ゴジラがマジで恐かった―映画「シン・ゴジラ」
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さて、先日、ゴジラシリーズの10年ぶりの新作「シン・ゴジラ」が公開されました。
特撮を見ながら育ち、特にゴジラやモスラの活躍を食い入るように見ていた子どもだった(大人になってもそうですが(笑))私としては、「これは見ねばならん!」と勇躍映画館に乗り込みました。
そして、実に喜ばしいことにその期待は裏切られることがありませんでした。
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[記念すべき第1作。シリーズで唯一、ゴジラを完全に葬り去った「オキシジェン・デストロイヤー」が出てきます。そして、それを発明し、自らの命と引き換えにオキシジェン・デストロイヤーと、ゴジラを葬り去った芹沢博士が実に格好いい。
「さようなら。幸せに暮らせよ」]
ゴジラは60年の歴史の中で「シリーズ中断→リブート」の流れを2回くり返しています。
2回のリブート作はいずれも、第1作目の「ゴジラ」(以下、「元祖」)と同じ時系列に位置しています。
その作品の中の日本は、いずれもゴジラの襲来を1度は経験したわけで、つまりは“架空の日本”と言えるでしょう。
これに対し、「シン・ゴジラ」ではゴジラを全く知らない日本に、ゴジラが襲いかかってくる。
感覚としては、「元祖」に引き戻されたと言えるわけです。
ゴジラは、シリーズを重ねるごとに「ヒーローもの」化していくんですが、それが信じられないくらい、「元祖」ではゴジラが徹底的に恐怖の対象として描かれています。
「シン・ゴジラ」はそれを彷彿とさせる出来でした。
得体の知れない巨大生物が我が物顔で街を蹂躙し、自衛隊と米軍が束になっても全く敵わず、放射熱線の一吐きで東京都心が壊滅し、放射能に汚染される・・・
生まれて初めてゴジラを本気で恐いと思いました(マジで)。
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[リブート1回目の「ゴジラ」。武田鉄矢が火事場泥棒の役で出ていたのが妙に印象に残ります(笑)]
また、「シン・ゴジラ」ではゴジラの対応に追われる日本政府の動きがリアルに描写されます。
ゴジラが出て、自衛隊を出動させるしかなくなるんですが、その法的な裏付けをつくるために官僚が議論し、政治家たちは会議を重ねる。
たぶん、ゴジラが本当に出たら同じ様なことが起こるでしょう。
首都が破壊されている傍らでこれをやるわけですから、イライラしながら見てました(かと言って、法的な根拠なく動く政府や軍隊はゴジラより恐いですが)。
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今度見直そう!]
さて、「シン・ゴジラ」に主役らしい主役はいないと、私は思っています。
一応、ゴジラ対策チームを率いる官房副長官(綾野剛)が主役には違いないんですが、彼が際立った活躍をするわけではない。
これが例えばアメリカ映画なら、綾野剛が途中で死亡する総理大臣(大杉漣)に代わって政府の指揮を執って、ゴジラを撃退するところかもしれませんが、そうはならない。
彼は終始、日本政府という巨大な機構の枠をはみ出しません。
そしてそれは、他の登場人物も変わらない。
それぞれに見せ場はあるんですが、与えられた地位や立場の矩を越えることが決してありません。
そのあたりがなんとも“日本らしい”。
この映画、割りと評判がいいようなんですが、その辺りの描写が多くの日本人の感性に訴求したのかもしれません。
良くも悪くも「和を以て尊しとなす」のが、いまだに日本人の美意識として生きているんでしょうか。
いずれにせよ、そんな人たちが右往左往しながらも最善の方法にたどり着く様は、一見頼りなくて、実は頼もしい。
まさかゴジラは出ないでしょうが、ぜひ現実もそうあって欲しいと思います。
ゴジラのテーマ
[日本人なら1度は耳にしたことがあるであろう「ゴジラのテーマ」。この曲と「モスラの唄」を聴くと今でもテンションが上がります(笑)]
今日はこんなところです。
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「運命の人」の見つけ方―城山三郎『そうか、もう君はいないのか』
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お久しぶりです。
先週の日曜に司書講座の定期試験がありまして、その勉強でブログを書くのに手が回りませんでした。
さて、突然ですが、皆さんは「運命の人」って、信じますか?
