あなたは愛したい派?、愛されたい派?―ヘルマン・ヘッセ「アウグスツス」
皆様、明けましておめでとうございます。
今年も「読んでくれた人が少しばかり元気になるブログ」を目指しますので、「半平のきまぐれ日記」をよろしくお願いいたします。
[ヘルマン・ヘッセ(1887~1962)
言わずと知れたドイツの文豪。もっとも作品は、今日紹介した「アウグスツス」が入っている『メルヒェン』しか読んだことがありませんが。
代表作『車輪の下』、『デミアン』、『ガラス玉遊戯』。1946年、ノーベル文学賞受賞。]
さて、新年早々ですが、一つ思考実験をしてみましょう。
あなたの前に魔法使いが現れて、「だれにでも愛されるようになる魔法」と、「だれでも愛せるようになる魔法」どちらかをかけてあげる、と言われたらどちらを選びますか?
そんな話が今日ご紹介する、ヘルマン・ヘッセの短編「アウグスツス」です。
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[元々は第1次世界大戦の従軍兵士向けに書かれた短編童話集。冒頭の「アウグスツス」だけで¥432以上の価値がありますが、私は「詩人」も結構好きです。]
ある若い母親の元に魔法使いの老爺が現れて、「おまえの息子の人生を願い通りにしよう」と言われます。
迷った母親は、「だれにでも愛されるように」と願いをかけます。
願い通りに彼女の息子、アウグスツスは、子どもの頃から行く先々でだれにでも愛されるようになります。
だれもが彼の歓心を買いたがり、贈り物をし、援助をし、あるいは愛情を注ぐ。
そんなアウグスツスは、当然のごとく傲慢で歪んだ性格に育ち、周りの人を騙し、陥れ、非道な仕打ちをしますが、それでも周囲の人は彼を愛する。
「愛されるに値する人間でないのに愛される」ことに絶望したアウグスツスは、命を絶とうとします。
そんな彼の元に再び魔法使いの老爺が現れます。
アウグスツスは、「だれにでも愛される」を取り消し、自分が「だれをも愛せる」ようになることを願います。
すると、周囲の人は、手のひらを返したようにアウグスツスを罵り、騙し取られた財産を奪い返し、彼は見る影もなくやつれます。
しかし、アウグスツスは幸せでした。
なぜならば、路上で遊ぶ子どもたちを見ては可愛いと思い、ベンチで休む老人を見ては労りたいと思い、額に汗して働く人を見れば、手伝いたいと思ったから。
アウグスツスは人々を助けるための旅に出ますが、その胸は以前の人生では知り得なかった、穏やかな愛情に満ちていました。
そして、年老い、生まれた家に戻ったアウグスツスは、魔法使いの老爺に看取られながら穏やかに最期の時を迎えるのでした・・・。
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[私が「アウグスツス」を知ったのがこのマンガ。私の下手なあらすじより、よほど分かりやすいですよ(笑)]
さて、人間に(あるいは、あらゆる生きとし生けるもの)にとって、「愛される」ということは、水や食料のようなものではないかと思います。
「だれにも愛されない人生」というものがあるならば、それは砂漠に身一つで放り出されたようなもので、到底生きていくことはできないでしょう。
しかし、それを人生の目的にしようとは思いません。
食べることそれ自体が、人生の目的にならないのと同じように。
人は生きるために食べるのであって、食べるために生きるのではありません。
それに、愛されるかどうかは、つまるところ他人次第であって、自分の人生のもっとも大切な部分を、他人任せにしたいとも思いません。
だから私は、もし魔法使いが目の前に現れたなら、「だれでも愛せる」を選びたい。
いや、魔法使いが現れなくても、一人でも多くの人を愛し、助けられる人生を送りたい。
何らかの見返りを期待するのではなく。
その方が、人に愛されることを求める人生よりも、よほど心豊かな人生であると、私は思うのです。
今日はこんなところです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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拝啓、母上様、父上様
いつも当ブログをご覧いただき、ありがとうございます。
大晦日も迫る中、皆様におかれましては年越しの準備に追われておりますでしょうか?
