半平のきまぐれ日記

ADHD(注意欠陥多動障害)の会社員が本を読んで、映画を見て、あるいはその他諸々について思ったことを気まぐれに綴ります。(※本ブログはAmazonアソシエイトを利用しています。また、記事中の画像は、断りのない限りWikipediaからの引用、もしくはフリー素材を使用しています)

この世界の片隅で、私も生きよう―映画「この世界の片隅に」(※ネタバレあり)

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冬将軍が急に勤労意欲に目覚めたような寒さが続きますが、皆さんお元気でしょうか?


先日、友人に強く勧められて、映画「この世界の片隅に」(この世界の片隅に : 作品情報 - 映画.com)を見てきましたので、今日はその話をしようと思います。


広島で海苔づくりを営む家に生まれた主人公の北條(旧姓:浦野)すずは、絵を描くのが得意で、ちょっと変わってるけど、優しい女の子(ちなみに、すずみたいにおっとりしてて、優しい女性は個人的にどストライクです(笑))。

そんな彼女は、成長して呉の海軍書記官の青年の家に嫁ぎます。

かなりマイペースなすずは、嫁ぎ先で家事や義理の姉との付き合いに苦労しながらも、それなりに幸せな日々を送っていました。

そんな彼女にも、戦争の影が忍び寄り・・・という筋書きです。


この世界の片隅に 上 (アクションコミックス)

この世界の片隅に 上 (アクションコミックス)

この世界の片隅に 下 (アクションコミックス)

この世界の片隅に 下 (アクションコミックス)

この世界の片隅に 中 (アクションコミックス)

この世界の片隅に 中 (アクションコミックス)

この世界の片隅に 劇場アニメ公式ガイドブック

この世界の片隅に 劇場アニメ公式ガイドブック

[映画の公式ガイドブック&原作です。すずちゃん、かわいいですよね~]


さて、日本人のつくった戦争映画(ドラマ)は、戦前・戦中の日本(人)を極端に悪く描くか、美化するかで、やたらイデオロギー臭い傾向がありますが、この映画にその嫌いはありません。

おそらく、あの時代を生きた多くの人々が送ったであろう、日常生活が淡々と描かれています。

日本の戦争映画につきものの空襲の描写も映画の後半にならないと出てきません。

人間関係に悩み、日々の生活を必死で守り、その中でささやかな幸せを噛み締めるその姿は、現代を生きる我々と何ら変わるところがありません。



コトリンゴ -「 悲しくてやりきれない 」
[映画の主題歌]



そして、それだからこそ、戦争の理不尽さや不条理さがより際立つようです。

いかなる理由があろうと、いかなる正義で飾ろうと、戦争は普通の人々にとって、理不尽でしかなく、その本質は「悪」(人が殺し合い、傷つけ合い、人々の生活と幸福を犠牲にすることを正当化する戦争を、私は敢えてこう言いたい)であると、気づかされます。



「悲しくてやりきれない ザ」・フォーク・クルセダーズ(The Folk Crusaders)
[「悲しくてやりきれない」のオリジナル歌唱、フォークル版。
作詞はあのサトウハチローですが、彼らしい悲しいながらも、どこか温かい不思議な歌です]


物語の雰囲気は、牧歌的ですらあるんですが、後半ですずは、空襲で自身の右手と、その時一緒にいた義理の姪を失います。

姪を守れなかったことで、自責の念に苛まれた彼女は、人が変わったように塞ぎこみ、生きる意欲さえ失ったようになります。


けれど、それでもすずは、自分の居場所を見つけ、生きることを選ぶ。

この世界の片隅で。

その姿は、決して彼女だけのものでなくて、あらゆる時代に生きる人間に共通するものなのではないでしょうか。



悲しくてやりきれない 怪しい彼女--多部未華子 歌唱シーン映像(歌詞付く)中文字譯
[「あやしい彼女」という映画の中で女優の多部未華子さんが歌ったバージョンです。多部ちゃんのかわいい歌声に癒されます。]



