実はステキな旦那様―映画「恋妻家宮本」
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先日、我が愛しのマドンナ・菅野美穂が出演している、映画「恋妻家宮本」を見てきました。
菅野美穂目当てに見に行きましたが、映画自体も予想外におもしろかったので、今日はその話をしたいと思います(ちなみに、今回の菅野美穂はちょっとSな役柄で、見ていてゾクゾクしました(笑))。
- 作者: 重松清
- 出版社/メーカー: KADOKAWA/角川書店
- 発売日: 2016/05/25
- メディア: 文庫
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この映画の主演は阿部寛。
敏腕刑事、シュールな物理学者、平家の知将、結婚できない建築家など、色んな役柄を演じてきた役者ですが、今回は優柔不断な中学教師の役を演じています。
阿部寛演ずる宮本陽平は、大学時代に妻の美代子(天海祐希。こんな美男美女の夫婦いるわけない)とできちゃった結婚。
一人息子も無事に独り立ちし、50にして初めて夫婦水入らずの生活が始まると思いきや、偶然妻が書いた離婚届を発見。
真意を質したいが、気弱な彼にはそれができず、おまけに生徒の家庭でトラブルが発生し、その対応をめぐって、生徒の信頼を失いそうになる始末。
仕事とプライベートの両方で発生した難問を陽平は乗り切ることができるのか?!
気弱で優柔不断な陽平の葛藤がコミカルに描かれるのがこの映画の見所ですが、想像するに奥さんの書いた離婚届けを見つけて、ショックを受けない男は少ないでしょう。
人間不信や疑心暗鬼に陥るかもしれません。
陽平もそうなりかけますが、作風のためか、あるいは陽平がお人好しの人物として描かれているためか、そこに暗い印象はありません。
むしろ、どこか可笑しく、クスクス笑いながら見ることができました。
私は一度こうと決めたら、周囲の思惑もお構いなしに突き進む傾向がありますから、正直言うと、優柔不断な人をみると、イライラすることもあります。(一応自己弁護しときますと、別に周囲の人がどうでもいいと言うわけではなくて、自分なりに思いやりはあるつもりです。「だれかに嫌われる可能性」vs「自分に嘘をつくことへの後悔」という状況になったときに、後者を取ることが多いということです)
しかし、「優柔不断」さと言うのは一面では周囲への気遣いや、優しさでもある。
それぞれの性格に一長一短があって、何か意味があって存在していると思うのです。
プライベートと仕事で、周囲と自分自身に振り回されて右往左往する陽平の様は、凡人と言えば凡人そのものですが、その中から自分の気持ちに気づいて、自分なりの答えを見つけ出していく。
そして、自分は「決断できない」のではなくて、大切な人の気持ちを考えた上で色んな決断をしてきたことに気づく。
宮本陽平は、結構ステキな旦那様だと思うのです。
ちなみに、私も好きな女性と結婚したいと思いますが、いったいどんな旦那さんになるんでしょう?
少なくとも、奥さんにきちんと言葉に出して「ありがとう、大好き、愛してる」って言えるようになりたいですね(笑)
今日はこんなところです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今日までそして明日から 吉田拓郎 - 歌詞タイム
[言わずと知れた吉田拓郎の名曲ですが、この映画の主題歌に起用されています。シンプルだけど味わい深い歌詞。最後に載せておきますね。
そして今、私は思っています。明日からもこうして生きて行くだろうと~♪]
ただのサラリーマンがスーパーマンになる時―高杉良『あざやかな退任』
いつも当ブログをご覧いただき、ありがとうございます。
バレンタインにチョコレートがもらえそうにないので、いっそこっちから渡そうかと考えている半平です(笑)
さて、今日紹介するのは私の好きな高杉良さんの作品で『あざやかな退任』です。
主人公の宮本正男は、自主独立路線を貫く中堅エレクトロニクスメーカー・東京電子工業の副社長。
彼は長年、同社の創業社長である石原修の女房役を務めてきました。
そんなある日、石原が急死します。
カリスマ社長の突然の死に混乱する社内。
その間隙を突いて、東京電子工業を支配下に置くことを画策する、東亜電産の佐竹社長。
順当に行けば、宮本が社長になるところですが、それをすれば東亜電産から送り込まれた専務の野村に社長の椅子を譲らざるを得なくなる・・・。
様々な思惑が錯綜する中、宮本が打った手は?!