今日は、一組の素敵な夫婦の話から、「運命の人」というものについて、一つ私なりに考えてみようと思います。
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中年になってもこんな風にふざけ合える夫婦って、素敵じゃないですか?]
城山三郎『そうか、もう君はいないのか』
作家の城山三郎さんが最愛の妻、容子さんとの出会いと結婚生活、そして別れまでの日々を綴った手記です。
そこで描かれている二人の夫婦生活がなんとも微笑ましくて、温かい。
まるで、恋愛中の青年のような率直な恋と、互いを労り合う老夫婦の愛とが仲良く同居しているようでした。
「恋はいつか愛に変わる」とだれかが言いましたが、それは真理の半分しか表現していないのかもしれません。
いずれにせよ、私の伴侶になってくれる女性が現れたとすれば、ぜひこんな夫婦になりたいと、しみじみ思いました(笑)
城山作品の主人公には愛妻家が多いんですが、それもご自分の結婚生活の反映だったのかもしれません。
城山夫妻の結婚生活には、末永く夫婦円満でいるためのヒントが隠されている気がします。
それはたぶん、互いを尊重して、程よい距離を保つということ。
城山さんは、若い頃に大学教員をしながら作家で身を立てることを志します。
ところが、同世代に大江健三郎や開高健といった強力なライバルがいたりすることもあって、なかなか芽が出ない。
それでも容子さんは、「とりあえず食べていけるからいいや」とばかりにいっさい口出ししない。
なかなか胆の据わった奥さんですが、特に支障のない限り干渉しない應揚さが夫婦生活を長続きさせる秘訣かもしれません。
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ところで、城山さんは容子さんとの出会いは、「運命の出会い」だったと言っています。
けれど、それは予め「運命」とやらが用意されていたわけではないでしょう。
むしろ、城山さんが容子さんを愛したからこそ、それが運命の出会いになったのでしょう(逆もまた然り)。
どんな仲のいいカップルも初めからベスト・カップルだったわけじゃない。
お互いの話に耳を傾けて、短所に寛容で、長所を見、そして何より互いを労り、尊敬し、愛する。
そう言うちょっとした努力が二人を互いの「運命の人」にしていくんじゃないでしょうか。
人がだれと出会うかは、選べるようで選べないし、合わない部分なんて、探せばいくらでもある。
そうであればこそ、どこにいるかも分からない、そもそもいる保証もない運命の人とやらを探すより、目の前にいる人を運命の人にしていく方が、よほど建設的でしょう
(もちろん、人間には一定数“どうしても好きになれない人”がいるもので、そんな人まで無理に好きになることもないでしょうが)。
そして、これは恋愛や結婚だけじゃなくて、仕事や他のあらゆる人間関係にも通じる気がします。
事情があって、ここでお話できないのが残念ですが、今日書いたようなことを実感させてくれる出来事が最近ありましたので、本の紹介を兼ねて、今日の記事を書きました。
今日はこんなところです。
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暑さと寒さから逃れる方法
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最近は挨拶代わりに言ってますが、いやー、暑いですね(笑)
暑さが人一倍嫌いな私は、夏が来る度にシベリアに行きたいと思ってます。
共感して下さる方も多いかと存じますが(え?いないって)、今日はそんな皆さんにぴったりの話をしようと思います。
禅の公案(昔の高僧の逸話や言葉の意味を考える禅宗の修行の一つ)に「洞山無寒暑」という話があるんですが、それはこんな話です。
中国は唐の時代の高僧、洞山和尚のところにある日弟子がやって来て言いました。
[洞山(807~869)
曹洞宗の開祖として著名。「曹洞宗」の名も洞山禅師の名と、その高弟である曹山禅師の名から取られたという説もあります]
「和尚様、私は暑さ寒さが大の苦手です。何とか逃れる術はありませんか?」