さて、「半平のきまぐれ日記」も今日が年内最後の更新でございます。
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母さんは夜なべをして~♪ のフレーズで始まるのは童謡の「かあさんの歌」ですが、たいていの日本人は、 1 度は耳にしたことがあるのではないでしょうか?
コメディなんかでは、立てこもる犯人を説得するシチュエーションでよく出てくる歌ですが、今日はこの歌にまつわる話をしたいと思います。
倍賞千恵子 かあさんの歌
[ 「かあさんの歌」はたくさんの歌手が歌っていますが、今日はたくさんの抒情曲をカバーしている倍賞千恵子さんの歌声でどうぞ ]
この歌は、音楽家の窪田聡 (1935 ~ ) さんによって 1955 年ごろにつくられました。
東京の下町に生まれた窪田さんは、都内屈指の名門校・開成高校に通いますが、太宰治のような退廃的な生き方に憧れて、授業をさぼり倒し、早稲田大学に合格するものの、1日も通うことなく家出してしまいます。
その後は戦後に一世を風靡した「うたごえ運動」(うたごえ運動(うたごえうんどう)とは - コトバンク)に共鳴してアコーディオン片手に街頭で歌い、放浪の日々を送ります。
かあさんの歌 - 童謡・唱歌 - 歌詞 : 歌ネット
そんな日々を送る窪田さんの元にある日、居場所を突き止めた母から小包が届きます。
1 番の歌詞はそれをモチーフにしているわけですが、窪田さんは東京の下町生まれ。
この歌の背景になっている高度成長期前の典型的な日本の農村の風景は、窪田さんが戦時中に疎開していた信州の農村が元になっています。
少年の日々を過ごした信州の農村と、自分勝手な生き方を黙認してくれた両親への思いが、重なり合って生まれたのがこの曲だったというわけです。
さて、この話を聞くと、私も自分の親を思いだします。
子どものころから私のやりたいことに反対もせずに見守ってくれた親でした。
今でもはっきり言って不肖の息子ですが、私のやることにほとんど口出しせずに、辛抱強く物心両面から支えてくれています。
たぶん心配で仕方ないはずなのに、それを億尾にも出さずにたまに帰ると、笑顔で軽口をたたき合う、私の父と母。
普段は面と向かって言えないけど、今ここで言います、「こんな私を信じてくれて、ありがとう」と。
いつか面と向かって言えるようになれたらいいけれど、今はこれだけ。
いつか、あなたたちのような、人を信じられる強い人になりたいです。
・・・とまあ、柄にもなく殊勝なことを書いてみました ( 笑 )
さて、今日はこの辺にしたいと思います。
1 年間お付き合いいただき、ありがとうございました。
来年もどうぞよろしくお願いします。
それでは、年末年始、お身体にお気をつけて、よいお年を!
この世界の片隅で、私も生きよう―映画「この世界の片隅に」(※ネタバレあり)
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冬将軍が急に勤労意欲に目覚めたような寒さが続きますが、皆さんお元気でしょうか?
