この「生きづらい」ときに何ができるか
いつも当ブログをご覧いただき、ありがとうございます。
世間では新型コロナウイルス流行の収束の兆しが見えず、外出を自粛されている方も多いのではないでしょうか?
仕事も自宅待機かテレワークをされている方もいるかもしれません。
私はバリバリのインドア派なので、休みの日に外出しないのはむしろ大歓迎なんですが、それでも先行きの見えない状況、漠然とした不安が延々と続くというのは辛い。
心の疲労をはっきりと感じ取っています。
そこで、具体的に何がストレスの原因になっているのかを分析してみました。
その結果わかったのは、ウイルス自体への不安はさほど大きなストレス因子ではないということ。
感染のリスクは手洗いやうがい、人と接する機会を減らすこと、人との物理的な距離を取ることなどで、かなり減らせると聞きます。
また、自分が感染・発症し、自宅療養する場合の準備もすでにしてあるし、重症化リスクも相対的に低いので、感染に対する不安はストレス因子になりにくい。
では何がストレスの原因になっているかというと、それはウイルスではなく、社会にありました。
特にメディアの不安を煽るような報道、ネットなどで飛び交う感情的な言葉、さらには感染リスクを冒して働いてくれている小売店の店員さんなどへの心ない言動、最前線で戦ってくれている医療従事者への差別などを報道等を通じて見聞きするたび、人間の嫌な部分を見せつけられているようで、本当にうんざりしていたのでした。
もっと言うなら、そんなことに反応し過ぎて心の疲労が蓄積したのでしょう。
最近映画の「もののけ姫」を見ましたが、その中で「戦、行き倒れ、病に飢え。人界は恨みを残した亡者でひしめいとる。タタリというなら、この世はタタリそのもの」というセリフが出てきて、今この時だからこそ、響く言葉だなあと思いました。
いくら科学技術が進んで、物質的に豊かになったとしても人類は疫病ひとつ克服できない。
ましてやいつの時代もある種の「生きづらさ」を感じている人は少なくとも一定数いて、それを無くすことは絶対にできないのだと思います。
こんな時だからこそ、その生きづらさがより感じられるのではないでしょうか。
私もその一人ですが。
しかし、一方でお釈迦様は二千年以上前にその生きづらい世の中で、いかに生きるべきかを考え続けた末に仏教を開いた。
また、そこから発展した大乗仏教の教えは、その生き難い世で迷い悩みながら生きる衆生をこそ救うべきと説きました。
このことに思い出すとき、私は大きな勇気を得るのです。
今回の流行にしても、「だれかが何とかしてくれる」と考えるのではなく、一人ひとりがウイルスと戦う当事者として、できることがあるはずなのです。
例えば全くの素人のタレントやワイドショーのコメンテーターの意見ではなく、最前線で戦ってくれている専門家の意見を聞いて、冷静に行動すること。
みんなのことを考え、不要不急の外出、必要以上の物は買わないこと。
どんな時も心に余裕を持ち、人に和やかな態度で接すること。
希望や明るさを失わないこと(そのためにはユーモア、笑いが大事ですね)。
今はだれもがしんどいのだと思います。
そんな時こそ、一人ひとりの行動が現在と未来の社会を守り、ひいては自分の未来を守ることにつながるのではないでしょうか。
今日はこんなところです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
最後に自分の行動を考える上で参考になりそうなページのリンクを貼っておきます。
よく生きる≠正しく生きる
どうも、半平です。
本当にお久しぶりです。
世間はコロナ騒動で騒がしいですが、皆様お元気でしょうか?
