半平のきまぐれ日記

ADHD(注意欠陥多動障害)の会社員が本を読んで、映画を見て、あるいはその他諸々について思ったことを気まぐれに綴ります。(※本ブログはAmazonアソシエイトを利用しています。また、記事中の画像は、断りのない限りWikipediaからの引用、もしくはフリー素材を使用しています)

ただのサラリーマンがスーパーマンになる時―高杉良『あざやかな退任』

いつも当ブログをご覧いただき、ありがとうございます。

バレンタインにチョコレートがもらえそうにないので、いっそこっちから渡そうかと考えている半平です(笑)


さて、今日紹介するのは私の好きな高杉良さんの作品で『あざやかな退任』です。

主人公の宮本正男は、自主独立路線を貫く中堅エレクトロニクスメーカー・東京電子工業の副社長。

彼は長年、同社の創業社長である石原修の女房役を務めてきました。

そんなある日、石原が急死します。


カリスマ社長の突然の死に混乱する社内。

その間隙を突いて、東京電子工業を支配下に置くことを画策する、東亜電産の佐竹社長。

順当に行けば、宮本が社長になるところですが、それをすれば東亜電産から送り込まれた専務の野村に社長の椅子を譲らざるを得なくなる・・・。

様々な思惑が錯綜する中、宮本が打った手は?!


あざやかな退任 (徳間文庫)

あざやかな退任 (徳間文庫)


要約すればこんな感じですが、この小説、タイトルが出オチになっています。

タイトルの示すとおり、宮本は社長にならず、副社長も退任し、最年少常務の吉田を社長にすることで東京電子工業の自主独立路線を守ります。

そこに至るまでの宮本の葛藤や東亜電産との暗闘、それを取り巻く人間模様がこの小説の見所です。


燃ゆるとき (角川文庫)

燃ゆるとき (角川文庫)

[「赤いきつね緑のたぬき」で有名な東洋水産の創業者・森和夫を描いた小説です。確か中学生の時にこの小説を読んだことが、私と高杉作品の出会いであり、経済小説のおもしろさに目覚めたきっかけでした。
私は大学では経済史や企業史の研究をしましたが、それもこの小説を読んだればこそかな]


宮本が社長にならないという決断を下す、まさにその瞬間、彼は普通の人からスーパーマンになったのだと、私は思っています。

この小説は石原の死から宮本の退任まで、わずか数日の出来事を描いていますが、その短い間に、宮本の心は振り子のように何度も揺れます。

石原社長の下で苦労したし、サラリーマンである以上、出世はしたいし、社長にもなれるのならなりたい。

けれど、長年仕えた石原の遺した会社を、むざむざ東亜電産にも渡したくない。

両立し得ない二つの命題の間で、迷い悩むその姿は、凡人そのものです。


しかし、社長を吉田に譲ると決心してからの彼は、人が変わったように行動に一切迷いがありません。

東亜電産の圧力を跳ね返し、大銀行の会長を味方につけ、一気に会社の新体制を発足させる―。


炎の経営者 (文春文庫)

炎の経営者 (文春文庫)

[日本触媒創業者・八谷泰造をモデルにした小説です。東京電子工業の石原社長も八谷をモデルにしたんだとか。次の高杉作品はこれを読もうかしら]


その行動力は、さながらスーパーマンですが、何が宮本を変えたのか?

それはたぶん、「自分の役割に気づいたから」ではないでしょうか。

石原あっての自分であり、自分あっての石原であり。

その石原が亡くなった以上は、彼の遺した会社を守り抜くことが自分の最後の仕事である―そう気づいたことが、宮本をしてスーパーマンたらしめたような気がします。


それは決して「自分なんて副社長止まり」という諦めやニヒリズムではなく、「最後の最後まで石原の副社長である」という、一人のサラリーマンの矜持と誇りがあると思うのです。


人は望むと望まざるに関わらず、あるいは幸か不幸か、人の間で生きて行かざるを得ないもの。

その中で自分なりの役割を見つけること、自分の居場所を見つけることを否が応で迫られるのでしょう。

それは決して簡単ではない。

何十年と探し続けて、それでも見つけられずに人生が終わる人もいるでしょう。


けれど、地位とか、名誉とか、お金とか、他人の評判とか、そんなものではなくて、自分の心の声に耳を傾けてみれば、案外簡単に見つかるのかもしれませんよ。


今日はこんなところです。
最後までお読みいただき、ありがとうございした。

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