私のそばにいてください、たとえ私があなたを突きとばしても
いつも当ブログをご覧いただき、ありがとうございます。
まだまだ、心の燃料タンクが空の半平です。
気分がどうにも沈みがちで、なかなかしんどいんですが、苦悩こそ創作の源。
ヴェートヴェンの「第九」然り、ゲーテの「若きウェルテルの悩み」然り、傑作とは悲しみと苦しみの中に得てして生まれるものです。
私も先人たちの例に倣い、ブログを書き続けることにします。
さて、今日は私の好きな谷川俊太郎さんの「願い」という詩の話をしたいと思います。
まずはその詩をお読みください。
願い
いっしょにふるえて下さい
私が熱でふるえているとき
私の熱を数字に変えたりしないで
私の汗びっしょりの肌に
あなたのひんやりと乾いた肌を下さい分かろうとしないで下さい
私がうわごとを言いつづけるとき
意味なんか探さないで
夜っぴて私のそばにいて下さい
たとえ私があなたを突きとばしても私の痛みは私だけのもの
あなたにわけてあげることはできません
全世界が一本の鋭い錐でしかないとき
せめて目をつむり耐えて下さい
あなたも私の敵であるということにあなたをまるごと私に下さい
頭だけではいやです心だけでも
あなたの背中に私を負って
手さぐりでさまよってほしいのです
よみのくにの泉のほとりを
谷川俊太郎、『自選 谷川俊太郎詩集』岩波文庫、329〜331頁
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「生きる」や「朝のリレー」のような国語の教科書にも載るような作品がなく、マイナーなものが多いのがおもしろい。
この詩集の中では、他にも「これが私のやさしさです」、「ほほえみの意味」、「美しい夏の朝に」なんかがお気に入り。
この詩を読んで、どうお感じになりましたか?
わがまま?弱虫?意味不明?
この詩を読むと、子どものときに母親に看病されたときのことを思い出します。
熱冷まシートより、母親におでこに手をあててもらう方が気持ちかったのを覚えています。
そのせいかどうか、数ある谷川さんの詩の中で、私はこれがいちばん好きです。
特に今のようにどうしてもがんばれなくて、気持ちが沈んでどうしようもないときは、いっそう心にしみてきます。
「大丈夫!」と思った次の瞬間に「もう無理!」ってなる。
がんばりたいのに、がんばれず。
前に進みたいのに、力が湧いてこない。
不意に泣きたくなり、仕事も何もかも投げ出したくなる。
まさに高熱にうなされて口走るうわごとのように支離滅裂です。
人が本当に落ち込んでいるとき、慰めや励ましはあまり意味がないと思うのです。
たとえ他人にとっては取るに足らないことに見えたとしても、その人にとっては深刻なことである可能性もあるし、それを否定することはだれにもできないはずなのです。
人が悲しみや苦しみの中にあって、塞ぎ込んだり、取り乱したり、あるいは無理に笑おうとしているとき、必要なのは言葉をかけてあげることでも、話を聞いてあげることでさえもないのかもしれません。
ただ、そばにいて寄り添ってあげること。
たとえその人に突きとばされたとしても。
もちろん、それは簡単なことではありません。
しかし、そんな人がいてくれることが私にとっての支えであり。
自分もだれかにとってのそんな人になれるかもしれないということが、私にとっての希望なのです。
今日はこんなところです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。