半平のきまぐれ日記

ADHD(注意欠陥多動障害)の会社員が本を読んで、映画を見て、あるいはその他諸々について思ったことを気まぐれに綴ります。(※本ブログはAmazonアソシエイトを利用しています。また、記事中の画像は、断りのない限りWikipediaからの引用、もしくはフリー素材を使用しています)

笑顔をあげましょう

いつも当ブログをご覧いただき、ありがとうございます。

突然ですが、私は笑うのが嫌いでした。

もちろん、可笑しかったり、楽しければ笑いますが、いわゆる「愛想笑い」というものが嫌いでした。

別に理由があるわけでもないんですが、何となく愛想で笑うのが不誠実な気がしていました。

けれど、そんな私が考えを変えたきっかけを、今日は話したいと思います。


[私のいちばん好きな仏像「広隆寺宝冠弥勒菩薩半跏思惟像」
大袈裟ですが、いつもこんな感じの穏やかな顔でいたいものですね]


いきなり話が変わるようですが、仏教の言葉で「お布施」ってありますよね。

あの言葉、今では信者がお寺にする寄付の意味で使われていますけど、元々はちょっとちがう意味でした。


まず、お布施には実は4種類あるんです。

財施:人々にお金や物を施す。

法施:人々に仏教の教えを説く。

和顔(わげん)施:人に和やかな表情で接する。

愛語施:人に優しい言葉をかける。



ついでに言うとお布施は、信者→お寺、お寺→信者にも限定されてなくて、要はだれがだれにしてもいい。


とは言うものの、財施はもちろんお金に余裕がなきゃできないし、法施ができるのはお坊さんくらいでしょう。

でも、和顔施愛語施(二つ合わせて「和顔愛語」とも言います)はちがう。

だれにでもできます。


私は就職浪人中(今でもそうですが)で、面接に落ちまくっていた頃に何かの本でこの話を読んだんですが、何だかほっとしたのを覚えています。

それこそ、笑顔なんて忘れそうになる日々でしたが、「こんな自分でも人にあげられるものがある!」と思うと、何だか元気が湧いてくるから不思議です。


ちなみに、人間というのは口角を上げることでセロトニンというホルモンが分泌され、精神が安定するんだそうです。

つまり、和やかな顔でいると本当に和やかな気持ちになる。


もちろん、どんな場面でも笑顔でいればいいわけじゃないですし、どうしても笑顔になれない時もある。

そんな時にまで無理をすることもないとは思いますが、元手もかからず、自分も他人も幸せにできるのなら、こんなにいいことはないんじゃないかと思います。


今日はこんなところです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

また、この記事を気に入っていただけましたら、シェアしていただけますと大変嬉しいです。


[こんな本もあるみたいです]

そうだ利息、取ろう―映画「殿、利息でござる!」

いつも当ブログをご覧いただき、ありがとうございます。
どうも、お久しぶりです。

前の日曜に通信講座で勉強している司書課程の科目試験がありまして、先週はその勉強に追われてました。

今日は最初に身も凍る話をしようと思います。

試験の当日、私は開始30分前、たっぷり余裕を持って会場に着きました。

すると、なぜか会場はすでに人で一杯でした。

不思議に思いながら席につき、受験要項を見直してみると、私が着いたのは入室限度時刻の5分前だった!




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[伊達重村(1742~1796)
映画の題名の「殿」とは彼のこと。
重村が朝廷からの官位を幕府に斡旋してもらうために、幕府の土木工事を積極的に引き受けたり、将軍家から正室を迎えたことが仙台藩の財政悪化の一因になります。
映画ではフィギュアスケーター羽生結弦さんが演じて話題になりました。]