人は生まれる時代や国を選べません。

個人の力ではどう仕様もない理不尽に出会うこともあるでしょう。

それは時に戦争であり、貧困であり、災害であり、他の何かかもしれません。

生きるのが心底嫌になる時もあるかもしれません。

そこまで行かなくても嫌なことや、「やってられない」ことなんて、大小取り混ぜてたくさんあるでしょう。


けれど、人間にできるのは、それでも生きることなのだと、私は思います。

命の尽きるその瞬間まで。



万葉倶楽部CM 柳沢慎吾主演「父の声~新たな希望~」篇 ディレクターズ・カット版

[都市型温泉施設の万葉倶楽部のCMで「悲しくてやりきれない」が使われています。私がよく行く映画館では、上映前によくこのCMが流れていて、この映画を見た時も流れていました]


それに、生きてれば悪いことばかりでもありません。

すずがそうであったように、戦争のような状況下でも幸せを見つけることはできるし、絶望しても立ち直ることだってできる。


だから、私も生きよう、何があっても。

この世界の片隅で。


今日はこんなところです。
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“出会い”がくれた数式(映画「奇蹟がくれた数式」)

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最近は司書の資格取得が佳境に差し掛かってまして、趣味とは言え、あまり更新できずに歯がゆく思っているところです。

週1どころか、2、3週、あるいは月1くらいの更新になるかもしれませんが、一人でも読んで下さる方のいる限り、書き続けるつもりですので、どうぞよろしくお願いします。


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[シュリニヴァーサ・ラマヌジャン(1887~1920)]


さて、皆さんはラマヌジャンという数学者をご存じでしょうか?

一般的な知名度は低いかもしれませんが、人知を越えた才能で「インドの魔術師」と呼ばれた天才数学者です。

わずか32歳で夭逝しましたが、死後100年近く経った今でも、彼の遺した膨大な研究の解析に世界中の数学者が挑んでいるといいます。


そんなラマヌジャンの生涯を描いた伝記映画「奇蹟がくれた数式」が先日公開されまして、私も見てきましたので、今日はそれについて書きたいと思います。


無限の天才 新装版 ―夭逝の数学者・ラマヌジャン

無限の天才 新装版 ―夭逝の数学者・ラマヌジャン

[この映画の原作本。けど、かなりお高い。こんな時はそうだ、図書館へ行こう!]


ラマヌジャンは、当時はまだイギリスの植民地だったインドで、カースト最上層のバラモンの家に生まれました。

15歳の時にある数学の本を読んで以降、数学の魅力に取りつかれ、研究に没頭します。

大学には入りましたが、数学の研究に夢中になり過ぎたのが災いし、中退。

それでも研究を続けますが、あまりにも我流であったため、その才能はあまり認められませんでした。

直感的に数々の公式を導き出すものの、それを証明するのが、彼は苦手だったのです(と言うか、証明の必要性を理解していなかった可能性が高い)。


自分の研究成果を認めた手紙を遠くイギリスにまで送り、それが当時ケンブリッジ大学を代表する数学者であった、ハーディーの目に留まり、ケンブリッジに招聘されます。

渡英したラマヌジャンは早速ハーディーと共同研究を始めますが、特に緻密な実証を重んじるハーディーと、直感型のラマヌジャンは激しく衝突してしまい・・・というのが、この映画のあらすじです。


数学の魔術師たち (角川ソフィア文庫)

数学の魔術師たち (角川ソフィア文庫)

[私がはじめてラマヌジャンを知ったのがこの本。一応、「小学生でも読める」ように書かれてるらしいんですが、半分も理解できませんでした。で、この前読み返したら、初めて読んだ時より理解できなくなっていた。あれ?]