何やら修行僧として適性を疑いたくなりますが、彼とはよい友達になれそうです。
洞山和尚、そんな弟子に呆れもせずに答えます。
「なぜ、暑さ寒さのないところに行かないのだね?」
「そんな場所があるのですか?!」と思わず身を乗り出す弟子に、洞山和尚は涼しい顔でさらに一言。
「暑さに徹しきれば暑さを忘れ、寒さに徹しきれば寒さを忘れる」
洞山和尚が暑さ寒さに弱かったかどうかは知りませんが、この問答は夏と冬の快適な過ごし方を話しているのではありません。
ここで言う暑さ寒さは、人生の暑さと寒さ、つまり失敗や挫折、悩みや苦しみ、悲しみを暗喩している(ちなみに、弟子の名誉のために言っておくと、彼もこのことは承知していて、その上で師僧に問答をしかけています。たぶん)。
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ちなみに、私は最近(また)就職試験に失敗し(この試験かについては過去記事ちゃんと負けて、前に進め - 半平のきまぐれ日記参照)、(また)失恋しました(この恋については過去記事恋わずらいにつける薬―今野敏『隠蔽捜査3 疑心』 - 半平のきまぐれ日記参照)。
まさに人生の暑さと寒さが同時に押し寄せてきた気分です。
どちらの経験も過去に何度もしてきたし、覚悟もしてたはずなのに、それでもやっぱり傷つく。
けれど、傷心を抱えながらも立ち直るまでの時間は確実に短くなってきているし、その経験を建設的な方向に活かそうとする意欲も強くなっている。
これはたぶん、進歩でしょう。
リアルな暑さ寒さはエアコンで何とかなる。
人生の暑さ寒さにも一時的な退避が必要な時もあるでしょう。
ちょうど風邪で寝込んでいる人には運動で体を鍛えるよりも、暖かいベッドでの静養が必要なように。
けれど、結局は逃れ得ないのが人生の暑さ寒さなのでしょう。
必ずどこかで向き合わなきゃいけなくなる。
挫折や失敗、悩みや苦しみに出くわすその度に、のたうち回り、泣き叫びながらでも自分の答えを探すことをすればいいんだと思います。
そうやって必死に答えを探すうちに、暑さも寒さもどっかにいってしまうんじゃないでしょうか。
“災難に逢う時節は災難に逢うがよく候。死ぬる時節は死ぬるがよく候。これ災難を逃るる妙法にて候”
―江戸時代の禅僧、良寛和尚が地震で被災した知人に宛てた見舞状の一節―
今日はこんなところです。
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北方三国志を語ろう! その②―“等身大の天才”諸葛亮孔明
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突然ですが私、先日失恋しました。
まあ、片思いして振られるのはもう慣れっこなはずなんですが、それでも慣れないのが失恋の痛みらしく、ここ何日かはそれなりに落ち込んでました。
そんな時は気分を変えるのがいちばん!ということで、今日は好きな三国志の話、北方三国志について語るシリーズの第2弾です。
[諸葛亮孔明(181~234)
荊州(現・湖北省一帯)の片田舎で庵を結んでいたところを、当時流浪の将軍であった劉備に見出だされたとされている。
劉備に仕え、彼を蜀の建国へと導いた。蜀の建国後は、その丞相(総理大臣のような地位)となる。劉備の死後も魏への遠征を繰り返した。対魏戦の陣中で没する。
「漢王朝再興」という劉備の夢を、その死後も引き継いだ名臣として名高い。]
さて、今日の主人公は三国志の中で私がいちばん好きな登場人物、劉備軍の天才軍師・諸葛亮孔明(「諸葛」が姓、「亮」が名、「孔明」は字(あざな)というもう一つの名前です。一般的には「孔明」で呼ばれることが多いので、以下これで統一します)です。
この孔明、三国志を題材にした創作では、軍略から政治、外交、果ては発明まで何にでも才能を発揮する“万能の天才”として描かれることが多い。
そして、いかなる時にも冷静で、超然としています。