・・・さて、皆さんの背筋も凍っていただいたところで(え?凍ってないって?)今日の本題に入りましょう。

先日、今公開中の映画「殿、利息でござる!」(殿、利息でござる! : 作品情報 - 映画.com)を見てきました。

今日はその感想を話したいと思います。

私は最初にこの映画の題名を見た時、てっきり殿様への貸金が膨らんだ商人が、あの手この手で利息を取り立てる話しかと思いました。

しかし、実際はそんな話じゃなかった。

むしろ、その真逆の話でした。


時は江戸時代中頃、所は仙台藩領の小さな宿場町・吉岡。

ここで実際にあった宿場救済計画を描いたのがこの映画です。

吉岡の町は藩から課される伝馬役の負担にすっかり喘いでいました。

伝馬役というのは、幕府や藩の用で旅をする役人や荷物の輸送を街道沿いの宿場が請負う制度のことです。

ただ、その費用が宿場持ちだったために、宿場としては大きな負担でした。

元々が貧しかった吉岡の町は、この負担に耐えかねて、住民の夜逃げが相次ぐ始末でした。


このままでは町が潰れると立ち上がったのが酒造家の穀田屋十三郎。

彼は領主である伊達家に大金を貸付け、その利息を伝馬役の費用に充てることを思い付きます。

早速、町の有力者や主だった商人たちを同志にして資金集めに奔走しますが、これが実に涙ぐましい。

家財を売り、亡き妻の形見を売り、挙げ句に店を潰しかねない勢いでお金をつくり、その姿はまさに「自己犠牲」と言うしかない。


けれど、そんな人々がいる一方で同志の中には金儲けのために計画に参加したり、いざとなってお金を出し渋る人々もいます。

そのあたりのすれ違いや人間模様がコミカルに描かれていて、時々ほろりとさせる。

まるで壮大な吉本新喜劇を見ているようで、私はスクリーンを見ながら、泣いたり笑ったり実に忙しかったです(笑)


無私の日本人 (文春文庫)

無私の日本人 (文春文庫)

[映画の原作本です。歴史学者の磯田道史さんが、穀田屋十三郎、中根東里、大田垣蓮月という三人の「無私に生きた」日本人の半生が描かれています。何も言わず、読んでみてください。きっと、あなたの心に何かが残ります]


さて、何やら昨今話題のパナマ文書に出てくる人たちに聞かせてあげたい話ですが、私は計画を利用して私利を図ろうとしたり、お金を出し渋った人々をただ責めることはできません。

町が潰れれば自分の店も立ち行かなくなるわけで、一時的に犠牲を払ったとしても計画に協力することは、長い目で見て自分や自分の子孫のためになる。

そう理解していても、つい目先の利益(これだって大事ですが)に釣られたり、計画の成功を危ぶんで保身(これだって必要でしょう)に走ってしまう。

私が言うのも何ですが、こういう「弱さ」って、だれしもが持ってるんじゃないかと思うんです。



映画『殿、利息でござる!』予告編


けれども、映画でも最後は人々は団結し、ついに町を救います。

人間は弱さを乗り越える「強さ」も持っている。

少なくとも持ち得る存在なんじゃないでしょうか。

英雄でも聖人でもない、普通の人たちが、自分たちにできることをして一つの町を救った。

そんな話が実際にあったという事実が、何よりも励ましてくれます。


見終わった時に明日からも背筋を伸ばして歩こう―そんな勇気をくれる映画をご覧になってみてはいかがでしょうか?


今日はこんなところです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

人生の、ただ一つの目的

最近、益々暑くなりまして、梅雨をすっ飛ばしてこのまま夏になりそうな勢いですね。

さて、前回の記事私にとっての大きな一歩 - 半平のきまぐれ日記手先を使う作業の訓練として、折り紙を毎日折っている話をしました。

それに加えて最近では、「紙を真っ直ぐに貼る訓練」と「線に沿って紙を切る訓練」を自主トレのメニューに追加しました。

私は図書館司書やら校正やら、事務系での就職を希望していますが、そうなれば手先を使う作業は避けられませんから、少しでも器用になっておくに越したことはないわけでして。