- 作者: 高杉良
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要約すればこんな感じですが、この小説、タイトルが出オチになっています。
タイトルの示すとおり、宮本は社長にならず、副社長も退任し、最年少常務の吉田を社長にすることで東京電子工業の自主独立路線を守ります。
そこに至るまでの宮本の葛藤や東亜電産との暗闘、それを取り巻く人間模様がこの小説の見所です。
- 作者: 高杉良
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私は大学では経済史や企業史の研究をしましたが、それもこの小説を読んだればこそかな]
宮本が社長にならないという決断を下す、まさにその瞬間、彼は普通の人からスーパーマンになったのだと、私は思っています。
この小説は石原の死から宮本の退任まで、わずか数日の出来事を描いていますが、その短い間に、宮本の心は振り子のように何度も揺れます。
石原社長の下で苦労したし、サラリーマンである以上、出世はしたいし、社長にもなれるのならなりたい。
けれど、長年仕えた石原の遺した会社を、むざむざ東亜電産にも渡したくない。
両立し得ない二つの命題の間で、迷い悩むその姿は、凡人そのものです。
しかし、社長を吉田に譲ると決心してからの彼は、人が変わったように行動に一切迷いがありません。
東亜電産の圧力を跳ね返し、大銀行の会長を味方につけ、一気に会社の新体制を発足させる―。
- 作者: 高杉良
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[日本触媒創業者・八谷泰造をモデルにした小説です。東京電子工業の石原社長も八谷をモデルにしたんだとか。次の高杉作品はこれを読もうかしら]
その行動力は、さながらスーパーマンですが、何が宮本を変えたのか?
それはたぶん、「自分の役割に気づいたから」ではないでしょうか。
石原あっての自分であり、自分あっての石原であり。
その石原が亡くなった以上は、彼の遺した会社を守り抜くことが自分の最後の仕事である―そう気づいたことが、宮本をしてスーパーマンたらしめたような気がします。
それは決して「自分なんて副社長止まり」という諦めやニヒリズムではなく、「最後の最後まで石原の副社長である」という、一人のサラリーマンの矜持と誇りがあると思うのです。
人は望むと望まざるに関わらず、あるいは幸か不幸か、人の間で生きて行かざるを得ないもの。
その中で自分なりの役割を見つけること、自分の居場所を見つけることを否が応で迫られるのでしょう。
それは決して簡単ではない。
何十年と探し続けて、それでも見つけられずに人生が終わる人もいるでしょう。
けれど、地位とか、名誉とか、お金とか、他人の評判とか、そんなものではなくて、自分の心の声に耳を傾けてみれば、案外簡単に見つかるのかもしれませんよ。
今日はこんなところです。
最後までお読みいただき、ありがとうございした。
例によって、シェアよろしくお願いします(^-^)/
1周年特別企画!半平の思い出の記事5選!!
いつも当ブログをお読みいただき、ありがとうございます。
最近はとても寒いですね。
お身体にお変わりはありませんか?
先週の土曜には、普段雪の降らない私が住む街でも薄っら雪がつもりました。
いつか雪のちらつく街を好きな女性と一緒に歩いてみたいものです。
さて、今月17日におかげを以ちまして、「半平のきまぐれ日記」は1周年を迎えることができました!(はい、拍手~(笑))
そこで今日は、私の中で特に印象に残っている記事を五つ選び、当時は書けなかったウラ話なども交えつつ振り返ってみたいと思います。
それでは早速いってみましょう~!
「半平のきまぐれ日記」記念すべき第1回目!