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北方孔明は、マルチな天才ではありますが、過ぎたことをいつまでも後悔し、自分の欠点に悩み、時には取り乱しもする、等身大の人間としての側面が強調されています。
たとえば、“漢中”という要衝の地を魏に攻められ、孔明は40万という自軍の4倍の大軍と対峙します。
最後は冷静さを取り戻し、無事漢中を守りきりますが、こんな描写は他の三国志には、ちょっとありません。
大体が慌てたり弱気になる劉備を落ち着かせるという役回りが多い。
北方孔明は、単に劉備の右腕というだけでなく、お互いに足りない部分を補い合う、“二人で一人”という描かれ方をしています。
一心同体でもあり、同じ夢を見る同志でもあり。
そして、それだけに劉備が死んだ後の孔明の孤独がより引き立っています。
幾多の挫折や失敗を経験し、後悔に苛まれながらもなお、劉備の遺志を継ごうとする孔明―その姿に私は涙を禁じ得ませんでした。
北方三国志も他の多くの三国志がそうであるように、孔明の死で幕を下ろします。
自分の生涯を、振り返ろうとは思わなかった。人は生き、人は死ぬ。それだけのことだ。ゆっくりと歩いた。部屋の中だ。
闇が、近づいてくる。その闇に、孔明はかすかな、懐かしさのようなものを感じた。闇が、さらに歩み寄ってくる。
自分が、笑ったのがわかった。
魏との戦いの中で、孔明は微笑みながら最期の時を迎えます。
私もいつ、どこで、どんな最期の瞬間を迎えるにしても―たとえそれが、人知れず路傍で迎えることになっても―微笑みとともに死んで行きたいものです。
今日はこんなところです。
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三国演義 ED2 ユラリユララ 中島卓偉
[2010年に放映された、アニメ「最強武将伝 三国演義」の後期OP。映像に出てくるのは孔明ですが、歌詞の内容が北方孔明そのものだと思っています。ぜひ、お聴きください]
ちゃんと負けて、前に進め
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先日、私の地元の県で夏の甲子園の地方大会の組み合わせが決まったというニュースを耳にしました。
こういうニュースを聞くと、いよいよ夏が来たという気がします。
ただ、こう書いておきながら実は私、スポーツには疎くて(「イニング」という言葉の意味もよく知りませんでした(爆))、高校野球にもあまり興味がなかったりします。
そんな私が先日、高校野球の映画を観ましたので今日はその話をしようと思います。
[高校野球と言えばやっぱりこの曲ですね。この曲を聞くと炎天下でも野球をしたくなる気持ちが分かる気がします。
夏川りみさんの歌唱でお楽しみください]
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46歳のサラリーマン・坂町晴彦(中井貴一)は妻と離婚し、一人娘の沙奈美(門脇麦)とも絶縁状態。
実は彼は、かつて高校野球部の主将で、部員の起こした傷害事件のために地方大会の決勝戦出場を逃した過去がありました。
そんな坂町の元に東日本大震災で亡くなった元チームメイト(ちなみに、このチームメイトが傷害事件を起こした部員です。このあたりが物語の一つの要になってきます)の娘・美枝(波瑠)が訪ねてきます。
彼女がボランティアとして働く「マスターズ甲子園」に誘われた坂町。
最初は乗り気でなかったものの、懸命に元部員たちの説得にあたる美枝の姿に心動かされ、かつてのチームメイトたちとともに、28年前に踏めなかった甲子園のグラウンドを再び目指す・・・。
六甲おろしー水樹奈々ver 【2016年度版】
[甲子園つながりと言うことでこの曲を。ちなみに、作曲者も「栄冠は君に輝く」と同じ古関祐而です。
水樹奈々さんの歌唱でお楽しみください]
今をときめく売れっ子女優二人が共演しているのも目を惹きますが(私はこの二人がきっかけでショートヘアが好きになりました(笑))、主演の中井貴一が実にいい。
私の好きな俳優の一人ですが、「善良な普通のサラリーマン」の役が日本一似合う役者だと思っています(笑)