先日、友人に強く勧められて、映画「この世界の片隅に」(この世界の片隅に : 作品情報 - 映画.com)を見てきましたので、今日はその話をしようと思います。
広島で海苔づくりを営む家に生まれた主人公の北條(旧姓:浦野)すずは、絵を描くのが得意で、ちょっと変わってるけど、優しい女の子(ちなみに、すずみたいにおっとりしてて、優しい女性は個人的にどストライクです(笑))。
そんな彼女は、成長して呉の海軍書記官の青年の家に嫁ぎます。
かなりマイペースなすずは、嫁ぎ先で家事や義理の姉との付き合いに苦労しながらも、それなりに幸せな日々を送っていました。
そんな彼女にも、戦争の影が忍び寄り・・・という筋書きです。
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さて、日本人のつくった戦争映画(ドラマ)は、戦前・戦中の日本(人)を極端に悪く描くか、美化するかで、やたらイデオロギー臭い傾向がありますが、この映画にその嫌いはありません。
おそらく、あの時代を生きた多くの人々が送ったであろう、日常生活が淡々と描かれています。
日本の戦争映画につきものの空襲の描写も映画の後半にならないと出てきません。
人間関係に悩み、日々の生活を必死で守り、その中でささやかな幸せを噛み締めるその姿は、現代を生きる我々と何ら変わるところがありません。
コトリンゴ -「 悲しくてやりきれない 」
[映画の主題歌]
そして、それだからこそ、戦争の理不尽さや不条理さがより際立つようです。
いかなる理由があろうと、いかなる正義で飾ろうと、戦争は普通の人々にとって、理不尽でしかなく、その本質は「悪」(人が殺し合い、傷つけ合い、人々の生活と幸福を犠牲にすることを正当化する戦争を、私は敢えてこう言いたい)であると、気づかされます。
「悲しくてやりきれない ザ」・フォーク・クルセダーズ(The Folk Crusaders)
[「悲しくてやりきれない」のオリジナル歌唱、フォークル版。
作詞はあのサトウハチローですが、彼らしい悲しいながらも、どこか温かい不思議な歌です]
物語の雰囲気は、牧歌的ですらあるんですが、後半ですずは、空襲で自身の右手と、その時一緒にいた義理の姪を失います。
姪を守れなかったことで、自責の念に苛まれた彼女は、人が変わったように塞ぎこみ、生きる意欲さえ失ったようになります。
けれど、それでもすずは、自分の居場所を見つけ、生きることを選ぶ。
この世界の片隅で。
その姿は、決して彼女だけのものでなくて、あらゆる時代に生きる人間に共通するものなのではないでしょうか。
悲しくてやりきれない 怪しい彼女--多部未華子 歌唱シーン映像(歌詞付く)中文字譯
[「あやしい彼女」という映画の中で女優の多部未華子さんが歌ったバージョンです。多部ちゃんのかわいい歌声に癒されます。]
人は生まれる時代や国を選べません。
個人の力ではどう仕様もない理不尽に出会うこともあるでしょう。
それは時に戦争であり、貧困であり、災害であり、他の何かかもしれません。
生きるのが心底嫌になる時もあるかもしれません。
そこまで行かなくても嫌なことや、「やってられない」ことなんて、大小取り混ぜてたくさんあるでしょう。
けれど、人間にできるのは、それでも生きることなのだと、私は思います。
命の尽きるその瞬間まで。
万葉倶楽部CM 柳沢慎吾主演「父の声~新たな希望~」篇 ディレクターズ・カット版
[都市型温泉施設の万葉倶楽部のCMで「悲しくてやりきれない」が使われています。私がよく行く映画館では、上映前によくこのCMが流れていて、この映画を見た時も流れていました]
それに、生きてれば悪いことばかりでもありません。
すずがそうであったように、戦争のような状況下でも幸せを見つけることはできるし、絶望しても立ち直ることだってできる。
だから、私も生きよう、何があっても。
この世界の片隅で。
今日はこんなところです。
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“出会い”がくれた数式(映画「奇蹟がくれた数式」)
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最近は司書の資格取得が佳境に差し掛かってまして、趣味とは言え、あまり更新できずに歯がゆく思っているところです。
週1どころか、2、3週、あるいは月1くらいの更新になるかもしれませんが、一人でも読んで下さる方のいる限り、書き続けるつもりですので、どうぞよろしくお願いします。
[シュリニヴァーサ・ラマヌジャン(1887~1920)]
さて、皆さんはラマヌジャンという数学者をご存じでしょうか?