ラマヌジャンとハーディーは数学のスタイルだけでなく、あらゆる点が正反対でした。

ラマヌジャンが敬虔なヒンドゥー教徒なのに対し、ハーディーは独身。

ハーディーは独身だけど、ラマヌジャンはインドに妻を残してきている。

ラマヌジャンは叩き上げ、ハーディーはエリート・・・。

おまけに根は優しいんだけど、人情の機微を読むのが苦手なハーディーはラマヌジャンの孤独や苦悩が分かりません。

こんな二人がただ、数学への純粋な情熱によって結ばれて、やがてただの共同研究者を越えた友情を育んで行くのだからおもしろいものです。


結局のところ、ラマヌジャンがアイデアを出し、ハーディーがそれを証明する形で共同研究は進み、僅か数年の間で数々の偉大な業績が生み出されます。

ラマヌジャンと、ハーディーのどちらが欠けても生み出されなかったであろう業績が。

どちらも天才的な数学者ではありましたが、おそらく一人だけでは歴史に名を残すことはできなかったでしょう。


ハーディーとラマヌジャンに限らず、アインシュタインニュートンも、他にも多くの天才たちの仕事が、無数の出会いの果てになされたものなのでしょう。

どんな天才たちも決して一人で歩くことはできない。


ましてや、私のような努力してようやく凡才の人間は、なおさらそうでしょう。

だからこそ、一つ一つの出会い、たとえ祝福せざる出会いでも人生の肥やしくらいにはなるのですから、それを大切にしたいものです。


今日はこんなところです。
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カネ、セックス、スキャンダル、そして“栄光”

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[ビル・クリントン(1946~)

記事の中にもあるように、客観的に見れば幸福とは言い難い子ども時代を過ごしましたが、子どもの頃からそれを感じさせないような明るく、人当たりのよい性格であったといいます。
下院議員選と知事選に1回ずつ落選するなど、何度か大きな挫折も味わいますが、その度に素早く立ち直るのは、天性の資質と幼少期の経験のなせる技でしょうか]


アメリカ大統領選挙ドナルド・トランプ氏が“予想外”の勝利を納め、世間を驚かせたのはまだ記憶に新しいところです。


予想外とは言われましたが、、正直なところ私は50:50でトランプの勝利があり得ると考えていて、むしろ世間の驚きぶりの方が不思議なくらいでした(今更言っても詮ないことですが)。

“専門家”やマスコミが軒並みヒラリー勝利を予想したのも、トランプ支持を口にできなかった有権者が多くいたのと同じように、トランプ勝利を言いづらい雰囲気でも言論界にあったのかと、割りと本気で思っています。


それはさておき、今日は選挙に敗れたヒラリー氏の夫、ビル・クリントン氏の話をしましょう。

西川賢『ビル・クリントン



いきなり個人的な話で恐縮ですが、93年から01年にかけてアメリカを率いたクリントン大統領は、私にとっては記憶に残る最初のアメリカの大統領だったりします(ちなみに、日本の首相では小渕さんあたりから記憶にあるかな)。

ビル・クリントンは、1946年にアメリカの中でも比較的貧しい、南部アーカンソー州の田舎町に生まれました。

出生の直前に実父が事故死し、母親の再婚相手に暴力を振るわれるなど(ちなみに、“クリントン”はその継父の姓)、お世辞にも恵まれているとは言い難い少年時代を過ごしました。


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[アーカンソー州の位置]


しかし、その環境からイェール大学に進学し、同大ロースクール助教授、アーカンソー州司法長官を経て、アーカンソー州知事に就任します。

そして、アーカンソー州知事在任中に92年の大統領選挙に民主党から出馬。

見事当選を果たし、カーター政権以来、12年ぶりの共和党からの政権奪還を果たします。


在任中は、北アイルランドパレスチナ、旧ユーゴスラビアなどの国際紛争の調停に積極的に乗り出し、ソ連崩壊後のロシアの民主化自由経済化を支援するなど、ポスト冷戦の国際秩序建設に奮闘しました。