坂町と美枝(彼女も幼い頃に両親が離婚して、父親とは離れて育った背景があります)の不器用な疑似親子の関係も見ていて微笑ましいものがあります(と言うか、中井貴一と波瑠って結構お似合いじゃないですかね?)。
さて、この映画には「ちゃんと負ける」という言い回しがよく出てきます。
今日の表題にしても、美枝が父親と最後に会った時にかけられた言葉から取っています。
全力で戦って負けたのなら諦めもつくし、そこから前に進むことだってできる。
けれど、坂町たちは不可抗力で試合に出れず、負けることさえできなかった。
ある意味いちばん残酷な結末を見てしまったわけです。
人生にそれなりに疲れているであろうおじさんたちが、ただ「ちゃんと負ける」ためだけに28年前の夢に再び挑む姿を見ると、人生は何度だってやり直せるんじゃないかと思えてきます。
この映画に出てきたおじさんたちもそうですが、みんなその場、その場で一生懸命に生きてるはずなのに、なぜかうまく行かないことがあって。
後になって「ああすればよかった」と分かるんですが、それはその時には分からない。
こんなことって、大なり小なりだれの人生にもあるんじゃないかと思います。
失敗や挫折が避けられないのなら、その場、その場で精一杯やって、ちゃんと負けるしかない。
後で山ほど後悔することになったとしても、それならそれでいい。
実は私、先日受けた司書採用試験に合格してる自信がこれっぽちもありません。
けれど、負け試合と分かっていても精一杯戦った自信ならあるし、そのことについて悔いはない。
少なくとも不戦敗になるよりは100倍はマシだったと、負け惜しみじゃなく今なら思えます。
今日はこんなところです。
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自分の自由と相手の自由
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お久しぶりです。
実は最近、とある自治体の司書の採用試験を受けまして、その準備のためにブログの更新をご無沙汰してました。
しかし、更新が滞っている間も、毎日数人の方がご覧になって下さっていたようで、誠にありがたいことでございます。
さて、今日の本題に移りましょう。
以前の記事(過去は過ぎ去り、未来は未だ来ず - 半平のきまぐれ日記)にも出てきましたが、私には60代半ば、年齢差40歳のカラオケ友達がいます。
先日もその方とカラオケをご一緒しましたので、今日はその話をしようと思います。
その日もいつものように、カラオケの後に二人で居酒屋で飲んでました(私は下戸で、飲むは飲むでも、コーラを飲んでましたけど)。
向こうに酒が入っていたのもあってか、話題はいつしか恋愛になりました。
年の差40歳の恋バナってのもなかなかシュールですが、印象に残ったのが、カラオケ友達が言っていた、「行く、行かないは自分の自由。振る、振らないは相手の自由」という言葉でした。
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一見当たり前の話に聞こえますが、案外忘れ去られがちなんじゃないでしょうか。
好きな人にアプローチするのは、どこまでも自分の自由(もちろん、やり方には一定の配慮や節度がありますが、それはまた別の話)。
けれど、どれだけ熱心にアプローチしようと、それを受け容れるかどうかは、相手の自由なわけで(もちろん、やり方には(以下略))。
それを混同して、アプローチする前に諦めたり、あるいは逆に振られたのを逆恨みしてストーカーになったり・・・世の中にはそんなことが決して少なくないんじゃないでしょうか。
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本来の目的以外にも、人間関係論や人生論として読めばためになるのが結構ある。
中でもお気に入りなのが、このシリーズ。作者お得意の下ネタと下らないギャグが満載で、笑いながら読み終わったあとに、人生を前向きに生きる勇気が湧いてきます]
さて、これは別に恋愛だけに限った話でもない気がします。