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[紙を真っ直ぐに貼る訓練
画質悪くて小さいですが・・・どうです?真っ直ぐに貼れてます?
私の場合、発達障害の関係で視覚認知が弱いので、「あるものが真っ直ぐとか傾いてる」とか、人に言われるまで気づかないこともあるのです]



心やすらぐ仏像なぞり描き

心やすらぐ仏像なぞり描き

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[他にもこんなものを自主トレの一環としてやっています。筆ペンを使っていますが、指先の力の強弱だけで線の太さを調節するのが難しい・・・]


今日の話ですが、それに関連した話を一つしたいと思います。

ここ何日か支援施設での訓練にも特にミスなく取り組め、(自分で言うのも何ですが)自分の進歩をひしひしと感じていました。

また、秋頃には図書館で実習をさせていただく目処も立ち、つまりはまあ、何事も順調にいっていました。

そんな時、訓練でミスをしました。

今にして思えば、些細なミスでしたが(そもそも訓練ではミスしてもいいし)、その原因が自分では克服できたと思っていたことだったために、ミスをきっかけに一気に色んなことを悪い方に考え出してしまいました。

どうしようもなく、心が乱れたのでミスをしたその日の夜に自宅で座禅しました。


[座禅用の座布団です。私の持っているのと同じやつ]


一体、どんな過程を経てそんなことを思いついたのか、自分でもよく分かりませんが、とにかくぼんりと座る私の頭の中に次のような考えが浮かんできたのでした。

それは人生には、たった一つの目的があるということ。

「自分がなりたいと願う人間になる」という目的が。

人は皆、色んな理由で仕事やら趣味やら家庭生活やら、色んな活動をしているわけですが、それらは全てこの目的のための手段なんじゃないでしょうか。

そして、その目的には達成や完成がなくて、人生の最後の一瞬まで続くのだと、私は思います。

もちろんこれは、私の考えに過ぎませんが、少なくとも今の私にとって、人生とはそういうものであるという気がします。


では、私はどんな人間になりたいのか?

これはなかなか難しい質問ですが、例えて言うなら宮沢賢治の「雨ニモマケズ」のような人になりたい。




kizuna311 #01 渡辺謙「雨ニモマケズ」朗読
[渡辺謙さんが朗読する「雨ニモマケズ」。
やっぱり謙さんが読むと一層格好いいですね]


まあ、それは格好つけ過ぎにしても、自分の能力の及ぶ限り、人のためになるような仕事がしたい。

それに人に対して穏和で親切で、ついでに逆境に立ち向かう勇気のある人間になりたいと思っています。


毎日支援施設に通うことや、冒頭で話したような自主トレをすることも、そのためのささやかな一歩であるつもりです。

3歩進んで4歩も5歩も退ることもあるかもしれない、自分にうんざりして、嫌になることもあるかもしれない。

それでも私は歩くことを止めたくはない。

何に悩んで座禅したのか、もはやよく覚えていませんが、歩こうとして悪戦苦闘する自分の姿が、そのまま答だったんだと思います。


今日はこんなところです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

よろしければ、シェアをお願いします。
何よりも励みになります。

私にとっての大きな一歩

どうも、最近急に暑くなりましたね。

皆さん、体調お変わりないですか?

私は相変わらずピンピンしてます。


1/72 アポロ11号 サターンV型ロケット

1/72 アポロ11号 サターンV型ロケット

[今日の表題はアポロ11号のアームストロング船長の名言「これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな一歩である」から取りました。志くらいは高く持たなくちゃいかん]


さて、今日の本題に入りましょう。

いくつになっても嬉しいことの一つに、人に誉められるということがあると思います。

最近、そんな体験を立て続けに二つするという幸運に恵まれまして、その体験から思ったことを今日は書きたいと思います。


誉められた内容はそれぞれ別のことについてです。

それは「会話」と「折り紙」というかなり唐突な組合せなんですが、一つずつお話しましょう。


聞く力―心をひらく35のヒント (文春新書)