私はコロナに負けず平常運転でございます。
色々やること(やりたいこと)が多く、このブログもずっとほったらかしになっていましたが、ある人に「また書いてみたら」と言われまして、「そんな書こうか」と言う気になりました。
また書き続けるかもしれませんし、ぱたりとすぐ止めるかもしれません。
どうなるか私にも分かりません(笑)
まあ、それはさておき、今回は最近公開された「Red」という映画の話をしようと思います。
原作は島本理生。
商社マンの夫(間宮祥太郎)と一人娘に恵まれ、一見だれもが羨む幸せな主婦・塔子(夏帆)がかつての恋人・鞍田(妻夫木聡)との再会をきっかけに不倫にのめり込んでいく物語です。
- 作者:島本 理生
- 発売日: 2017/09/22
- メディア: 文庫
私は原作の方は未読で、映画もよくある不倫物と言えばそれまでですが、主演の夏帆がまず愛らしい。
恋をすることでどんどんかわいくなっていく女性を見事に表現しています(女性は恋をするとかわいくなるものなのでしょうか?そして、濡れ場の夏帆がこれまた実にかわいい!)。
また、相手役の妻夫木聡は影があるけど優しい男・鞍田を、間宮祥太郎はやさしいようで、実は自分のことしか考えていない夫の秋彦を好演しています。
と言うか、この秋彦がいちいちイライラさせてくるんですが、本人は自分が良い夫であることを寸分も疑っていないのが、なおのこと腹立たしい。
私が結婚してもこのようにはなるまいと反面教師にしようと思いました(笑)
他にもさりげないシーンやセリフが、登場人物のパーソナリティを窺わせるようになっていて、私はいい映画であったと思います。
さて、不倫といえば最近何かと話題になっていますが、私は芸能人の不倫が報じられた時の世間の反応に強烈な違和感を感じていました。
その理由の一つは、不倫を糾弾する資格はそれをされた配偶者にしかないと思っているから。
純然たるプライベートの問題をまったくの赤の他人がよってたかって非難する様子は、率直に言って気持ち悪い(そんなプライベートな問題を、さも大事件のように報道するメディアもまた)。
そして、人の不倫を責め、果ては人格攻撃まではじめる人々は、他人をそこまで言えるほど清く正しい人間なのでしょうか?
キリストは「汝らの中で罪なき者、この女を石もて打て」と言いましたが、私などは不完全もいいところな人間なので、他人を非難することについためらいを覚えてしまうし、一時の感情で非難したとしても、後で後悔せずにはいられないのです。
それはさておき。
劇中の塔子は少なくとも傍目には絵に描いたような幸せな主婦で、夫と娘と同居する姑に尽くす「良い妻」でした。
でもそれは、世間の規範や他人の期待に自分を押し込めていただけでした。
そうすれば幸せになれると信じて。
鞍田と再会して、そうでないと気づいたとき、不倫に走ってしまう。
たとえ不倫が悪であったとしても、そういう塔子の方が女性としても人間としても魅力的に私には見えます。
映画のラストで塔子はある決意をしますが、その姿は凛として美しい。
やはり、土壇場では男より女性の方が肝が据わっているのでしょうか?(笑)
さて、「よく生きる」といいますが、それは必ずしも「善く生きる」ことではなく、ましてや「正しいことだけして生きる」ことではまったくないと、私は思います。
そんな人間にはまったく人間味がないし、おもしろくもない。
また、「正しく生きる」ことに汲々とする人生では、それで周りは平穏であったとしても、本当に自分の生きたとはいえないのではないでしょうか。
それよりは、いっそ大いに悪をなし、間違いを犯し、後で懺悔する人の方が、よほど人間らしいと思うのです。
この世にて慈悲も悪事もせぬ人はさぞや閻魔も困りたまわん(by一休)
今日はこんなところです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
半平流十戒
いつも当ブログをご覧いただき、ありがとうございます。
GWも終わり、季節はもう夏の気配ですね。
私は最近、急に寝苦しくなったので毎晩眠りが浅くて難儀しているところです。
春眠暁を覚えずの季節が懐かしい・・・
元号は令和に変わりましたが、当ブログは相も変わらず気まぐれにやっていきますので、よろしくお願いします。
さて、最近私はモーゼが授かった十戒になぞらえて、「半平流十戒」というのをつくりましたので、今日はその話をしたいと思います。