当時は就労移行支援事業所に通い始めたばかりで、それまでずっと持っていた夢が挫折し、新しい希望を見出だしていて、一方で不安もあり・・・という時期でした。
そんな中で何か少しでも意味のあることを始めたいと思って、「読んだ人が少し元気になってくれる文章を書こう!」と思って始めたのがこのブログでした。
今にして思えば、アイデンティティが再編成されて行く渦中で、掴まっていられる筏のようなものを欲していたのかもしれません。
読んでくれた人より、書いてる自分の方が元気になっていますが(笑)
でも、自分も含めてだれかに勇気や元気を与え続けることができるのなら、私は書き続けたいと思います。
この記事で紹介している映画のDVDは、レンタルビデオ屋で偶然見つけました。
大して期待せずに見た気がしますが、何故か印象に残って書きたくて。
けど、それがなかなか言葉に出来ずに何度も書き直したのを覚えています。
そんな時、記事の題名にもなっている、マルティン・ルターの言葉を思い出しました。
「あっ、これだ!」という感じで一気に書き上がりました。
あの時の私には何か降りてきたのかもしれません(ルターかな?でも、ドイツ語知らんしな(笑))。
ルターの霊験かどうか、この記事は結構長く注目記事の一位を飾ってました。
私自身も好きな記事で、落ち込んだ時はよく読み返してます。
※この記事を紹介した部分について、「ブログに載せる内容としては不適切ではないか」というご指摘をいただきました。
あの内容自体は間違っているとは思いませんし、ここに敢えて掲載したのも、人生において大事なことに気づけた喜びを伝えたいと純粋に感じたからです。
しかしながら、不特定多数の読者を持つブログである以上、不適切と感じる人がいるのであれば掲載すべきでないと判断し、削除いたします。
もし、あの内容を読んで不快に感じた方がおられましたら、深くお詫び申し上げます。
私の好きなさだまさしさんの歌に「八つ目の青春」いうのがありまして、何度振られてもめげない男が八度目にして遂に恋を実らせるという歌ですが、私の「八つ目の青春」がこの記事で書いてある恋でした。
だったので、「遂に叶うかっ」と内心期待してましたが、現実が歌のように運ぶはずもなく、私の八つ恋は惨めに破れたのでした。
いつも通り結構落ち込みましたけど、この記事の予想どおり、今は九つ目の青春に挑んでます。
それもダメなら十度目の青春をすればよいのだ!
ストイックで一途な宗教家のくせして遊び人で。
自分と弟子には厳しいくせに息子には妙に甘くて。
自分は酒場と遊郭に入り浸っときながら、「酒場や遊郭に出入りしながら、したり顔で仏法を説いてる奴がいたら、ふん縛って役人に突き出せ!」なんて遺言してる。
そんな奴がいたら普通は総スカンのフルボッコでしょうが、何故かみんなに尊敬されて愛される一休さん。
あまりに飾り気のないその生き方を見ていたら、「人からこう見られたい」なんて思うことが急に馬鹿らしくなりました。
人から笑われようが、馬鹿にされようが、後ろ指指されようが、そんなことはどうだっていい。
そんなことを気にするのに貴重な人生の時間を費やしたくない、そう思えました。
そうなると生きるのが大分楽になった気がします。
その意味で最近の記事ですけど、かなりターニング・ポイント的な記事になるかな?
さて、思い出の記事を振り返ってきましたが、いかがでしたでしょうか?
もちろん、それぞれの記事に思い出や思い入れがあって、その中から五つ選ぶのは難儀なことでした。
一方で記事を選ぶ過程で昔の記事を読み返して、自分の内面の変化が分かったりして(段々不真面目になってる気がするなあ(笑))、おもしろい作業でした。
「半平のきまぐれ日記」はこれからも続きますが、私はどんな文章を書くのでしょう。
けれど、伝えたい思いがあって、そう感じる心があって、何かそれだけで十分な気がします。
とは言いながらも、愛する仕事と愛する伴侶に巡り逢って、それらのために何かをするには、がんばらなあかんし、闘わなあかん。
だから私は、少々格好つけて言えば、その闘いの記録を綴るのです。
それがいつか、だれかの勇気に変わることを願って。
今日はこんなところです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
【ネタバレあり】俺だってたまには胸キュンしたい!―映画「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」
いつも当ブログをお読みいただき、ありがとうございます。
珍しく短いスパンで更新します。
実はちょうど昨日、周りはカップルと女性客のみという超アウェイの中、今公開中の映画「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」を見てきましたので、その感想を書きたいと思います。
まず最初に言っておきます。
泣きました。
「いま、会いにゆきます」や「黄泉がえり」で号泣した経験のある私は、「ぼく明日」のあらすじを読んだ時点で泣く予感がしてましたが、案の定泣きました。
ラストシーンで。
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このマンガがすごい! Comics ぼくは明日、昨日のきみとデートする 2 (このマンガがすごい!comics)
- 作者: 七月隆文,大谷紀子
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何はともあれ、あらすじ紹介ですが、京都市内の美大に通う大学生の南山高寿は、通学電車の中で見かけた女性・福寿愛美に一目惚れします。