一般的な知名度は低いかもしれませんが、人知を越えた才能で「インドの魔術師」と呼ばれた天才数学者です。
わずか32歳で夭逝しましたが、死後100年近く経った今でも、彼の遺した膨大な研究の解析に世界中の数学者が挑んでいるといいます。
そんなラマヌジャンの生涯を描いた伝記映画「奇蹟がくれた数式」が先日公開されまして、私も見てきましたので、今日はそれについて書きたいと思います。
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ラマヌジャンは、当時はまだイギリスの植民地だったインドで、カースト最上層のバラモンの家に生まれました。
15歳の時にある数学の本を読んで以降、数学の魅力に取りつかれ、研究に没頭します。
大学には入りましたが、数学の研究に夢中になり過ぎたのが災いし、中退。
それでも研究を続けますが、あまりにも我流であったため、その才能はあまり認められませんでした。
直感的に数々の公式を導き出すものの、それを証明するのが、彼は苦手だったのです(と言うか、証明の必要性を理解していなかった可能性が高い)。
自分の研究成果を認めた手紙を遠くイギリスにまで送り、それが当時ケンブリッジ大学を代表する数学者であった、ハーディーの目に留まり、ケンブリッジに招聘されます。
渡英したラマヌジャンは早速ハーディーと共同研究を始めますが、特に緻密な実証を重んじるハーディーと、直感型のラマヌジャンは激しく衝突してしまい・・・というのが、この映画のあらすじです。
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ラマヌジャンとハーディーは数学のスタイルだけでなく、あらゆる点が正反対でした。
ラマヌジャンが敬虔なヒンドゥー教徒なのに対し、ハーディーは独身。
ハーディーは独身だけど、ラマヌジャンはインドに妻を残してきている。
ラマヌジャンは叩き上げ、ハーディーはエリート・・・。
おまけに根は優しいんだけど、人情の機微を読むのが苦手なハーディーはラマヌジャンの孤独や苦悩が分かりません。
こんな二人がただ、数学への純粋な情熱によって結ばれて、やがてただの共同研究者を越えた友情を育んで行くのだからおもしろいものです。
結局のところ、ラマヌジャンがアイデアを出し、ハーディーがそれを証明する形で共同研究は進み、僅か数年の間で数々の偉大な業績が生み出されます。
ラマヌジャンと、ハーディーのどちらが欠けても生み出されなかったであろう業績が。
どちらも天才的な数学者ではありましたが、おそらく一人だけでは歴史に名を残すことはできなかったでしょう。
ハーディーとラマヌジャンに限らず、アインシュタインもニュートンも、他にも多くの天才たちの仕事が、無数の出会いの果てになされたものなのでしょう。
どんな天才たちも決して一人で歩くことはできない。
ましてや、私のような努力してようやく凡才の人間は、なおさらそうでしょう。
だからこそ、一つ一つの出会い、たとえ祝福せざる出会いでも人生の肥やしくらいにはなるのですから、それを大切にしたいものです。
今日はこんなところです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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カネ、セックス、スキャンダル、そして“栄光”
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[ビル・クリントン(1946~)
記事の中にもあるように、客観的に見れば幸福とは言い難い子ども時代を過ごしましたが、子どもの頃からそれを感じさせないような明るく、人当たりのよい性格であったといいます。
下院議員選と知事選に1回ずつ落選するなど、何度か大きな挫折も味わいますが、その度に素早く立ち直るのは、天性の資質と幼少期の経験のなせる技でしょうか]
アメリカ大統領選挙でドナルド・トランプ氏が“予想外”の勝利を納め、世間を驚かせたのはまだ記憶に新しいところです。
予想外とは言われましたが、、正直なところ私は50:50でトランプの勝利があり得ると考えていて、むしろ世間の驚きぶりの方が不思議なくらいでした(今更言っても詮ないことですが)。
“専門家”やマスコミが軒並みヒラリー勝利を予想したのも、トランプ支持を口にできなかった有権者が多くいたのと同じように、トランプ勝利を言いづらい雰囲気でも言論界にあったのかと、割りと本気で思っています。
それはさておき、今日は選挙に敗れたヒラリー氏の夫、ビル・クリントン氏の話をしましょう。
西川賢『ビル・クリントン』
ビル・クリントン - 停滞するアメリカをいかに建て直したか (中公新書)