- 無理しない
- がんばらない
- 格好つけない
- 煩わない
- 争わない
- 後悔しない
- 比べない
- 期待しない
- 欲張らない
- とらわれない
というのが、半平流の十戒ですが、これから逐条解説していきたいと思います。
1.無理しない
無理をして走ってバタンと倒れては元も子もないし、だいいち無理は続かないということです。
人生といういつ終わるともしれぬマラソンでは、速く走るより長く走り続けることが大事だと思うのです。
そういやこの話、前にもしたことあるな・・・と思ったら同じような話をずっと前に書いてました。よければそちらもお読みください。
2.がんばらない
「がんばってがんばる」のをやめようということ。
疲れたら休めばいいし、眠ければ眠ればいい。
明日でいいことは明日にすればいいし、私がやらなくてもいいことは、だれかにやってもらいましょう。
それよりもよく眠り、ゆっくりお風呂に浸かり、ボーっとしたり、自分自身や大切な人と語らおう。
3.格好つけない
どれだけ格好つけようと、強がろうと弱みは消えはしない。
ならば素直に弱みを見せて、人に助けを求めた方が楽に生きられるということ。
笑顔で差し伸べられた手を取り、笑顔でだれかに手を差し伸べよう。
この条を書いて思い浮かんだのがこの歌。めっちゃいいです
4.煩わない
悩みはそれ自体が存在するのではなく、色んなことを思い煩うから悩みとなる。
悩みの種の原因の大半は、「悩んでも仕方ないもの」、「悩む必要もないもの」、「現実になるかわからないもの」であると思います。
であるならば、可能な限り受け流せばいい。
5.争わない
他人と意見が食い違うことはままあることですが、その時に「小異を捨てて大同に就く」ということです。
何が何でも我を通さなければならない場面は人生にそう多くない。
小さなことで争うより、ニコニコしながら相手に譲る方が長い目で見て得るものが多いと思うのです。
6.後悔しない
言わずもがな、終わったことを気に病んでも得るものはない。
反省は必要ですが、それも過ぎれば毒となる。
どんなにいい結果に終わったことも反省点は探せばいくらでもあるのですから。
7.比べない
私にできて、あなたにできないことがある、逆もまた然り。
能力も性格も人生のペースも全くちがうのが人間というもの。
他人を横目にして焦るより、自分の人生を悠々と歩こう。
これまた同じような話を最近書きましたね。
8.期待しない
どれほど努力しようと、それが報われるとは限らない。
勝てるはずの勝負に負けることもある。
報われないと腹を立てて、自分やだれかを責めてしまう。
それよりも今できることをやろう。
9.欲ばらない
人の欲には際限がないもので、お金にせよ、物にせよ、地位や名誉にせよ、少し手に入るともっと欲しくなる。
人間に欲は必要だと思いますが、欲のために人生があるのではない。
自分には"何が"、"どれだけ"必要か自分に問いかけよう。
何が差別を生むか
いつも当ブログをご覧にいただき、ありがとうございます。
四月に入ってからも冬のように寒かったのが、急に春めいてきて、桜の開花も一気に進んだようですね。
最近、近場の有名な花見スポットと、近所の桜をたまたま立て続けに見ることがあったのですが、どちらも桜は桜、変わらずに美しいと感じました。
さて、今年度のアカデミー作品賞は「グリーンブック」という映画が取りましたが、先日見てきました。
舞台は一九六二年のアメリカ、クラブの用心棒をしていたイタリア系アメリカ人のトニー・バレロンガ(通称"トニー・リップ" ビゴ・モーテンセン)は、ひょんなことから著名な黒人ピアニスト、ドナルド・シャーリー(通称"Dr.シャーリー" マーハシャラ・アリ)の演奏旅行の運転手の仕事を引き受けます。
演奏旅行の旅程には人種差別の激しい南部も含まれていたため、トニーはシャーリーの護衛役でもありました。
二人は黒人向けの南部旅行ガイド"グリーンブック"を片手に南部を旅するのでした。
しかしトニーは、当時の白人の平均程度には黒人に対する差別意識を持っていました。
一方でシャーリーも白人社会の中で一定程度認められていたからこそ生ずる一種の白人に対する壁のようなものがありました。
おまけに複数の博士号を持つほど教養高いシャーリーと、腕っ節は強いが無教養なトニーは、水と油のようなもので出発当初から二人はギクシャクしてぶつかり合います。