聞く力―心をひらく35のヒント (文春新書)

[会話と言えば、少し前にこんな本がベストセラーになりましたね。読んだことないけど]


まず、「会話」について。

発達障害の人には、会話を苦手とする方が多い傾向にあります。

自分の話を一方的にし続けたり、相手の話に的はずれな答えを返したりと、「会話のキャッチボール」が苦手なことが多い。

全てを発達障害のせいにするつもりはありませんが、私も例に違わず会話は苦手で、特に聞き役に回るのが下手でした。


そんな私が珍しく「話を聞く」ことについて褒められました。

より正確には「話を聞くのが上手くなった」と誉められた。


私には月一くらいのペースで一緒に食事をする友人がいますが、その友人から話を聞くのが上手くなったと誉められました。

私の人生では希な出来事ですが、何か会話の上達のために特別なことをした覚えはありません。

強いて言えば、「慣れた」としか言いようがない。


エヒメ紙工 100色折紙 E-100C-04×2P 15cm角 2冊組

エヒメ紙工 100色折紙 E-100C-04×2P 15cm角 2冊組

[こんな感じの折り紙を買ってきて夜な夜な折ってます]


さて、次に「折り紙」の話をしましょう。

私の通っている訓練施設では、持続力や集中力、手先の器用さを養う狙いで、折り紙を訓練に取り入れています。


実は私、発達障害の他に軽度の脳性麻痺もありまして、手先を使うような作業は並外れて苦手です(と言うか、体使うの苦手(笑))。

当然、折り紙をしても(ものにもよりますが)、もの凄く不細工にできてしまうわけで。


それがどうにも悔しくて、ここ2週間ばかり毎日自宅で折り紙を折り続けていました。

少しはましになってきたので、その一つを職員さんにお見せしたところ、誉められたというわけです。

こちらの方も、私は何か特別なことをした覚えはなくて、ひたすら折り紙を折っていたに過ぎない。

もし、「慣れる」ということを「自覚なく自分が何かに適応すること」と定義するならば、私は少しばかり慣れたのだと思います。

会話と折り紙に。


苦手なことを克服する方法というのは色々ありますが、単純に慣れてしまうのが結局いちばん早いこともある。

いずれにせよ、この二つの経験は、他人にとって取るに足らない一歩かもしれませんが、私にとっては大きな一歩だったと思います。


そして、その一歩を明日からも踏み出し続けたいと思います(ちなみに誉めてくれたのが、二人とも若くて魅力的な女性だったのは秘密です(笑))。


今日はこんなところです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

また、この記事をシェアしていただけますと、大変光栄ですので、よろしくお願い致します。

※自分の中の「苦手」と向き合うというテーマで以前も記事を書いていますので、そちらの方もお読みください。
「弱み」をどうする? その①―「強み」に変える― - 半平のきまぐれ日記
「弱み」をどうする?―その② 人を頼る― - 半平のきまぐれ日記

半平流!シンプルで分かりやすい三国志講座(後編)

皆様、GWはいかがお過ごしでしたでしょうか?

私は実家でひたすらグータラしてました(笑)

さて、前回(半平流! シンプルで分かりやすい三国志講座(前編) - 半平のきまぐれ日記)に引き続き三国志を最小限の固有名詞で、最大限シンプルに説明する2回シリーズ。

今日は赤壁後の歴史と、三国が最終的にどうなったのかをお話します。


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【第3講 三国興亡史】

赤壁の戦いで、曹操の天下統一を阻止した孫権劉備は、それぞれ「呉」と「蜀」を建国。三国並立へと至ります。

第3講ではそれぞれの国の興亡史を見ていきましょう。


(220~245年)


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[曹操(155~220)]