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いきなり個人的な話で恐縮ですが、93年から01年にかけてアメリカを率いたクリントン大統領は、私にとっては記憶に残る最初のアメリカの大統領だったりします(ちなみに、日本の首相では小渕さんあたりから記憶にあるかな)。
ビル・クリントンは、1946年にアメリカの中でも比較的貧しい、南部アーカンソー州の田舎町に生まれました。
出生の直前に実父が事故死し、母親の再婚相手に暴力を振るわれるなど(ちなみに、“クリントン”はその継父の姓)、お世辞にも恵まれているとは言い難い少年時代を過ごしました。
[アーカンソー州の位置]
しかし、その環境からイェール大学に進学し、同大ロースクール助教授、アーカンソー州司法長官を経て、アーカンソー州知事に就任します。
そして、アーカンソー州知事在任中に92年の大統領選挙に民主党から出馬。
見事当選を果たし、カーター政権以来、12年ぶりの共和党からの政権奪還を果たします。
在任中は、北アイルランド、パレスチナ、旧ユーゴスラビアなどの国際紛争の調停に積極的に乗り出し、ソ連崩壊後のロシアの民主化・自由経済化を支援するなど、ポスト冷戦の国際秩序建設に奮闘しました。
また、内政面ではlT産業を起爆剤とするアメリカの戦後最長の好景気を実現し、一時的にせよ財政の黒字化を実現するなど、業績は枚挙に暇がありません。
ブッシュ政権以来、迷走気味のアメリカで年々評価が高まってきているというのも頷けます。
一方で、クリントンには別の一面がありました。
それは、スキャンダルにまみれた政治家であるということ。
アーカンソー州知事時代のものも含めて、代表的なものだけを挙げても、不動産投資に関わる不正疑惑、クラブ歌手との不倫疑惑、徴兵忌避疑惑、そして、モニカ・ルインスキーとの“不適切な関係”・・・。
特に不動産投資疑惑に関しては、側近が不審死を遂げ(後に自殺と認定)、妻のヒラリー共々特別検察官の捜査を受け、これが元でクリントンは議会による弾劾を受けています(ニクソン以来、史上3人目)。
“偉大な業績”と“卑小なスキャンダル”。
往々にして政治家とは、叩けば埃も出て、ある種の二面性を持っているものですが、クリントンほどそれが極端で、陰影がはっきりしている政治家も珍しい気がします。
ビルとは1歳違いの47年生まれ。ビルとは違い、ごく普通の中流家庭で生まれ育ちました。高校時代に共和党から民主党支持へと転向。高校の卒業式で来賓としてきた議員のスピーチに反論するなど、若い頃から気は強かったんでしょうか。
別にこの人のこと好きじゃありませんが、2度も有力視されながら大統領の座を逃したのは、気の毒に思わなくもない。年齢的に次のチャンスはないだろうし・・・]
筆者の西川氏がクリントンの最大の功績としているのが、リベラル一辺倒でも保守一辺倒でもない「中道政治」を打ち立てたということ。
それは、民主党と共和党の政策の「つまみ食い」で、多分にご都合主義的ではありますが、左右に両極化し、危機を迎えつつある現代アメリカの(あるいはアメリカだけでなく、日本も含む多くの先進国の)民主政治においては、顧みられるべき手法ではないかとしています(ただ、一方で筆者も言う通り、クリントンが政治の倫理や道徳を貶めた責任の一端が間違いなくあるわけで、そこがこの政治家の評価を難しくしているわけですが)。
私も概ねこの考え方に賛成です。
なんと言うか、クリントンのやり方を見ていると、55年体制時代の自民党を思い出します。
自民党も“保守政党”を名乗りながらも、福祉や環境などの分野でライバルの社会党の政策を無節操に取り入れることで、政権の延命を図った。
けれど、結果的には問題も色々あったけれども、“大過ない”政治を実現した側面はあると思います。
こう言う、いい意味での“いい加減さ”や“無節操さ”が現代の政治、そして社会から失われて行っているような気がしてなりません。
“白か黒か”、“正しいか間違っているか”、“敵か味方か”で別れる社会は、一見正しくて、分かりやすいようでいて、実は物凄く不寛容で柔軟性を欠いていて、つまりは脆弱で危険であるのではないでしょうか。
これが私の杞憂であるといいんですが。
いずれにせよ、このテーマについては自分なりにまだまだ考えて、もっと勉強したいところです。
考えがある程度まとまれば、またここでも書きたいと思いますが、今日はこの辺で。
今日はこんなところです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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図書館実習記 その②―お椀を洗いましょう
いつも当ブログをご覧いただき、ありがとうございます。
先週は随分寒かったですが、皆さんはお風邪など召されてませんでしょうか?