また、内政面ではlT産業を起爆剤とするアメリカの戦後最長の好景気を実現し、一時的にせよ財政の黒字化を実現するなど、業績は枚挙に暇がありません。

ブッシュ政権以来、迷走気味のアメリカで年々評価が高まってきているというのも頷けます。


一方で、クリントンには別の一面がありました。

それは、スキャンダルにまみれた政治家であるということ。

アーカンソー州知事時代のものも含めて、代表的なものだけを挙げても、不動産投資に関わる不正疑惑、クラブ歌手との不倫疑惑、徴兵忌避疑惑、そして、モニカ・ルインスキーとの“不適切な関係”・・・。


特に不動産投資疑惑に関しては、側近が不審死を遂げ(後に自殺と認定)、妻のヒラリー共々特別検察官の捜査を受け、これが元でクリントンは議会による弾劾を受けています(ニクソン以来、史上3人目)。


“偉大な業績”と“卑小なスキャンダル”。

往々にして政治家とは、叩けば埃も出て、ある種の二面性を持っているものですが、クリントンほどそれが極端で、陰影がはっきりしている政治家も珍しい気がします。


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[ヒラリー・クリントン

ビルとは1歳違いの47年生まれ。ビルとは違い、ごく普通の中流家庭で生まれ育ちました。高校時代に共和党から民主党支持へと転向。高校の卒業式で来賓としてきた議員のスピーチに反論するなど、若い頃から気は強かったんでしょうか。
別にこの人のこと好きじゃありませんが、2度も有力視されながら大統領の座を逃したのは、気の毒に思わなくもない。年齢的に次のチャンスはないだろうし・・・]


筆者の西川氏がクリントンの最大の功績としているのが、リベラル一辺倒でも保守一辺倒でもない「中道政治」を打ち立てたということ。

それは、民主党と共和党の政策の「つまみ食い」で、多分にご都合主義的ではありますが、左右に両極化し、危機を迎えつつある現代アメリカの(あるいはアメリカだけでなく、日本も含む多くの先進国の)民主政治においては、顧みられるべき手法ではないかとしています(ただ、一方で筆者も言う通り、クリントンが政治の倫理や道徳を貶めた責任の一端が間違いなくあるわけで、そこがこの政治家の評価を難しくしているわけですが)。


私も概ねこの考え方に賛成です。

なんと言うか、クリントンのやり方を見ていると、55年体制時代の自民党を思い出します。

自民党も“保守政党”を名乗りながらも、福祉や環境などの分野でライバルの社会党の政策を無節操に取り入れることで、政権の延命を図った。

けれど、結果的には問題も色々あったけれども、“大過ない”政治を実現した側面はあると思います。


こう言う、いい意味での“いい加減さ”や“無節操さ”が現代の政治、そして社会から失われて行っているような気がしてなりません。

“白か黒か”、“正しいか間違っているか”、“敵か味方か”で別れる社会は、一見正しくて、分かりやすいようでいて、実は物凄く不寛容で柔軟性を欠いていて、つまりは脆弱で危険であるのではないでしょうか。

これが私の杞憂であるといいんですが。


いずれにせよ、このテーマについては自分なりにまだまだ考えて、もっと勉強したいところです。

考えがある程度まとまれば、またここでも書きたいと思いますが、今日はこの辺で。


今日はこんなところです。
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図書館実習記 その②―お椀を洗いましょう

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先週は随分寒かったですが、皆さんはお風邪など召されてませんでしょうか?

実は私は、誕生日の後くらいから、のどの調子がよくありませんで、おかげでトローチが手放せません(>_<)

健康にはくれぐれも気をつけましょう。


さて、今日は先日書いた図書館実習記(図書館実習記 その①―あんな仕事、こんな仕事、たくさんあるけど結局どれが得意なのか?!― - 半平のきまぐれ日記)の後編を書きたいと思います。

・・・と、その前にちょっとこちらの話を聞いてください。


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[たぶん、このブログに2回目のご登場となる趙州和尚。前のご登場はこちらを参照雨ならずして花はなお落つ - 半平のきまぐれ日記]