赤壁の戦いの後、曹操は自領の充実に力を注ぎます。

魏王(※1)に昇り、魏を事実上建国しますが、自身が帝位に就くことはありませんでした。

息子、曹丕の代に漢から帝位を簒奪(さんだつ。平たく言えば乗っ取り)し、名実ともに魏王朝が成立します(220年)。

以後、5代にわたり曹氏の王朝が続きます。

ぶっちゃけ、魏だけで当時の中国の人口の3分の2を占めていたといわれ、国力の差は圧倒的でした。

だから、三国志は拮抗する三つの国の抗争というより、「一強二弱」の戦いの物語という方が実態には即しているでしょう。


(229~280)


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[孫権(182~252)]


孫権が建国した国です。

孫権は父と兄の地盤を引き継ぎ、呉をつくり上げました。

民政の手腕に優れ、国力を充実させました。

蜀と同盟して魏と対抗しながら、形式的には魏の属国となるなど、強かな外交を展開します。

立ち回りの巧さは三国一かもしれません。

229年、孫権が皇帝即位。

以後、4代の王朝が続きます。


(220~263)


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[劉備 (161~223)]


農民出身の劉備は各地の群雄の間を渡り歩き、長く自前の領土に恵まれませんでした。

赤壁の戦い後の間隙を突いて、荊州南部(場所については【最終講】の前にある地図をご覧ください)の領有に成功します。

そこを足掛かりに益州を平定。

三つ巴に持ち込むことに成功します。

220年、曹丕の即位に対抗して、劉備も皇帝となります。

以後、息子の劉禅まで王朝は存続します。

漢王朝の再興」を掲げ、必然的に魏と対立。

幾度となく、魏へ遠征しますが、力及ばず。

263年、魏に滅ぼされます。


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【最終講 三国志、その後】

さて、最終講ではいよいよ三国志の物語が最終的にどうなったのかをお話しましょう。

最後に勝つのは果たしてだれか?!


蜀を滅ぼし、統一に王手をかけた魏ですが、次第に家臣の司馬懿(しばい)とその一族が台頭します。

そして遂に孫の司馬炎が帝位を簒奪。

「晋」(西晋)を建国します。

つまり、魏はかつて漢にしたのと、同じことをされたわけです。


一方、呉は孫権の後継をめぐる争いによって衰退して行きます。

そして、遂に280年、晋によって滅ぼされました。

つまり、三国を統一したのは、魏でも呉でも蜀でもなかったわけです。

また、晋もごく短期間で衰え、北方からの異民族の侵入もあって、中国は再び戦乱の時代に突入するのでした。


【あとがきのようなもの】

今回、読者の方のリクエストにお応えして、私なりに三国志の顛末を分かりやすくお話したつもりでしたが、いかがでしょうか?

三国を全く知らない方にも、そのアウトラインを理解していただくために、「何を省略し、何を話すか」を考えるのは意外に難しく、おもしろい作業でした。

三国志の記事はこれからも書いていく予定です。

今回はとにかくシンプルな説明を優先しましたが、次の機会ではもっと三国志の魅力をお伝えしたいと思いますので、よろしくどうか、おつきあいくださいませ。

今日はこんなところです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。


【脚注】

※1「王」は皇族しか就けない位で自治権をもった領土を持つことができました。皇族でもない曹操が王になるということは、「国の中に国」をつくるようなもので、漢王朝の形骸化をいっそう進行させるものでした。

半平流! シンプルで分かりやすい三国志講座(前編)

先日、三国志の記事(北方三国志を語ろう!―曹操に恋した瞬間 - 半平のきまぐれ日記)をアップしたところ、読者の方から「そもそも三国志がどんな話かよく分からない」というお声をいただきました。

そこでまことに僭越ながら、私が理解している限りで、なるべく分かりやすく三国志を解説をさせていただきたいと思います。

今回はその前半戦ということで、三国志前半のクライマックス・赤壁の戦いまでの話をいたします。


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(三国の勢力図)