勇気を振り絞って声をかけた高寿と、愛美は付き合うことになります。
初めてデートをする、名前で呼びあう、初めてキスをする、初めて結ばれる・・・
たいていのカップルが辿るであろう道のりを二人も順調に歩きます。
けれど、高寿には不思議なことがありました。
それは愛美がときおり、予言めいたことを口にして、それが的中すること。
そして、節目、節目になぜか泣き出すこと。
実はそんな愛美にはある秘密がありました。
[半平お手製の高寿と愛美の時間軸の図解(上段:35年スケール、下段:30日スケール)。映画を見終わって、家に帰ってこの図を書いていて、さらに泣き出すというね(笑)]
この映画、題名の時点でほぼ半分ネタバレしてますから、ここでネタバレしますが、実は愛美は異世界の住人で、5年に1度、30日間だけ、高寿の住む(つまりは我々の住む世界)と行き来できるのでした。
しかも、愛美の世界は、こちらの世界と時間軸が真逆なのでした。
つまりは、高寿にとっての明日は、愛美にとっての昨日というわけで。
高寿は、日に日に愛を深めていくと思ってますが、愛美にとっては、日に日に高寿が知らない人になっていく。
高寿にとっての「最初」は、愛美にとっての「最後」。
初めて会ったとき、名前を呼びあったとき、告白されたとき、愛美が泣いている理由はまさにそれでした。
愛美には、それが最後であることが分かっている。
想像してみてください。
知り合って、好きになって、やがて愛し合う過程を巻き戻しで体験することをことを。
好きな人と出会うこと、名前を呼ぶこと、キスをすること、結ばれること。
その最後の機会を予め知っていることを。
愛美が辿ったのは、まさにそんな道でした。
これを書いてるだけで泣けてきますが、切なくて悲しくてやりきれないでしょう。
でも、愛美はそれでも高寿を好きになって、恋して、愛することを選んだ。
それは多分、(高寿の)未来を辿ってみて、自分がいかに愛されている(いた?)か、高寿と自分にとって、一緒に過ごした時間がいかにかけがえないものであるかを知っていたから。
映画のラストで場面は、再び二人が出会うところに戻りますが、ここで愛美が高寿に「また会えるよ」と言ったところで号泣した私の気持ちを、分かっていただけましたでしょうか?(笑)
さて、私が普段見ないラブストーリーを、何故見る気になったかと言いますと、実はまた好きな人ができました。
我ながら懲りんもんやと思いますが、好きになったのだから仕方ない。
けど、今は分けあって、どうしても思いを伝えるわけには行きません。
時期がくれば、伝えるつもりでいますが。
この恋が叶うかどうか、それは分かりません。
一つ確かなことは、高寿と愛美に限らず、大好きな人ともいずれ別れなきゃならない時がくる。
それが今日、明日でない保証もない。
今はまだ、遠くから眺めるしかできなくても、その時間を愛おしみたいのです。
back number - 「ハッピーエンド」Music Video
[映画の主題歌。「あなたを好きなまま消えていく」のフレーズが、まさに愛美そのもので、これまた泣けます]
今日はこんなところです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
好き、好き、大好き、一休さん!
いつも当ブログをお読みいただき、ありがとうございます。
先日Wi-Fiルーターを購入し、テンションが上がっております。
これで速度制限気にせず、ネットできるぜ!
動画も見れるぜ!
[一休宗純(1394~1481)
父は後小松天皇。母はその側室で、讒言により宮中を追放されたと言われる。幼い頃より寺に預けられ、修行を積む。27歳の頃に大悟。
数々の奇行で知られ、風狂(一見戒律を破りながらも、その実悟りを表している様)を体現した僧侶]
さて近況報告はさておき、私は歴史好きなので、好きな歴史上の人物が星の数ほどいます。
けれど、友達になりたい歴史上の人物はかなり少ない。
今日はその数少ない一人の話をしましょう。
一休禅師と言えば、「一休さん」の呼び名で知られ、とんち話やアニメの主人公として現代でも親しまれていますが、天皇から庶民まで幅広い尊敬を集めた名僧でした。
だから、本当は「一休禅師」とか、「一休和尚」とか呼ぶべきでしょうが、「一休さん」の方が親しみが持ててしっくり来るので、この記事では失礼ながら「一休さん」で通させてもらいます。
- 作者: 紀野一義
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私が一休さんを好きな理由は、一言で言えばその二面性にあります。
一方では、一途に修行を積み、大徳寺などの再興を手掛け、何人もの弟子を育て上げた名僧でした。
しかし、他方では酒を飲み、肉を食べ、女性と関係を持つ、当時の基準から見れば、立派な破戒僧でした。
一休さんには「紹偵」という実子の弟子がいましたが、この息子が父の遊び人気質だけを拡大して受け継いだような人で、なかなか修行に身が入らない。
これには一休さんも手を焼いて、なだめたりすかしたりして、何とか修行をさせようとしています。
また、一休さんは70を過ぎてから「森」という名の若い盲目の美女に恋をしますが、ご老人が書いたとは思えない熱烈なラブレターを書いています。
他にも印可状(悟ったことを証明する免許のようなもの)を燃やしたり、仏像を枕に昼寝したりと、そういう破天荒なエピソードに事欠きません。
ではなぜ、そんなお坊さんが大勢の人に尊敬されたのか?