そんな二人が色々な出来事を共に乗り越えるうちに、友情を育んでいく実話を元にした映画なんですが、差別を題材にしながらもシリアス一辺倒ではありません。
シリアスとコミカルが交互に描かれていて、ちょっとしたシーンやセリフの中に深い意味があって、オスカーを取ったのもむべなるかなと思える良作でした。
二人で一緒にフライドチキンを食べる、私がいちばん好きなシーンです
さて、初めはいがみ合っていた二人ですが、シャーリーは一見下品で粗野なトニーに次第に誠実さと人の本質を見抜く目があることに気づきます。
また、トニーも気位が高い堅物と思っていたシャーリーの中にある音楽への情熱や苦悩、シャーリーが自発的に南部に来たことを知ります。
"黒人"や"白人"、あるいは社会的階層の違いといった没個性的な記号として互いを見るのではなく、一人の人間としての色々な面を知ることで、二人の間に友情が芽生えます。
映画は実際の二人が終生変わらぬ友情を持ち続けたことが語られて幕を閉じますが、何か差別というものについて考えさせられる話だと思います。
私が思うに差別とは例えば憎悪ではなく、むしろ無知から生まれるのではないでしょうか。
差別には複雑な背景や要因があるのでしょうし、程度も様々でしょうから、一概に言うのは乱暴かもしれませんが、あの当時、黒人を差別していた白人の人々がことさら悪人だったとは私は思いません。
大多数はどこにでもいるような、ごくありきたりな人たちで、例えば"みんながそうしているから"とか、"昔からそうだった"とかいう理由だけで、自覚もなく"差別"をしていただけのように思えるのです。
黒人の中にも色々な人がいることを知りもせず、それを想像しようとさえせず、ただのレッテルとしてしか彼らを見ない、そんな態度が差別を生んだのではないでしょうか。
Dr.シャーリーがテレビ出演した時の実際の映像
そしてそれは、異国の過ぎ去った過去の話ではなく、我々にも当てはまるのではないでしょうか。
例えばあなたの身の回りにどうしても好きになれないとか、苦手な人、もっと言えば嫌いな人はいませんか?
もちろん、私にもいます。
あなたがその人を嫌うのは相応の理由があるかもしれないし、その感情を否定することはだれにもできませんが、少なくともあなたに見えていることが、その人の全てでないことを想像する程度の謙虚さは必要ではないでしょうか?
人である以上、他者に好悪の感情を持つことは仕方ないと思います。
けれど、それだけで人を見ること、またその感情を善悪といった価値判断と結びつけること、それは慎むようにしようと、私は思っています。
今日はこんなところです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
それでも、なお・・・
いつも当ブログをお読みいただき、ありがとうございます。
前回の更新から一ヶ月以上間が空いてしまいましたが、この間また新しいことに挑戦し、そしてまた挫折しました。
去年から数えて一年以上走り続けてきた疲れと脱力感で何もする気が起きず、ブログも書けずにいたのでした。
人生なんて思い通りに行かないのが当たり前と、頭で分かっていてもこう短期間に何度も挫折すると、やっぱり凹みます。
自分の努力が報われることなんて、この先ずっとないんじゃないかなんて、ロクでもないことを考えたり・・・。
本当はとても辛いのに人前ではつい明るく振る舞ってしまい、そのせいで孤独感を深めたりと、ドツボにはまっているところです。
そこから抜け出すきっかけ探しも兼ねて、今は仕事中以外は好きな読書ばかりしています。
久しく読んでいない本や積ん読状態の本を中心に読んでいますが、その中の一冊にケント・M・キース『それでもなお、人を愛しなさい』というのがありました。
これは著者が学生時代に考えたという「逆説の十ヶ条」について書かれた本ですが、その十ヶ条は何十年の時を経て、マザー・テレサの目に触れ、インターネットを介して世界中に流布しました。
ご存知の方もおられるかもしれません。
1.人は不合理で、わからず屋で、わがままな存在だ。それでもなお、人を愛しなさい。
2.何か良いことをすれば、隠された利己的な動機があるはずだと人に責められるだろう。それでもなお、良いことをしなさい。
3.成功すれば、うその友達と本物の敵を得ることになる。それでもなお、成功しなさい。
4.今日の善行は明日になれば忘れられてしまうだろう。それでもなお、良いことをしなさい。
