壺の中から見える空は美しいか?
いつも当ブログをご覧いただき、ありがとうございます。
お久しぶりです。
4月に入りまして、皆さんの周りでも人の出入りや入れ替わりがあったんじゃないでしょうか?
私は大学時代は京都で過ごしましたが、この4月を持ちまして、とうとう大学時代からの友人が京都にほとんどいなくなってしまいました。
時の流れと世の無常をしみじみ感じているところです。
ヤマキイカイ 紅星窯 漬物容器 蓋付半胴瓶 1号 1.8L A-1
- 出版社/メーカー: ヤマキイカイ
- メディア: ホーム&キッチン
- この商品を含むブログを見る
さて、皆さんは「壷中天あり」という言葉をご存知でしょうか?
昭和に活躍した安岡正篤という陽明学者が座右の銘としていた「六中観」という六つの言葉の内の一つです(ちなみに他の五つについてはこちら六中観―安岡正篤墨跡集。「死中活あり」と「忙中暇あり」は有名ですよね)。
元々は中国の歴史書『後漢書』に出てくる話です。
ある時、一人の男が老人が壺に入って行くのを偶然目にした。
驚いた男は壺から出てきた老人をつかまえて問い質した。
見られては仕方ないと老人は男を壺の中に案内した。
すると、壺の中には花が咲き乱れ、鳥がさえずり、蝶が飛び交う世界が広がっていた−という話です。
ここから転じて、世俗の生活に追われても自分だけの別世界を持つことの意味とされています。
実は私、この言葉を初めて知った時、字面からイメージして「身の回りの小さなことでも広く世の中と関係している」くらいの意味に捉えていました。
正確な意味は後で知りましたが、恥ずかしながら私流の解釈もそれはそれで悪くないんじゃないかと思っています。
私は今、就労移行支援事業所で就職に向けた訓練や勉強をしているところですが、それは自分のためにやっているのであって、だれかの役に立っているわけじゃない。
けれども、仕事に就いてだれかの役に立つための準備ではある。
さながら壺の中にいて、そこから空を眺めているような心境です。
そう、自分のことに汲々としているとしても、それはいつでも広い世界につながっていると思えれば、自分のしていることに意味があると思えてきます。
さて実は私、司書講座の単位を落としてしまいまして、受講期間を半年延長することになってしまいました。
偉そうなことを言っときながらまことにお恥ずかしい限りですが、済んでしまったことは仕方ない。
反省をして、「失敗で開ける道もあるさ」と思って、目の前のすべきことをやって行こうと思います。
今日はこんなところです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。