私は今、就職活動中の身ですが、私の場合はどうしても自分の発達障害がネックになってくる。
別に生計が立てられて、自分の能力や意欲に見合った仕事であれば、一般向けの求人でも、障害者向けの求人でも、それ自体に拘りはありません。
その一方で、一般向けの求人に応募しようとするとき、やはり躊躇いがあるのも事実です。
特に私は、一般向け求人でも、自分の障害のことを知っていただいた上で採用されたいという思いがあるので、尚更それが強くもある。
けれど、この言葉を聞いて、何やらその躊躇いがすっと無くなったような気がしました。
確かに私には障害があるけれど、それでも、工夫すれば人並みに働けることを精一杯伝えればいい。
それをどう評価するかは向こうの自由で、私は自分の自由を存分に行使すればいいんだと気づけました。
それでまた挫折するかもしれませんが、それはその時に悩めばいいわけです。
だから、今は自分の心のままに歩いていこうと、そう思います。
今日はこんなところです。
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サイードと賢者の書―喜多川泰『賢者の書』
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先日、帰宅しようとしていると、私のアパートの前で小学校1~2年くらいの子どもたちがボール遊びをしていました。
私が前を通ると、彼らは私に当たらないようにその間、ボールを投げるのを止めてくれました。
いつもくたびれて帰るんですが、その日は少しほっこりすることができました。
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さて、今日はこの前友人に借りた本の話をしようと思います。
少年サイードが世界中を旅して9人の賢者と出会い、「賢者の書」を完成させていく物語です。
9人の賢者の教えを私なりに一言でまとめてみると以下とおりです(太字はそれぞれの賢者のキーワード)。
①人生は行動することによってのみつくられる。
②だれにでも無限の可能性がある。
③この世界ではだれもが唯一無二の存在であり、故に自尊心と他尊心を等しく持つべきである。
④人生で追い求めるべき目標は、「何になるか」ではなく、「どんな人間になるか」である。
⑤人は未来でも過去でもなく、今を生きることしかできない。
⑥人生においてもっとも必要な投資は、自分にとって本当に意味のあることに時間を投資することである。
⑦自分が幸福になりたければ、まず人を幸福にすることを考えるべきである。
⑧人は言葉によって自分自身を変えることができる。
9人目は・・・この作品の結末に関わる部分ですから、ここでは止しておきましょう(笑)。
こういう言い方はおこがましいですが、私が本や歴史、仏教や人の話、あるいは自分の経験を通して考えていたことを改めて言葉として示してもらったような気分で、しきりに頷きながら読んでいました。
自己啓発書としてはなかなかに傑作だと思いますが、欲を言えば物語としての深みが欲しかったところです。
サイード少年があまりにも優等生過ぎるのが玉に疵で、もう少し彼の欠点を描写するか、冒険の苦労を描いた方が物語として面白味が出たように思います。
まあ、それはそれとして、この物語では人生をパズルに例えています。
[パズルと言えば、いつぞや父の日にプレゼントしたこのパズルを思い出します。50歳になる私の両親が仲良くパズルを作る姿は、なかなか微笑ましいものでした(笑)]
いい出来事も悪い出来事も、成功も失敗も全てが人生というパズルを組み上げるのに必要なピースである、その意味で人生には本当の不幸も失敗もない―。
この考え方、私は物凄く共感できる気がします。
それなり苦労したことや、悩み苦しんだこともあったし、それは今でも続いているとも言えるんですが、少なくとも今は悲観はしていません。
それら全ての出来事が私の人生には欠くべからざるピースだったのだと、今では心から信じることができます。
今日はこんなところです。
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