5.正直で素直なあり方はあなたを無防備にするだろう。それでもなお、正直で素直なあなたでいなさい。
6.最大の考えをもった最も大きな男女は、最小の心をもった最も小さな男女によって打ち落とされるかもしれない。それでもなお、大きな考えをもちなさい。
7.人は弱者をひいきにはするが、勝者の後にしかついていかない。それでもなお、弱者のために戦いなさい。
8.何年もかけて築いたものが一夜にして崩れ去るかもしれない。それでもなお、築きあげなさい。
9.人が本当に助けを必要としていても、実際に助けの手を差し伸べると攻撃されるかもしれない。それでもなお、人を助けなさい。
10.世界のために最善を尽くしても、その見返りにひどい仕打ちを受けるかもしれない。それでもなお、最善を尽くしなさい。
それでもなお、人を愛しなさい 人生の意味を見つけるための逆説の10ヵ条 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
- 作者: ケント・M・キース,大内博
- 出版社/メーカー: 早川書房
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先ほども書いたように人生は思い通りに行かないことの方が多い。
努力や善行は報われないし、思いは分かってもらえないし、誤解されたりすることもある。
けれどもそれは、努力をしないこと、自分の人生や他者に対して最善を尽くさない理由にはならないと思うのです。
「足るを知る」ことや自分にできないことを見極めことは必要だと思いますが、自分がすべきと思うことがあるのなら、それを諦めてはいけないと思うのです。
キング牧師ではありませんが、私には夢があります。
「どんな人も一人の人間として尊重され、その人格と能力によって評価される社会をつくる」という夢が。
それは私が発達障害の診断を受けて、就労移行支援事業所の助けを受けて就職したという経験から生まれた夢でもありますが、どんな形であれその夢を実現させたいのです。
自分ひとりの平穏を願うのではなく、世界のために少しでも価値あることをしたい。
そんな私にとっては実に勇気付けられる、価値ある言葉です。
今は志ばかりが高くて、その頂に登るための端緒を見つけられずにいるようなものですが、自分がその志を捨てずに行動することを忘れずにいれば、いつか実現すると信じています。
けれどもその前に、明日自分ができることを。
今日はこんなところです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
"数直線的価値観"+α
いつも当ブログをご覧いただき、ありがとうございます。
もうブログの冒頭の書き出しが、毎回寒さの話題になってしまうほど寒かったですが、週明けあたりから暖かくなるようですね。
この前冬が来たかと思うと、もう春というわけで、時の流れの速さを実感します。
そう言えば、大人になるほど時の流れを早く感じるのって、子どもに比べてトキメキが少なくなるからって話を前にテレビで見ました。
大人になってもトキメキを忘れないようにしたいものです。
さて、ここからが今日の本題。
突然ですが、皆さんは何か目標って持ってますか?
資格をとる、なりたい職業につく、素敵な彼女(彼氏)をつくる、結婚する、高い収入を得る、仕事で成功するetc...
向上心を持って夢や目標に進むのは素晴らしいことですが、それだけのいいの?というのが今日の話。
明確な目標というのは、たしかにモチベーションになりますが、一方で成功と失敗がはっきり分かるという面もあります。
成功すればいいですが、失敗すれば一気にモチベーションが下がる危険性を孕んでいるようにも思います。
そして、人生においては失敗することも多い。
就職やら結婚やら、大きなものだけでなく、小さなものも含めればむしろ失敗の方が多いとさえ言える。
むしろ、いくつもの失敗の中にたまに成功があるように思います。
成功や向上を重視する価値観を、私は"数直線的価値観"と呼びたいと思いますが、それだけでは人生辛くなると思うのです。
''数直線的価値観"の呼び名の由来。成功と失敗、向上と非向上の二元論的に考える価値観を図で表してみたら数直線を連想したことから
なぜなら、人は必ず成功するわけではないし、いつも向上できるわけでもないから。
では、どうするか?