【第1講 そもそも“三国志”ってなに?】

古代中国の後漢時代(25~220)の末期、王朝は衰え、群雄割拠の時代が訪れました。

それらの群雄たちは淘汰されて行き、やがて魏、呉、蜀(蜀漢)という三つの国が成立します。

この三国が並立した時代と、その前の群雄割拠の時代が「三国時代」と呼ばれています。


三国志』は西晋(※1 註釈は記事の最後にまとめてあります)の官吏であった陳寿が編纂した歴史書のことです。

三国の興亡史がそれぞれ、『魏志』、『呉志』、『蜀志』としてまとめられており、それらを総称して『三国志』(以下、“正史”)と言っています。

時代は進んで明の時代(1368~1644)、羅貫中が正史と三国志に関する民間伝承などを元にして、小説『三国志演義』(以下、“演義”)を書きました。

この正史と演義を中心とした三国志の物語が後世様々な作品を生み出すことになります。


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(三国志前半の主な群雄たち)


【第2講 フローチャート三国志黄巾の乱から赤壁の戦いまで】

ここからは一般的に三国時代の始まりとされる黄巾の乱(※2)から、三国志前半のターニングポイント・赤壁の戦いまでを、ざっくりとフローチャート風にご説明します。


後漢で政治の腐敗が進み、民衆が悪政に苦しむ。

②民衆の不満が高まり、宗教にすがりだす。

黄巾の乱が起こる(184年)。

④反乱の鎮圧に曹操劉備ら後に群雄となる面々が参加。

黄巾の乱鎮圧。しかし、依然として全国で起こる反乱。それらの鎮圧のために有力な武将たちが派遣される。

⑥武将たちが派遣先の地方を統治し、抗争を起こし出す(群雄割拠の始まり)。

⑦何やかんや(※3)で華北地域(長江より北の地域)では、曹操袁紹の二人が生き残る。

曹操袁紹が激突!曹操が勝利する(200年、官渡の戦い)。

天下を統一すべく、曹操軍が南下。孫権劉備連合軍と戦う(208年、赤壁の戦い)。


赤壁の戦いでは孫権劉備連合軍が勝利し、曹操の天下統一を阻止します。

この戦いを機に時代は三国並立に動き出しますが、その話は次回の記事で。


今日はこんなところです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。


史上最強カラー図解 三国志のすべてがわかる本

史上最強カラー図解 三国志のすべてがわかる本

(このような本もあります)



【註釈】

(※1)この国が三国を最終的に統一します。でも、三国のいずれでもありませんね。この辺の事情は最終講で。

(※2)道教系の教団「太平道」を中心とした民衆反乱。多くの民衆が参加し、古代中国最大の民衆反乱とも言われる。

(※3)都で董卓という武将が実権を握ったり、その董卓が暗殺されたり、劉備が各地を放浪したり、孫一族が呉の礎を築いたり、色々ありました。

北方三国志を語ろう!―曹操に恋した瞬間

先日、図書館司書の通信講座のレポートを書いていました。

学生時代から3年ぶりくらいにレポートというものを書きましたが、書き方の勘がすっかり鈍っていたのか、2,000字のレポートに1週間もかかってしまいました。

何にでも勘やコツがあるものだと、妙に感心した次第です(笑)


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曹操(155~220)

宦官の養子の子として生まれる。朝廷軍の将校として黄巾の乱の平定に従事し、頭角を現す。官渡の戦いに勝利し、華北をほぼ平定。南下し、天下統一を目指すが、赤壁の戦い孫権劉備連合軍に敗れ、頓挫した。
魏王にまで登り、漢朝を形骸化させたが遂に皇帝にはならなかった。
詩作にも優れ、その作は現代にも伝わっている。]