時は中国の唐の時代、所は名僧趙州禅師のおわす禅林でございます。

ある日のこと、趙州禅師を若い雲水が訪ねて参りました。


雲水「私はいくつもの禅林で修行を積んで参りましたが、いまだに悟りを得られません。どうか、私をお導きください」

禅師「そうですか。ところで、お粥(禅林では朝食にお粥が出される決まりになっている)はもういただきましたか?」

雲水「はい、いただきました」

禅師「では、お椀を洗いなさい」


この言葉を聞いた瞬間、雲水は悟りを開きます。


この雲水の悟りが公案となるのですが、私は図書館で実習していて、この公案を思い出しました。

図書館の仕事は本を所定の場所に戻したり、リクエストのあった本を見つけてきたり、他にも色々ありますが、総じて地味で目立たない仕事が多い。

ついでに言えば、できたからと言って誉められることもない。

けれど、その地味な仕事が本当に図書館サービスを支えていることを実感しました。


そして、これは図書館の仕事に限らず、世の中のあらゆる仕事がそうであるという気がします。

華やかな仕事の裏には、日々スポットライトを浴びないところで、黙々となされる仕事と、それをする人々が必ずいます。


ここで、雲水の話に戻りますが、彼が得た悟りとは、これと似たようなものだったのではないでしょうか。

つまり、朝がくればお粥を食べ、お粥を食べればお椀を洗い、お堂を掃除し、お経を読み、座禅をする。

日々の当たり前の日常をいかに真心をこめて送るか、真心をこめて仕事をするか、それこそが修行であり、即ち悟り、心の平安への道だと。


私も、例えば実習で本を返すときは、少しでも他の職員さんや、利用者さんが次に探しやすいように置き方を工夫したりして、自分なりの真心をこめたつもりです。

もちろん、それで十分なはずもありませんが、真心をこめてやると、その仕事が紛れもなく自分の仕事であるような気がしてきて、楽しくなってくるから不思議です。


どんな仕事もだれかに求められているから仕事として成立しています。

私がこれからどんな仕事に就くにせよ、それを求めてくれる人のために真心をこめて仕事をしたいと思います。

それが結局は、自分自身の幸福にもつながるのでしょうから。


今日はこんなところです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

おばあちゃんのおにぎり

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本当に美味しい!  「おむすび」レシピ140

本当に美味しい! 「おむすび」レシピ140

[最近はおにぎりのレパートリーも随分増えたようでして。手のこんだのもいいけれど、私はシンプルなのが好きだなあ]


実は私、昨日が誕生日でした。

だからと言って、何が変わったわけでもなく、単に履歴書に書く年齢の数字が一つ大きくなっただけなんですが。

けれど、母が一応プレゼントをくれたり、周りの人がお祝いをしてくれたので、それに因んで何か書いてみようと思います。


おばあちゃんのおにぎり (くもんの児童文学)

おばあちゃんのおにぎり (くもんの児童文学)


今年、母がくれた誕生日プレゼントというのが、私の好きな歌手のさだまさしさんが書いた童話『おばあちゃんのおにぎり』。

さださんの子どもの頃の実体験をそのまま書いたという童話です。


さださんが7歳の誕生日に家に友達を呼んでパーティーを開く。

お母さんがご馳走をつくってくれて、友達がおもちゃや、絵本やレコードをプレゼントにくれる中、さださんのお祖母さんは、彼に何の変哲もない塩むすびをつくってあげます。

いつもは大好きなお祖母さんの塩むすびですが、その時ばかりはさださんは落胆して、おにぎりを食べずに遊びに行ってしまい・・・という話です。


私もさださんのように祖母がつくってくれるおにぎりが大好きでして。

具は梅干しか塩昆布、俵型で胡麻が振ってあるだけのこちらも取り立てて変わったところのないおにぎりですが、これが一等うまい。

今でも実家に帰ると、このおにぎりを食べるのを楽しみにしていて、だから、この話にも実に共感を覚えます(子どもの頃、さださんと似たようなことしたことあるし・・・)。



おむすびクリスマス さだまさし(歌詞付き)
[さだまさし×おむすび、と言えば、この曲。この曲のテーマも、「失って初めて分かる大切さ」でしょうか]