それは、自分のあらゆる面を包み隠さず見せたからではないでしょうか?
一休さんは自分を飾るとか、表面を取り繕うとかに無縁の人であった気がします。
子どものように率直な生き方が、人間的な魅力を醸し出していたのでしょう。
一休和尚 OP
[今回の記事のタイトルの元になったアニメ「一休さん」のOP。こんなかわいい子どもが、大人になるとあの様です(笑)]
大なり小なり、だれもが自分のことをよく見せたがるもので、ダメな(と自分が思う)ところは隠したがるもの。
私自身も(自分で言うのも何ですが)一途で純粋なところがあって、一度こうと決めたらひたすらその道を進むところがあります。
けれど一方で、酒は飲みませんが、甘いものがどうしようもなく好きで(この前それで6本虫歯になった)、女性が好きで、気が多くて。
ついでに言うと、ドジで間抜けで、おっちょこちょいで、そのくせ格好つけで、頑固なくせに飽きっぽくて、一人が好きなくせにさみしがり屋で、おまけに水虫でetc..
とまあ、何かと欠点が多くて自分でも時々うんざりします。
けれど、最近はそんなところも隠さずにオープンにするようにしています。
すると、生きるのが随分と楽になるし、自分のことが益々好きになれました。
人生は長い。
しかし、有限ではある。
だから、自分を飾ったり、取り繕ったり、そんなことより、もっと大事なことがありますよ―そう一休さんはおしえてくれている気がします。
[私の好きな植木等さんの歌。一休さんの生き様そのものの歌のように思えます。]
今日はこんなところです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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あなたは愛したい派?、愛されたい派?―ヘルマン・ヘッセ「アウグスツス」
皆様、明けましておめでとうございます。
今年も「読んでくれた人が少しばかり元気になるブログ」を目指しますので、「半平のきまぐれ日記」をよろしくお願いいたします。
[ヘルマン・ヘッセ(1887~1962)
言わずと知れたドイツの文豪。もっとも作品は、今日紹介した「アウグスツス」が入っている『メルヒェン』しか読んだことがありませんが。
代表作『車輪の下』、『デミアン』、『ガラス玉遊戯』。1946年、ノーベル文学賞受賞。]
さて、新年早々ですが、一つ思考実験をしてみましょう。
あなたの前に魔法使いが現れて、「だれにでも愛されるようになる魔法」と、「だれでも愛せるようになる魔法」どちらかをかけてあげる、と言われたらどちらを選びますか?
そんな話が今日ご紹介する、ヘルマン・ヘッセの短編「アウグスツス」です。
- 作者: ヘッセ,高橋健二
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[元々は第1次世界大戦の従軍兵士向けに書かれた短編童話集。冒頭の「アウグスツス」だけで¥432以上の価値がありますが、私は「詩人」も結構好きです。]
ある若い母親の元に魔法使いの老爺が現れて、「おまえの息子の人生を願い通りにしよう」と言われます。
迷った母親は、「だれにでも愛されるように」と願いをかけます。
願い通りに彼女の息子、アウグスツスは、子どもの頃から行く先々でだれにでも愛されるようになります。
だれもが彼の歓心を買いたがり、贈り物をし、援助をし、あるいは愛情を注ぐ。
そんなアウグスツスは、当然のごとく傲慢で歪んだ性格に育ち、周りの人を騙し、陥れ、非道な仕打ちをしますが、それでも周囲の人は彼を愛する。
「愛されるに値する人間でないのに愛される」ことに絶望したアウグスツスは、命を絶とうとします。
そんな彼の元に再び魔法使いの老爺が現れます。
アウグスツスは、「だれにでも愛される」を取り消し、自分が「だれをも愛せる」ようになることを願います。
すると、周囲の人は、手のひらを返したようにアウグスツスを罵り、騙し取られた財産を奪い返し、彼は見る影もなくやつれます。
しかし、アウグスツスは幸せでした。
なぜならば、路上で遊ぶ子どもたちを見ては可愛いと思い、ベンチで休む老人を見ては労りたいと思い、額に汗して働く人を見れば、手伝いたいと思ったから。
アウグスツスは人々を助けるための旅に出ますが、その胸は以前の人生では知り得なかった、穏やかな愛情に満ちていました。
そして、年老い、生まれた家に戻ったアウグスツスは、魔法使いの老爺に看取られながら穏やかに最期の時を迎えるのでした・・・。
