図書館実習記 その②―お椀を洗いましょう
いつも当ブログをご覧いただき、ありがとうございます。
先週は随分寒かったですが、皆さんはお風邪など召されてませんでしょうか?
実は私は、誕生日の後くらいから、のどの調子がよくありませんで、おかげでトローチが手放せません(>_<)
健康にはくれぐれも気をつけましょう。
さて、今日は先日書いた図書館実習記(図書館実習記 その①―あんな仕事、こんな仕事、たくさんあるけど結局どれが得意なのか?!― - 半平のきまぐれ日記)の後編を書きたいと思います。
・・・と、その前にちょっとこちらの話を聞いてください。
[たぶん、このブログに2回目のご登場となる趙州和尚。前のご登場はこちらを参照雨ならずして花はなお落つ - 半平のきまぐれ日記]
時は中国の唐の時代、所は名僧趙州禅師のおわす禅林でございます。
ある日のこと、趙州禅師を若い雲水が訪ねて参りました。
雲水「私はいくつもの禅林で修行を積んで参りましたが、いまだに悟りを得られません。どうか、私をお導きください」
禅師「そうですか。ところで、お粥(禅林では朝食にお粥が出される決まりになっている)はもういただきましたか?」
雲水「はい、いただきました」
禅師「では、お椀を洗いなさい」
この言葉を聞いた瞬間、雲水は悟りを開きます。
この雲水の悟りが公案となるのですが、私は図書館で実習していて、この公案を思い出しました。
図書館の仕事は本を所定の場所に戻したり、リクエストのあった本を見つけてきたり、他にも色々ありますが、総じて地味で目立たない仕事が多い。
ついでに言えば、できたからと言って誉められることもない。
けれど、その地味な仕事が本当に図書館サービスを支えていることを実感しました。
そして、これは図書館の仕事に限らず、世の中のあらゆる仕事がそうであるという気がします。
華やかな仕事の裏には、日々スポットライトを浴びないところで、黙々となされる仕事と、それをする人々が必ずいます。
ここで、雲水の話に戻りますが、彼が得た悟りとは、これと似たようなものだったのではないでしょうか。
つまり、朝がくればお粥を食べ、お粥を食べればお椀を洗い、お堂を掃除し、お経を読み、座禅をする。
日々の当たり前の日常をいかに真心をこめて送るか、真心をこめて仕事をするか、それこそが修行であり、即ち悟り、心の平安への道だと。
私も、例えば実習で本を返すときは、少しでも他の職員さんや、利用者さんが次に探しやすいように置き方を工夫したりして、自分なりの真心をこめたつもりです。
もちろん、それで十分なはずもありませんが、真心をこめてやると、その仕事が紛れもなく自分の仕事であるような気がしてきて、楽しくなってくるから不思議です。
どんな仕事もだれかに求められているから仕事として成立しています。
私がこれからどんな仕事に就くにせよ、それを求めてくれる人のために真心をこめて仕事をしたいと思います。
それが結局は、自分自身の幸福にもつながるのでしょうから。
今日はこんなところです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。