実はおむすびのプレゼントには裏話があって、当時のさださんの家は、お父さんの事業が傾いていて、家計は火の車でした。

だから、お母さんがつくったご馳走も、無理をして用意したものだっただろうし、お祖母さんもおにぎりしか、孫にあげられるものがなかった。

その辺の事情は大人になってから知りますが、『おばあちゃんのおにぎり』の最後で思い直して家に帰った少年・さだまさしは、泣きながらおばあちゃんのおにぎりを食べます。


苦しい家計の中から、それでも息子や孫のために、精一杯の心尽くしをするご両親やお祖母さんの元で育ったからこそ、ざださんは、あんなにも人の心を揺さぶる歌をつくれる人になったのかもしれません。



転宅/帰去来収録曲 # さだまさし(CD音源)
[起業→倒産を繰り返した、さださんのお父さんを唄った一曲。“人生は潮の満ち引き”のフレーズが沁みます。]



誕生日っていうと、子どもの頃は、プレゼントにおもちゃや、本を買ってもらうのが楽しみだったんですが、最近はプレゼントが欲しいなんて、思わない。

もちろん、物欲がないわけじゃありませんが、どれだけ躓こうと失敗しようと、それでも見守ってくれて、支えてくれる人のいる有り難さに気づいたから、それだけで十分なんだと思えます。


さださんがご両親やお祖母さんから、何かを受け継いだように、たぶん私も親や祖母、それだけでなくて、たくさんの私を気にかけてくれる人たちから何かを与えられて、生きている。

いや、もっと言うならば、名前も顔も知らない人々から、何かをもらって、ようやく生きている。

人間って、そんなものじゃないでしょうか。


そして、与えられるだけじゃなくて、与えることだってできる。

私はいつか死ぬ。

けれど、私がだれかに与えた何かは、私よりほんの少しだけ長生きをするかもしれない。

私のことは忘れられても構わないんだけれども、私よりほんの少しだけ長生きをする何かを、だれかに残せたらいいなと思います。

そんなことを考えた2×回目の誕生日でした。


今日はこんなところです。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

図書館実習記 その①―あんな仕事、こんな仕事、たくさんあるけど結局どれが得意なのか?!―

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ご無沙汰してます。

実は10月の後半に2週間ほど、公共図書館で実習をさせていただきました。

興味があって、就きたいと思っている仕事を体験できましたので、実に楽しく、また色々なことを学べた実習になりました(スタッフさんは、親切かつ丁寧に指導して下さいました。それも大きな理由でしょう)。


それで、今回と次回とで、実習体験記を書くことにします。

初回のテーマは、体験できた色々な図書館の仕事を、特に自分の発達障害の観点から考察して、どれが得意で、どれが不得意だったのか、その実感を書いてみたいと思います。

返本

利用者さんが読み終わった本を書架に返す作業。

まずは書架の配置を覚える必要がありますが、これは思ったより簡単でした。

あと、特に小説は作者名の五十音順に並んでいるので、これも割りとすんなりできました。

言語能力は結構高みたいなので、それが活かされた形でしょうか。

実習中、この作業がいちばん得意でした。

予約本の探索

利用者さんが予約した本を書架から見つけ出す仕事。

たくさん本が並ぶ中から、特定の本を見つけ出すのは案外難しかったです。

私の場合は、集中力はありますが、反面狭い範囲にばかり注意が向きやすいので、それが妨げになった気がします。

狭い範囲を注意深く見るのではなくて、広い範囲をざっと探した方が早く見つかりました。

「探さないくらいのつもり」で探すのが多分コツ。

ブッカーの貼り付け

図書館の本の多くはフィルムが貼ってあって、表面が保護されていますが、そのフィルムのことを「ブッカー」(たぶん「ブックカバー」の略)と呼んでいます。

そのブッカーを本に貼り付ける作業をしましたが、途中で本の向きを色々と変えたり、空間認識力や立体をイメージする力が必要でした。

私はこの力がかなり弱いので、スタッフさんに手伝っていただいて、ようやくできました(汗)