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[私が「アウグスツス」を知ったのがこのマンガ。私の下手なあらすじより、よほど分かりやすいですよ(笑)]
さて、人間に(あるいは、あらゆる生きとし生けるもの)にとって、「愛される」ということは、水や食料のようなものではないかと思います。
「だれにも愛されない人生」というものがあるならば、それは砂漠に身一つで放り出されたようなもので、到底生きていくことはできないでしょう。
しかし、それを人生の目的にしようとは思いません。
食べることそれ自体が、人生の目的にならないのと同じように。
人は生きるために食べるのであって、食べるために生きるのではありません。
それに、愛されるかどうかは、つまるところ他人次第であって、自分の人生のもっとも大切な部分を、他人任せにしたいとも思いません。
だから私は、もし魔法使いが目の前に現れたなら、「だれでも愛せる」を選びたい。
いや、魔法使いが現れなくても、一人でも多くの人を愛し、助けられる人生を送りたい。
何らかの見返りを期待するのではなく。
その方が、人に愛されることを求める人生よりも、よほど心豊かな人生であると、私は思うのです。
今日はこんなところです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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拝啓、母上様、父上様
いつも当ブログをご覧いただき、ありがとうございます。
大晦日も迫る中、皆様におかれましては年越しの準備に追われておりますでしょうか?
さて、「半平のきまぐれ日記」も今日が年内最後の更新でございます。
- 作者: 嶋田俊之
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母さんは夜なべをして~♪ のフレーズで始まるのは童謡の「かあさんの歌」ですが、たいていの日本人は、 1 度は耳にしたことがあるのではないでしょうか?
コメディなんかでは、立てこもる犯人を説得するシチュエーションでよく出てくる歌ですが、今日はこの歌にまつわる話をしたいと思います。
倍賞千恵子 かあさんの歌
[ 「かあさんの歌」はたくさんの歌手が歌っていますが、今日はたくさんの抒情曲をカバーしている倍賞千恵子さんの歌声でどうぞ ]
この歌は、音楽家の窪田聡 (1935 ~ ) さんによって 1955 年ごろにつくられました。
東京の下町に生まれた窪田さんは、都内屈指の名門校・開成高校に通いますが、太宰治のような退廃的な生き方に憧れて、授業をさぼり倒し、早稲田大学に合格するものの、1日も通うことなく家出してしまいます。
その後は戦後に一世を風靡した「うたごえ運動」(うたごえ運動(うたごえうんどう)とは - コトバンク)に共鳴してアコーディオン片手に街頭で歌い、放浪の日々を送ります。
かあさんの歌 - 童謡・唱歌 - 歌詞 : 歌ネット
そんな日々を送る窪田さんの元にある日、居場所を突き止めた母から小包が届きます。
1 番の歌詞はそれをモチーフにしているわけですが、窪田さんは東京の下町生まれ。
この歌の背景になっている高度成長期前の典型的な日本の農村の風景は、窪田さんが戦時中に疎開していた信州の農村が元になっています。
少年の日々を過ごした信州の農村と、自分勝手な生き方を黙認してくれた両親への思いが、重なり合って生まれたのがこの曲だったというわけです。
さて、この話を聞くと、私も自分の親を思いだします。
子どものころから私のやりたいことに反対もせずに見守ってくれた親でした。
今でもはっきり言って不肖の息子ですが、私のやることにほとんど口出しせずに、辛抱強く物心両面から支えてくれています。
たぶん心配で仕方ないはずなのに、それを億尾にも出さずにたまに帰ると、笑顔で軽口をたたき合う、私の父と母。
普段は面と向かって言えないけど、今ここで言います、「こんな私を信じてくれて、ありがとう」と。
いつか面と向かって言えるようになれたらいいけれど、今はこれだけ。
いつか、あなたたちのような、人を信じられる強い人になりたいです。
・・・とまあ、柄にもなく殊勝なことを書いてみました ( 笑 )
さて、今日はこの辺にしたいと思います。
1 年間お付き合いいただき、ありがとうございました。
来年もどうぞよろしくお願いします。
それでは、年末年始、お身体にお気をつけて、よいお年を!