方をつくる」。
昭和電工などを創業した森矗テル(漢字が出ない)は面接で不合格にした応募者の元にも自ら出向き、丁寧に頭を下げたといいます。
その人たちを「未来のお客」にするという気持ちで。
私自身、転職活動をしていて思いましたが、たとえ不合格になっても面接官に丁寧な対応をされるとその会社に悪い印象は抱かないし、むしろ応援したくなる。
反対にとても横柄な面接官もいて、そういう面接官(ある会社は社長自身がそういう面接官でした)の会社は割と冗談抜きで「潰れたらいいのに」くらい思う。
人は自分がしたことは簡単に忘れますが、されたことは覚えているもですし、人の縁はどこでどうつながるか分かりません。
自戒を込めて「味方を一人でも多く、敵を一人でも少なくする」つもりで人に対してはなるべく丁寧に接したいものです。
まだまだ取り上げたいエッセイはありますが、あまり長くなってもいけないのでこの辺で。
今日本で働く人のほとんどはだれかに雇われて働く人、つまりサラリーマンです。
昔歌にあったような「気楽な稼業」ではなくて、人間関係やらなにやら苦労の多い稼業かもしれません。
けれども嫌な上司や気の進まない仕事からこそ学べることもあるし、やってよかったと思える仕事や出会えてよかったと思える上司や同僚もいる、苦労もそれなりにありますが、この稼業のおもしろさがようやく分かりだしてきたところです。
軽やかになんてとても生きられないけれど、代わりに私は何度打たれても立ち直る、打たれ強さを携えて、明日からもサラリーマン人生を生きていこうと思うのです。
今日はこんなところです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。