実は私は、誕生日の後くらいから、のどの調子がよくありませんで、おかげでトローチが手放せません(>_<)
健康にはくれぐれも気をつけましょう。
さて、今日は先日書いた図書館実習記(図書館実習記 その①―あんな仕事、こんな仕事、たくさんあるけど結局どれが得意なのか?!― - 半平のきまぐれ日記)の後編を書きたいと思います。
・・・と、その前にちょっとこちらの話を聞いてください。
[たぶん、このブログに2回目のご登場となる趙州和尚。前のご登場はこちらを参照雨ならずして花はなお落つ - 半平のきまぐれ日記]
時は中国の唐の時代、所は名僧趙州禅師のおわす禅林でございます。
ある日のこと、趙州禅師を若い雲水が訪ねて参りました。
雲水「私はいくつもの禅林で修行を積んで参りましたが、いまだに悟りを得られません。どうか、私をお導きください」
禅師「そうですか。ところで、お粥(禅林では朝食にお粥が出される決まりになっている)はもういただきましたか?」
雲水「はい、いただきました」
禅師「では、お椀を洗いなさい」
この言葉を聞いた瞬間、雲水は悟りを開きます。
この雲水の悟りが公案となるのですが、私は図書館で実習していて、この公案を思い出しました。
図書館の仕事は本を所定の場所に戻したり、リクエストのあった本を見つけてきたり、他にも色々ありますが、総じて地味で目立たない仕事が多い。
ついでに言えば、できたからと言って誉められることもない。
けれど、その地味な仕事が本当に図書館サービスを支えていることを実感しました。
そして、これは図書館の仕事に限らず、世の中のあらゆる仕事がそうであるという気がします。
華やかな仕事の裏には、日々スポットライトを浴びないところで、黙々となされる仕事と、それをする人々が必ずいます。
ここで、雲水の話に戻りますが、彼が得た悟りとは、これと似たようなものだったのではないでしょうか。
つまり、朝がくればお粥を食べ、お粥を食べればお椀を洗い、お堂を掃除し、お経を読み、座禅をする。
日々の当たり前の日常をいかに真心をこめて送るか、真心をこめて仕事をするか、それこそが修行であり、即ち悟り、心の平安への道だと。
私も、例えば実習で本を返すときは、少しでも他の職員さんや、利用者さんが次に探しやすいように置き方を工夫したりして、自分なりの真心をこめたつもりです。
もちろん、それで十分なはずもありませんが、真心をこめてやると、その仕事が紛れもなく自分の仕事であるような気がしてきて、楽しくなってくるから不思議です。
どんな仕事もだれかに求められているから仕事として成立しています。
私がこれからどんな仕事に就くにせよ、それを求めてくれる人のために真心をこめて仕事をしたいと思います。
それが結局は、自分自身の幸福にもつながるのでしょうから。
今日はこんなところです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
おばあちゃんのおにぎり
いつも当ブログをご覧いただき、ありがとうございます。
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[最近はおにぎりのレパートリーも随分増えたようでして。手のこんだのもいいけれど、私はシンプルなのが好きだなあ]
実は私、昨日が誕生日でした。
だからと言って、何が変わったわけでもなく、単に履歴書に書く年齢の数字が一つ大きくなっただけなんですが。
けれど、母が一応プレゼントをくれたり、周りの人がお祝いをしてくれたので、それに因んで何か書いてみようと思います。