さて、今日の本題に入りましょう。

私は子どもの頃から三国志が大好きで横山光輝に始まって、三国志関係の小説や伝記、歴史書の類いを色々と読み漁ってきました。

その中でもいちばん好きなのが北方謙三三国志です。

ハードボイルド小説の第一人者が描く三国志の、無常感漂う世界観とハードボイルド風味に味付けされたお馴染みの英雄たちは、私の琴線を震わせて止みませんでした。



このブログの中でもいつか取り上げようと思っていましたが、今回その念願を実現させることにします。

ただ、北方三国志は全13巻と長く、私の思い入れも深いので、とても1,2回では書ききれない。

そこで、登場人物を一人ずつ取り上げる不定期のシリーズにすることにします。

何しろ、三国志は登場人物の一人一人がとてもキャラが濃いので、そんなアプローチもおもしろいんじゃないかと思います。


三国志 (1の巻) (ハルキ文庫―時代小説文庫)

三国志 (1の巻) (ハルキ文庫―時代小説文庫)

(北方三国志第1巻です。価格も手頃、BOOK・OFFにもよく並んでますので、この機会にぜひ。おもしろさは請け合いです。)



さて、記念すべき第1回目の主人公は、三国最大の国である魏の事実上の建国者・曹操です。

曹操という人物、だいたい小説では野望に燃え、そのためなら手段を選ばない人物として描かれます(『白い巨塔』の財前先生みたいな感じですね)。

正直なところ、私はこういう人が苦手でして、曹操もあまり好きになれませんでした。


けれど、北方三国志曹操は違いました。

特に赤壁の戦いで敗れ、あと一歩のところで天下を逃した後の曹操が実にいい。

それまで生き残るために、そして天下のために後ろを振り返る間もなく、ひたすら突き進んできた彼が、初めて過ぎ去りし日々を省みます。

それまでがギラギラした輝きであるとしたなら、赤壁後の曹操は「燻し銀」であると言っていい。

野心の鎧が取れて、一人の人間に還っていく曹操の姿を見るうちに、私はいつの間にか彼のことが好きになっていました(恋ってこんな感じで落ちるんですかね(笑))。


三国志〈10の巻〉帝座の星 (ハルキ文庫―時代小説文庫)

三国志〈10の巻〉帝座の星 (ハルキ文庫―時代小説文庫)

(今回引用した場面が収められている巻です。曹操張飛の死から夷陵の戦いの直前までが描かれています。この巻あたりから、主だった登場人物が次々死んでいきます・・・)


好きなセリフやシーンを挙げていくと切りがありませんが、一つだけ曹操の臨終の場面を挙げたい。

この小説での曹操は死の淵に立って、一つの夢を見ます。

それは小さな庵で畑を耕し、詩を作りながら一人暮らす夢でした。

以下、そのシーンを引用したいと思います。


作物を作る喜び、生きることの喜び。詩にして、虚空に散っていくだけで充分ではないか。

喜びが、孤独なものであることが、はじめてわかったような気がした。人と共有できる喜びも、当然ある。しかし、ひとりきの深い喜びもあるのだ。なによりも、言葉が流れるように出てくるのが嬉しい。聞いているのは、作物であり、小川であり、大地であり、蒼空だった。

「なにもいらぬな」
自分の呟きで、眼が覚めた。

(北方謙三三国志』第10巻、94~95頁より)

どうです?

その生涯を賭けて天下を追い続けた男が、最期に見た夢は、皇帝になる夢でも何でもなくて、ただ一人の人間として、自分だけの喜びを噛み締める夢だった。

これって、何だか深いと思いませんか?


私はその意味を知ることができる程には、まだ人生について分かっていないのかも知れません。

けれど、理由はよく分からないけど、このシーンが心にかかる。

私はこのシーンを何度となく思い出して、それについて考える。

小説の一つのシーンにここまで思い入れられるってのも、ある意味幸せかもしれません。



最強武将伝「三国演義」OP
(5,6年前に日中共同製作で三国志のアニメが放送されました。これはその主題歌ですが、北方三国志の世界観に不思議とマッチしている気がします。私が北方三国志を読む時、よく脳内BGMとして流れます(笑))


今日はこんなところです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

また、例によりまして、シェアをしていただけますと、大変光栄です。
よろしくお願いします。