業務用でなくても同じようなフィルムがネットで買えるので、後日一人でやってみましたが、案の定、ぐちゃぐちゃになりました・・・練習が必要ですね。


デビカ 図書館ブックフィルム A4ロール 040560

デビカ 図書館ブックフィルム A4ロール 040560

[あなたもできるブッカー貼り。本を守ってくれるだけでなく、すべすべして思わず頬擦りしたくなる手触りになります]

カウンター業務

利用者さんにもっとも目に入りやすい図書館の顔!

カウンターで貸出と返却の仕事をさせていただきました(まさか立たせてもらえるとは思ってなかった)。

この仕事、端末の操作をしながら、利用者さんの様子を伺い、他にも色々気にしたりと、いわゆる「マルチタスク」です。

私は障害特性上、同時に複数のことをするのがとても苦手なので、この仕事が実習でいちばん難しかったです。

ここで具体的に説明するのはちょっと難しいんですが、まあ何かしら忘れてました(スタッフさんが横についていて下さったので、問題はなかったですけど)。


他にも色々やりましたけど、主だったのはこれくらいで。

実習をして改めて感じるのは、得意なことと、苦手なことが鮮明に分かれていること。

一つのことに集中する仕事は得意です。

私には発達障害の他にも軽度の脳性麻痺もあって、手先の器用さを要することもあまり上手くありません。

今回の実習でも、そんな作業はありましたが、それは持ち前の集中力で意外と何とかなりました。


反面、同時にいくつものことに気を配らなねばならない仕事は、事前の予想通りやっぱり苦手でした。

かと言って、カウンターに立てない図書館員と言うのはさすがにお話にならないでしょう。

と言うか、図書館で働くのなら、やっぱりカウンターには立ちたい。

ですから、それを踏まえてマルチタスクをできるようにするための訓練を、事業所の担当職員さんと計画中です。


その辺りの成果も、いずれ書ければと思います。

今日はこんなところです。
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味なことを言うCM

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最近、朝夕が急に涼しくなってきましたね。

季節の変わり目、皆さんもお身体にお気をつけくださいませ。



[JT CM] 日本のひととき 和歌篇 【公式】


さて、私はTVのCMを見るのが結構好きでして、特に味なセリフやフレーズが出てくるCMをみると、「おっ」と思います。

最近もそんなCMを見かけましたので、今日はちょっとその話をしようと思います(まずは上にあるそんなCMの動画をご覧ください)。


「会えない時間は、会っている時間より人を想っていました」

これって、恋そのものだと思いませんか?

だれかに恋をしていると、会っている時よりも、会えない時の方がその人のことを強く想っていると言うか。

逆に言えば、目の前にいないのにその人のことを強く想っている自分がいて、それで恋をしている自分に気づくと言うか。

とにかく、そんな恋心を絶妙に表現している気がします。


私は1度だけ、眠れなくほど人を好きになったことがあります。

あれほど強く人を好きになったことは、それ以前になくて、そして今のところ、それ以後もありません。

1度振られても諦めきれずに、随分悩んだりして、それも今となってはいい思い出ですが(笑)


このCMを見て、何やらその人のことを思い出しました。

何しろ、その人に恋をしている時は、このCMさながらに、会えない時にこそ、強く想っていましたから(笑)

今となってはもう会うこともないんですが、元気で、そして幸せでいてくれるといいな、なんてふと思ったりします。


さて、私はあと何度、「会えない時に人を想う」んでしょうか。

それは神のみぞ知ることですが、そんな風に想える人がいること自体が一つの幸福なのだと思います。



3篇 JT CM 日本のひととき 「茶道」「和食」「折り鶴」
[このシリーズのCMに出演しているのが、ニュージーランド出身のモデル、リヴ・オドリスコールさん。
ため息の出るような美人です。癒されます]


今日はこんなところです。
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