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今年、母がくれた誕生日プレゼントというのが、私の好きな歌手のさだまさしさんが書いた童話『おばあちゃんのおにぎり』。
さださんの子どもの頃の実体験をそのまま書いたという童話です。
さださんが7歳の誕生日に家に友達を呼んでパーティーを開く。
お母さんがご馳走をつくってくれて、友達がおもちゃや、絵本やレコードをプレゼントにくれる中、さださんのお祖母さんは、彼に何の変哲もない塩むすびをつくってあげます。
いつもは大好きなお祖母さんの塩むすびですが、その時ばかりはさださんは落胆して、おにぎりを食べずに遊びに行ってしまい・・・という話です。
私もさださんのように祖母がつくってくれるおにぎりが大好きでして。
具は梅干しか塩昆布、俵型で胡麻が振ってあるだけのこちらも取り立てて変わったところのないおにぎりですが、これが一等うまい。
今でも実家に帰ると、このおにぎりを食べるのを楽しみにしていて、だから、この話にも実に共感を覚えます(子どもの頃、さださんと似たようなことしたことあるし・・・)。
おむすびクリスマス さだまさし(歌詞付き)
[さだまさし×おむすび、と言えば、この曲。この曲のテーマも、「失って初めて分かる大切さ」でしょうか]
実はおむすびのプレゼントには裏話があって、当時のさださんの家は、お父さんの事業が傾いていて、家計は火の車でした。
だから、お母さんがつくったご馳走も、無理をして用意したものだっただろうし、お祖母さんもおにぎりしか、孫にあげられるものがなかった。
その辺の事情は大人になってから知りますが、『おばあちゃんのおにぎり』の最後で思い直して家に帰った少年・さだまさしは、泣きながらおばあちゃんのおにぎりを食べます。
苦しい家計の中から、それでも息子や孫のために、精一杯の心尽くしをするご両親やお祖母さんの元で育ったからこそ、ざださんは、あんなにも人の心を揺さぶる歌をつくれる人になったのかもしれません。
転宅/帰去来収録曲 # さだまさし(CD音源)
[起業→倒産を繰り返した、さださんのお父さんを唄った一曲。“人生は潮の満ち引き”のフレーズが沁みます。]
誕生日っていうと、子どもの頃は、プレゼントにおもちゃや、本を買ってもらうのが楽しみだったんですが、最近はプレゼントが欲しいなんて、思わない。
もちろん、物欲がないわけじゃありませんが、どれだけ躓こうと失敗しようと、それでも見守ってくれて、支えてくれる人のいる有り難さに気づいたから、それだけで十分なんだと思えます。
さださんがご両親やお祖母さんから、何かを受け継いだように、たぶん私も親や祖母、それだけでなくて、たくさんの私を気にかけてくれる人たちから何かを与えられて、生きている。
いや、もっと言うならば、名前も顔も知らない人々から、何かをもらって、ようやく生きている。
人間って、そんなものじゃないでしょうか。
そして、与えられるだけじゃなくて、与えることだってできる。
私はいつか死ぬ。
けれど、私がだれかに与えた何かは、私よりほんの少しだけ長生きをするかもしれない。
私のことは忘れられても構わないんだけれども、私よりほんの少しだけ長生きをする何かを、だれかに残せたらいいなと思います。
そんなことを考えた2×回目の誕生日でした。
今日はこんなところです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。