オーストリアの精神科医ヴィクトール・フランクルは、「いかなる状況下においても生きる意味を見出す」ことの重要性を説いています。
ヴィクトール・フランクル
詳しいプロフィールは過去記事(たとえ人生に何も期待しなくとも・・・ - 半平のきまぐれ日記)参照
フランクルはユダヤ人としてナチスの収容所に入れられ、そこから生還した経験の持ち主です。
収容所の中は飢えと病気によっていつ死んでもおかしくないような極限状態でした。
しかし、その中でも生きる意味を見出した人間が生き延びる可能性が高かったことにフランクルは気づきました。
ナチスの収容所のような極端な状況でなくとも、不本意な現状やなりたい自分になれないことは、人生ではよくあること。
しかし、その不本意の中になにかしらの意味を見出すこと、これが大事であると思うのです。
前回の記事(静かに、健やかに、遠くまで - 半平のきまぐれ日記)で私は、「人生で思い通りに行かなくても投げ出さないことが大事」というようなことを書きましたが、その"投げ出さない強さ"の秘訣がここにあるという気がしています。
成功の華々しい物語は人生の本の一部、人生の多くの部分が、陳腐で退屈で、そして理不尽であったとしても、そこに意味をつくりだせる人が本当に強い人であり、そこにこそ人生の妙味があるとさえ、私は思うのです。
今日はこんなところです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
- 作者: 松山淳
- 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
- 発売日: 2018/07/05
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フランクル心理学の入門にぜひ
静かに、健やかに、遠くまで
いつも当ブログをご覧いただき、ありがとうございました。
春がだんだん近づいてきたと思ったら、また真冬のような寒さに逆戻りしましたね。
普段は滅多に雪なんか降らない私の街でも、今朝は雪がちらつきました。
さて、最近"静かに行く者は健やかに行く、健やかに行く者は遠くまで行く"という言葉をよく思い出します。
フランス生まれの経済学者レオン・ワルラスの言葉で、私の好きな城山三郎さんが度々引用しています。
レオン・ワルラス(1834〜1910)
フランス生まれの経済学者。フランス生まれではあるが、彼の学者としてのキャリアは主にスイスで築かれたので、「フランスの経済学者」とは言い難い。
国立学校を中退したり、理事を勤めていた銀行が倒産したりと、祖国フランスではぱっとせず、36歳でローザンヌ大学に職を得た。こうした経歴を見るあたり、ワルラスも結構"苦労人・遅咲き型"のような気がする。
経済学に数学的手法を取り入れ、その精緻な分析手法は近代的経済学の基礎を築いた。彼を初めとする系譜を「ローザンヌ学派」という。
「ワルラスの均衡」で経済学にその名を残す。
何となくいい言葉だなと思っていて、覚えていたんですが、ついこの間大きな挫折を経験して、その影響でメンタルがガタっと崩れて、また立て直してという経験を経て、その意味が本当にわかってきたような気がしています。
たとえば、私の挑戦にしてもかなり難易度が高く、よほど優秀な人でも運に恵まれない限り、成功するものではないと、今なら思います。
それが成功しなかったのは、私の努力が足りなかったからではないのだと。
また、それでメンタルが不調になったのも、自分で思っていた以上に一生懸命やっていたからで、がんばれない自分を責める必要はなかったのだと、今は思います。
努力が報われることの方がむしろ稀で、自分の力ではどうにもならないところで、自分の運命が動いていくことの方が多いのかもしれません。
人生という旅は、地図もなく舗装されていない道を行くようなもので、挫折に病気に災難、その他諸々とトラブルが実に多い。
時には立ち止まったり、回り道を余儀なくされることもある。
人間にできるのは、それでも旅をやめないことだけなのでしょう。
長い長い旅を一歩ずつ、自分のペースで。
- 作者: 城山三郎
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中身は"城山文学名言集"で、城山文学の雰囲気を知るにはうってつけの本
兎のように軽やかに行く人もあれば、亀のようにゆっくりな人もいる。
兎を横目に見ても、決して焦らない。
亀には亀なりの行き方があると分かれば、そのゆっくりとした道行きがむしろ愉快にさえ思えてくる。
ワルラスの言葉が言わんとしているのは、亀のような愚直さ、誠実さであるような気がします。
そう言えば、アレクサンダー大王は三十代半ばで亡くなるまでにギリシャからインドに至るまでの広大な帝国を築き上げました。
モーツアルトは十代で既にヨーロッパ中の宮廷で名声を得ていた音楽家でした。
モーガン・フリーマンが俳優として名声を博したのは五十歳になる頃で、カーネル・サンダースがケンタッキーフライドチキンを創業したのは、六五歳になってからでした。
人生のペースの多様なること、斯くのごとし。
やはり自分にあった速度で行くことが大事なのです。
私はたぶん、亀の方だけれども。
最後に名言をもう一つ
" その時々にできるだけのことをして、つまらん後悔はしないことだ。(中略)人にはそのくらいのことしかできんのだ"
byウッディ大尉(「機動戦士ガンダム」)
今回のような話を前にも書いたような、と思っていたら、3年前のブログを始めたばかりの頃の記事にありました。3年間の成長が見れる(だったらいいな)と思うので、こちらもお読みください(笑)
今日はこんなところです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。